第39話 岐路に立つ
トウキ君が放った『鬼拳』という名の正拳突き——その後に聞いたところ、大昔の鬼国・鬼ヶ島にいた『ハキ』氏が編み出した、全身の力をただ一点に撃ち放つ、基礎にして奥義——により、行く手を阻んでいた岩石群が破壊的に取り除かれた道を、僕達はぞろぞろと進んでいく。
元より感じてはいたが、彼我の力の差を再確認させられる『大破壊の一撃』を前にして、僕やルルド君、ロウベリーさんは『トウキ君やばくね。やばいわ』という流し目を送り合いつつ。
そんな驚愕を滲み出た汗として顔に残しながら、勇敢に踏み込んでいった道の端々、そのあちらこちらに張り巡らされている『異常に糸が太い蜘蛛の巣』を僕達は確認した。
蜘蛛の巣というのは比喩であり、見た目がそのままであるからそう判断しただけで、実際の巣主は不明だ。髪の毛に絡み付いて離れない『粘性の糸』に四苦八苦している僕の右手には、鞘から引き抜かれている抜き身の鏡面剣が握られていて、もし奇襲を受けても即時対応が可能な状態である。
魔法使いのロウベリーさんは近接系の武器を所持していないため、特に変わらず木杖を装備。
僕と同様に先頭を歩いているルルド君は、故国の『ルーローン』で小さくも権力を有していた父親から選別として贈られた、ガングリオ国が原産の『ロズベリア』という真紅の素材で鍛造された刃渡り七十センチほどの片手剣を、ランタンを持っていない左手の方に装備している。
もはや武器が要らなそうなトウキ君は、やはり無手。腰の右手側に差している刀は仕舞われたままだ。
「蟲型——糸で編まれた巣が張り巡らされていることを鑑みて、蜘蛛型と見てよさそうね」
「魔族相手に考えを固定するのはいただけないけど、まあ『それっぽい』よね」
木杖を、丁度いい枝を拾った子供のようにぶんぶんと振り回して、顔面に張り付こうとする蜘蛛の巣に抵抗をしていたロウベリーさんが、もう着飾っていると言えるくらい、全身に糸を纏っているルルド君へ、洞窟に潜んでいる蟲型魔族——それは『蜘蛛』なのではないかと言う。
その意見共有に、ズバズバと真紅の剣で進路を邪魔している巣を斬り払っていたルルド君が、思考の固定は魔族相手には愚考であるとは言いつつ、確かにその線が有力であるとも口にした。
そんな二人の会話を横手にしながら、顰めっ面をしている僕は鏡面剣で巣を斬り払っていく。
ランタンがなければ視界が機能しない暗闇は依然継続中。それに加えて、芸術的に見えてしまう蜘蛛の巣作りに用いられているこの強靭な糸。
ただでさえ、両目が使い物にならない暗闇、世界を光で照らしてくれる太陽に見守られながら生活をする人間に取っては『アウェイ』と言える環境が精神的な負担を重く強いていたのに、この『クソ邪魔!』と叫びたくなる巣は、つい地団駄を踏みたくなるくらいには厄介で、救出最優先であり、道を進まざるを得ない僕達にとっては、それが甚だしいストレスになっていた。
絶え間なく襲いかかってくる闇という名の不安は、談笑なんかで誤魔化しが効くからいいが、言葉ではどうにもならない『これ』は正直に言ってキツ過ぎた。焼き払えば楽なのだけど、天井にあるシルク布的なのに引火した時が最悪すぎる故、その手を打つことは満場一致で叶わず。
トウキ君の『鬼拳!!』で吹き飛ばせないかルルド君が冗談まじりに尋ねていたけど、流石に弾性があるものは無理じゃねと『マジレス』が返ってきて、僕とアホ軍師は揃って苦笑した。
「ん? なにあれ」
なんとも言えない空気感。友人達との時間に和み、それ故に心地悪くはないそんな道の途中。 暗闇の底に沈み込み、だがその輝きを失くすことなく、自己の存在を僕達へと訴えてきていたのは、息を吹き当てればすんなりと溶けてしまいそうな、えらく儚げな『薄青の光』だった。
それに一番に反応を示したのは、鏡面剣に執拗に纏わりついている蜘蛛の糸を、ランタンを握っている方の指で「やになるなぁ」と呟きながら、器用にせっせと取り除いていた僕である。
バラバラな四体の影を一様に揺らめかせている、火の灯りも届かない闇の向こう側。そこに落ちている輝きへと、同様に謎光の存在を認めていたルルド君たちを置いて、駆け寄っていく。
他のと比べればやや細い糸で編まれている蜘蛛の巣、それをまあ仕方なしと潔く顔面で受け止めた僕は拾い上げた謎の発光物の正体を看破して、手にあるそれについ眉を顰めてしまった。
「これ、コケアオミドロだ。薬の材料になる希少な植物だよ。なんでこんなところに……」
「湖畔の洞窟——水辺の近くにある暗所にのみ自生している『特殊植物』だね」
気持ちの悪い蜘蛛の糸を取り除く僕は、手に持っている青白く光る苔の名称と用途を語った。
『コケアオミドロ』。
顎に手を添えながら『どういうことだ?』と思考を巡らせているルルド君が言った通り、この青白く光っている苔は、水辺の近くにある洞窟などの暗所にのみ自生している『希少種』だ。
全てが噛み合っている特定の環境のみで育つということで、市場には滅多に出回らない。そう、手に入りづらい薬の材料に対して「高い高い」と愚痴を零していたカカさんから教わった。
そんな貴重なものが、欠片ほどでも、まさかこんな所で入手できてしまうなんて驚きである。
しかし、片眉を吊り上げてしまうくらいには気になる点が一つ。何故に、特定の環境のみに自生するコケアオミドロが、湖畔から遠く離れているだろう洞窟の奥地に落ちていたのか……。
「それはここに潜んでいる『蟲型魔族』が運んだという線が、今のところは有力かな。被害者の誰かが道標として撒いた可能性は否定できないけど、魔族が蜘蛛型であると仮定すれば、被害者が襲われた後に身動きが取れるとは思えない。捕獲されれば繭にされてしまうからね。まあ、蜘蛛型という仮想に思考を誘導されているだけで、繭を構築しない可能性はあるんだが」
「となると、もしかして『餌』だったりする? ヌマエビみたいに苔を主食にするタイプで」
「んー、魔族の非単一性——蛇頭の尾を持つ鶏の魔獣等のことを鑑みれば、蟲型魔族が甲殻類の機能を有している可能性は否定できないけど、でも魔族の起源を鑑みれば肉食で然るべきで、それ故に雑食であるという線は否定できないが……しかし、それでも俺は『薄い』と思うな」
「そっか……」
ぶつぶつと、自分の世界に入り込んでいるようなルルド君からの返事に、側で見守るだけだったロウベリーさんは苦笑を浮かべ、僕は特段気にした素振りもなく言葉少なに相槌を打った。
夕暮れの空に浮かんでいる一番星のように、外界の光が入ってこられない洞窟の奥深くで自己を顕示していた、コケアオミドロ。それは闇に覆い隠されている帰路に着く際に、この上なく分かりやすい『目印』となるため、このまま元の場所に置いておくことなどはせず、僕はロウベリーさんが渡してくれた空の小瓶に、青白く光っているそれをギュウギュウと詰め込んだ。
「どこまでこの道が続いてるいか分からないし、使う量は節約しないとだね」
「でも念の為、風の悪戯で飛ばされてもいいよう変わらずに地面は傷つけておこう」
「了解。僕は適度に千切って撒いとくから、印のほうは今まで通りルルド君に任せるね」
「ああ、任された」
自然発光物たる『青光苔』が不可解に落ちていた場所から立ち上がり、僕達は中断していた移動を再開する。僕は運良く手に入ったそれを少しずつ千切っては、今に通り過ぎようとしている地面へ放っていく。
ランタンで照らされている無機質な岩肌をした地面。そこに鏤められる薄青の光は夜空を彩る魔法のようで、自分が魔法使いの端くれになれたような気分になった。
対して、隣を並んで歩いているルルド君は、力強く握っているロズベリアの剣で都度、懐から取り出した懐中時計が教えてくれる現在の時刻と、突入してから経過した時間を刻んでいく。
十分ほど歩いては立ち止まり、ガリガリと地面を削っていく捜索隊一行。
捜索の進捗は順調なのか、はたまた不調なのか。その判断が一向に付かない、なんの変化も見られない洞窟の内。
そこを無言で進んでいく僕達の顔は、素面のままなトウキ君を除いて、ただただ神妙であった。
いつ蟲型魔族に奇襲されるか分からない緊張。時間感覚を麻痺させるくらい、常に同じ顔を見せ続けている洞窟。
無明の暗闇という圧倒的にアウェイな環境が不必要な心拍の上昇に拍車を掛けている。肌寒さを感じさせる深淵の腸の内を移動している僕達は、さも糞のようですら。
そんな馬鹿げたことを考えながら、僕は頬を伝っていく顎先の汗をコートの袖で拭った——まさにその時だった。
幾多もの枝分かれ。無数の別口。それらを都度に認めながらも、風の導きに手を引かれるまま「ここは違うな」と無視を決め込んでいた僕のもとにまた、吹いてきた。
今までにないくらい巨大な別口から、もう一体の風の子が、僕のもとにやって来たのである。
「え……?」
まさかの二風目。甚だ予期外なそれに、つい呆然とした呟きを落としてしまった。
何も感じていない様子の三人は、急に立ち止まって謎の戸惑いを見せている僕に訝しんだ顔をしている。
動揺で揺れていた僕の顔は、すぐに納得の思いを別口へ示して、固く改まった。
この洞窟で行方不明になっているのは一人だけではない。
同じ場所に囚われていると考えていたが故の驚愕は、行方不明者は離されているという確信に至ったことにより、胸の中で霧散したのだ。
「あっちにも誰かがいる」
目の前に現れた巨大な別口へと指を指し、そう口にした僕の言葉を聞いて、ルルド君はすぐに状況を察し、苦々しい表情を浮かべた。
被害者が全員生存しているという点は『前提』である。したがって被害者達が死亡しているかもという悲観的な観測は『救出』に向かっている僕達には不要なものだ。今のこの状況は、それを踏まえて、考えうる限りの最悪の展開と言えた。
ここにいるのは僕達四人だけである。
しかしこの、蟲型だろう魔族の巣窟から救出しなければならないのは、アメヤマさんとゲントウさん、あと名前を知らない出っ歯の冒険者の計三名。
おそらく三名全員が魔族に襲撃され、今もなお囚われている。
ゲントウさん達が襲われた場所は不明だが、豪雨に見舞われて洞窟に入ったアメヤマさんは、入り口のすぐ側だったはずだ。
しかし、入り口付近の捜索は大勢の手で続けられているものの、今だ誰一人として見つかっていないのが現実。
となると、襲撃地点から被害者達は移動させられている可能性が高くなる。
ならば、単一の魔族に襲われたと思しき三人は『同じ場所に貯蔵』されているのではないか。それこそ食糧保管庫的な場所に。
蟻のような習性があるのかは分からないが、あり得るだろう。
三人が同じ場所に繭として貯蔵されているのなら、今みたいに戦力を一塊にして、少ない人員で救出作戦に臨めたものの、この『風の導きツー』によって、その作戦は崩壊してしまった。
戦力を二分化する必要性あり。現状の戦力は四人。被害者達に残された時間的な余裕はない。現在地は他冒険者達との即時合流が望めるほどの深度じゃない。
つまりは二択を迫られている。——分かれるか。見捨てるか。
言ってしまえば僕達のこの作戦は『トウキ君在りき』である。
彼という一騎当千の超戦力によって成り立っているだけの泡沫的、彼が欠けるだけで容易く崩壊してしまう脆弱なそれ。
にも関わらず、戦力の分散を強いられてしまっているわけで、僕とルルド君は一様に顔を歪めた。
その苦慮を見兼ねたのか、はたまたそうではないのか。
それは本人のみぞ知るところだが、しかし無言で別口を見ていたトウキ君は、徐にそこへと親指を指し、視線を集めた僕達に言う。
「んじゃ、こっちは俺一人で行くわ。そっちは三人に任せたぜ」……と。
トウキ君のその判断は至極妥当だ。
あくまでも、選択肢が限られているこの状況においては。
人族以上の肉体的剛強さを有している鬼人族の彼には、単独でこの『魔窟』を踏破できる実力がある。
それは、道を塞いでいた岩石群を大爆砕した事例もあるし、間違いはないだろう。
したがって彼を一人にする心配は無い。不必要とさえ言える。
が、問題はそこではないのだ。
ここでの不安材料は、三人で行動することになる僕達である。
人数は単独となるトウキ君の三倍ではあるものの、しかし戦力という点に関しては圧倒的に下。岩石群を僕とルルド君、ロウベリーさんの三人で取り除こうとしても、あれだけド派手で即時的な処理は不可能だからだ。
そんな僕達だけで『ボス』がいるかもしれない先へ進むのは、正直に言って怖じけるに足る。 僕の逃げ足であれば『もしもの場合』に見舞われても、逃走的な対処が可能かもしれないが、重苦しい鎧を着込んでいるルルド君や、魔法使いのロウベリーさんを置き去りにすることはできない故、彼と彼女の足に合わせる必要が僕にはある。まさか二人を置いて逃げるなんてことをするはずもないし。
となれば『遭遇=開戦』になる可能性が高いわけだ。
逃走に成功する確率がどんなものかは分からないけれど、『逃げられない/逃げきれないリスク』は目立っている。
なので、ぶっちゃけると分かれたくはない。
が、二手に分かれざるを得ない状況なのは確かだ。 これだー! と叫べる『折衷案』は見つからない。顎に手を添えて『お手上げ』という顔をする僕とは違い、九割の戦力を失っても『行けるかどうか』を苦慮していた、リーダーとして決断しなければならないルルド君は、顔を歪めながらしばらくの無言を置き、徐に口を開いた。
「んー……ここで戦力の分散は怖いよね、正直に言えばさ。だけど、そうせざるを得ないというのは皆んなも理解しているし、心では『そうするべき』だとも思っているよね。俺達は魔族に襲撃されたのだろう三名の被害者を救出するために、こんな洞窟の奥地まで来たんだから」
「それで、このままトウキと分かれた後の戦力で、武人と称されているゲントウ氏が敗れたのだろう蟲型魔族を相手にできるか、俺なりに考えてみた。結論から言って、三人での救出作戦は『難しい』ものになると思えた。行動を共にしてくれるソラの、神助的な加護や鋭い感覚、そしてその高い実力は頗る頼りになるし、もちろん全力で頼りにするけれど、しかし俺やロウベリーは冒険者になって一年そこらの、正真正銘のひよっこだ。そんな俺達がソラに預ける負担は存外に大きい。俺達が足を引っ張らないように全身全霊で挑むにしても、やはり粗は出てくると思う……」
「だけど、ソラもロウベリーもトウキも『誰一人として見捨てる気はない』だろ。それは俺も同じ思いだ。だから、行こう。手分けして、被害者達を助けに進もう」
+ + +
後ろ手を振って一人、被害者が助けを待っているだろう別口の方へと進んでいく、トウキ君。そんな彼の最後まで見送った僕達は、やや緊張がある顔つきをしながら、互いに頷き合った。
勇敢な彼のように立ち止まることなく、進もう。被害者達を全員、救い出してみせよう、と。
「俺達も行こう。トウキに置いていかれるわけにはいかないしね」
「ええ」
「うん」
そうして、ランタンの光を飲み込んでしまった別口の方から視線を逸らした僕達は、加護を有している僕にしか分からない微かな風の子が導いている本道へと、その歩みを進めはじめた。
今だにその姿を見せない、蟲型魔族が巣食っている洞窟の深部にて、一人が減って三人になってしまった捜索隊の戦力減少の度合いは、三人が一人になった見た目よりも甚だしく大きい。
それだけ、トウキ君という勇猛果敢を体現したような存在、そして測る気にもならないほどに高すぎる実力は、黒と静しかない洞窟を突き進まざるを得ない僕達の心の支えになっていた。
そんな彼と離れ、こんなところを行動するなんて、こう言ってはなんだが、超リアリストの雰囲気があった外界の火傷跡の冒険者であれば、帰還の選択を取ってしまうのではなかろうか。
しかし一切の気後れを表情や声から感じさせない捜索隊のリーダー、ルルド君の言葉に、もはや一心同体だよねという微笑を浮かべている他の面々、僕とロウベリーさんは頷いてみせた。
にしても、神助的な加護という点は「まあね」なんて同意できるけど、鋭い直感や高い実力などという、君はなにを言ってるんと顔を引き攣らせそうになる言葉が僕の耳には残っている。
できるだけ士気を高めようとしていた、先程までの場の空気的に「ちょっと待ったあ!」という感じでツッコミにはいけなかったけど、ぶっちゃけ今にでも『異議あり!』って叫びたい気持ちである。が、なんだかんだで丸め込まれてしまいそうなので、黙っていた方が吉なのだろう。
そんなこんなで、トウキ君にランタンを押し付けて——魔道具は返してもらった——先頭を歩けなくなった僕は、中衛のロウベリーさんを守るように、最後尾にて二人の後に続いていく。
「そういえばさ、二人は幼馴染で、付き合いが長いんだよね? もうどれくらいになるの?」
延々と続いている岩肌の地面を、これまた延々と靴の底で擦りながら、堅調と言える歩みを進めていく一行。
場に流れる無言を聞いて、丁度いい機会だなと、僕は行動を共にしている幼馴染だという二人のことをより深く知っておきたいと思い、そんな感じで話しかけてみた。
「そうだなぁ、もう十年くらいになるよね?」
「なんで疑問系なのよ。正確には十一年。私が七歳の時にルルドと初めましてをしたんだし」
二人は十一年前に初めましてし、今もなお良好——暴力有り——な関係を続けているんだな。そこまで行くと、もはや身近な異性というより兄妹って感じが強そうだ。
僕が五つの頃からか……当時五歳の僕はなにをしてたんだっけ。
穴を掘ってたっけ? 虫取りをしていたっけ? それは朧げでよく思い出せないけど、毎日が楽しかったのは心で覚えてる。懐かしい。
「十一年かぁー……こう振り返ってみると、意外と長い付き合いをしてるんだね」
「ぶははっ、なにその他人行儀」
「ホントホント。十一年も苦労かけてきたんだから、たまには改まって感謝くらいしてよね」
「はははっ、それはどうもご苦労かけまして」
「軽いなぁ」
「まったくだわ」
いつになく頭が働いていなさそうなルルド君がホゲーっとしたことを言えば、それを聞いていた僕が堪らずに笑い、ロウベリーさんは苦笑しながら、しかし悪く思っていない表情で頷く。
一人減って、より暗さと静けさを増した洞窟の中。
今だに気配を出さない魔族の奇襲、耳鳴りすら覚える無音に、両目を閉ざされているような暗闇。前述に付随する若干の恐怖心。それらを和らげてくれる友人達との時間は、鏡面剣を硬く握り続けていた僕の右手の緊張を解した。
…………カツ。
「…………? 今、何か音がしなかった?」
「え? ……いや、何も聞こえなかったよ」
「私もなにも」
左の方から『石と石が擦れたような音』が聞こえたような気がして、僕はふと立ち止まった。
今まで無生物を貫いていた洞窟内で、途端に聞こえてきた異的な物音。絶対に無視できようもないそれに、僕は耳に手を当てた。
そして二人へ確認を取るも、誰も聞こえていないと言う。
三人に一人しか聞こえなかった異音に、聞こえていた方の僕は自分の気のせいを疑わざるを得なかった。
しかし確かに僕たちから離れている場所で音が聞こえたんだと、心が訴えている、それを確かに聞き届けた僕は目元を険しくして、一度あるなら二度あると、次を全力で探った。
……………………カツ。
「やっぱり鳴ってる……! 石と石が擦れたような音が!」
「どっちの方なの、ソラ君?」
「左手です!」
「よしっ、音の原因を探すぞ、ソラ、ロウベリー!」
「ええ!」
「了解!」
ランタンはあるにしても、外界と比べて大して使い物にならない視界を閉ざし、余ったリソースを耳へと集中させた僕は、二十メートルほどの横幅がある現在地、その左手の方で確かに物音がしたことを鋭敏に察知した。僕達以外の全てが静止していた洞窟で鳴るはずがない物音。
まるで硬質な『殻』を有する生物が岩肌に体を掠めて生じたようなそれに、僕は過敏なほどに意識を向けて、響く大声を上げる。
ルルド君は突然の知らせにも動じることなく、それどころか状況が一転したことへの興奮を顔に出して、僕が特定した音の発生源を探ることを命じた。
それに僕達は頷いて、三人してここにいる何かが逃げてしまわぬよう左方へと駆け出していく。
道の真ん中を我が物顔で闊歩していた僕たちは瞬く間に左手の岩壁を目前にして、辺りに抜け目のない迫力の視線を流す。
しかし、何も見えない。確かに音は聞こえた。だが何もいない。
——そんな馬鹿な。いや、絶対に聞こえたんだ。これは気のせいなんかじゃない。
——確かに鳴ったんだ、硬質な物が掠れあったような音が。
僕はそういう愕然とした表情を浮かべつつも、あの音は嘘なんかじゃないと地面を手探った。
他二人も僕と同じように、まさに『無』を体現している壁面から視線を落として、風化して自然に削れたのだろう拳大の石が落ちている地面へと、物音の発生源を認めるべく手を伸ばす。一つ。二つ。三つ。気がつけば十数。左方数メートルの範囲には有機物は見られず、故に僕たちはその場にあった『石』を手に取って、それが無機物かどうかをひっくり返して精査した。
側から見れば『馬鹿なことをするんじゃない』なんて言葉が口から出るだろう僕達の行動は、一見して錯乱状態と言えた。
物音が鳴ったのに、鳴った原因が存在しない。もしかすると、僕達の無遠慮な歩行による振動で、岩壁から離れかけていた岩石が地面に落ちたのかもしれない。
そんな可能性を三人して脳裏にチラつかせるも、必死に動かしている手は止められなかった。意固地になっている、と言えばその通りなのかもしれない。
しかし、誰にも無意味と思われるその行動の積み重ねが、確かな結果を掴むのが、この世界の面白いところなのかもしれない。
『ギュイッ』
音を奏でようもない微動だにせぬ石を幾つも手に取っては捨てていた僕は、焦燥感で盛大に顔を歪めながらも、たった一つの『正解』を手繰り寄せた。
僕が掴み取ったのは何の変哲もない『拳大の石』である。
しかしそれを手に取った瞬間、生物が発するような『声』が耳に届く。唐突に聞こえてきたそれに、多量の汗を掻くほど必死になってい三人は限界まで目を見開いた。
僕達は互いに馬鹿みたいな驚愕の表情を見合わせて、恐る恐る力強く握っていた石を裏返す。
ゆっくりとその正体を暴かれていく『生ける石』は、自身の身の危険を察知したのか、頻りに特徴的な甲高い鳴き声を出しはじめ、それが殊更に僕達の興奮しきっている瞳孔を開かせた。
『ギキィーーー! ギュィギギギギーーーーー!!』
「……………………蜘蛛?」
「石殻を被った、蜘蛛……のようだね」
「き、気持ち悪ぅ」
愕然と開かれている双眸を用いて、僕達はじっと息を潜めていた物音の正体を看破する。自然物だろう岩石を『殻』として背負い、さも無機物かのように擬態をしていたのは、八つの足に同数の眼を有している、硬そうで柔らかい短剛毛を身体中に生やした、そう、蜘蛛であった。
蜘蛛という生物は本来、人間を含めた一部の動物が有している発声器官を持っていないはず。なぜなら蜘蛛の声など、生まれてから一度も聞いたことがないからだ。
断末魔すら上げない彼の生物に酷似しているこれは、しかし必死になって、命乞いかのような鳴き声を上げている。それらで導き出される答え。この洞窟は魔族の巣窟、魔族は蟲型、とどのつまり、コイツが。
「三人を襲った蟲型魔族…………!」
田舎者が都会に足を踏み入れた時のカルチャーショックよろしく、いざ魔族という『真の異生物』を前にすると、自分の固定観念が悉く破壊される。あの時の『犬型魔獣』もそうだった。
初見時は『自分の根底という別のこと』に意識を向けていたせいでそこまで考えが及ばなかったし、二度目の遭遇時は逃走に必死だったから、もはや魔族の異形など些事でしかなかった。
だが、ふと冷静になってあの姿を思い出すと、魔神によって創られたという話に納得がいく。デザインが違うのだ。まるっきり。
別神が描いた姿形なのだろうと納得せざるを得ないくらい。
そして今、至極頭が冷え切っている状態で当の『異生物』を前にした僕は、この蜘蛛と同じようにその場からひっくり返されたかのような錯覚に苛まれていた。
それは、圧倒的違和に故。
「————ってことは、まさか!?」
逃げ出そうと必死に八つ足を動かしている『蜘蛛型』から連想されるのは、道中に無数にあった蜘蛛の巣。原生物が作り出すものとは比べ物にならないくらい太い白糸である。
それを脳裏に走らせた瞬間、脳に火花が散った。僕は最悪の考えを得た瞬間に堪らず声を上げてしまう。
実家で何度も見たことがある。屋内で見ても殺すことなく放置していた蜘蛛が、人の目が届かない場所に『繭』のような形状をした卵嚢を作って、そこに無数の卵を産み付けていたのを。
放置すると多数の子蜘蛛が放たれてしまう故、流石に庭に生えている野草にまで引っ越させてもらっていたが、こんなところにそんな自善的引っ越しをさせる生物なんているはずもなく。
洞窟なんて場所は、陽光が届かない閉所に住むことがない人間にとっては死角と言っていい。
そこまで考えて、不安を抱く。天井に見えているあの『超緻密なシルク布』のようなホワイトカーペットがもし、親蜘蛛によって甲斐甲斐しく隠蔽されている『有精卵の列』であったなら……今も決して逃さぬよう握っているコイツの兄弟たちが、無数に野へ放たれることになってしまうだろう。
それは看過できない。絶対に見過ごすことなどできようもない。魔族は殺すべきである。異生物——僕たち原生物の天敵にして、唯一の敵性存在。そんなもの、この世にいちゃいけない。
僕は自分自身でさえも知り得ない『魂の根底』から這いずり出てきた『魔族への殺意』を鋭くなっている双眼に宿して、強く握り込んでいる鏡面剣を回転させるように頭上へと投擲した。
ヒュンヒュンという小気味よい風切り音を奏でながら、加減なしの投げを得て猛速で天井へと飛翔していく鏡面剣、それは一瞬、僕が無意識に浮かべている殺意に濡れた相貌を映し、到達。
ザクッと天井に敷き詰められていた白のカーテンを払い、隠匿されていた卵を切り裂いた。
「マ、マジか……!?」
「これ全部が……!?」
ぼとぼとと肉体組織が形成される前の、蜘蛛になろうとしていた液体が天井から落ちてくる。それを見て、僕は険しい顔をしながら沈黙する。代わりに声を漏らしたのは、到底信じたくはない光景を認めてしまったルルド君とロウベリーさんである。二人は震えてしまっている手で言葉を出せくなった口を押さえ、ただただ戦慄する。
僕達がこの洞窟へと突入してから、約二時間が経過している。その歩行距離は、大雑把に計算をしても『六キロ』は下らないだろう。おそらく、北の大山を優に越えた広大さをしている地下洞窟。魔族由来なだろうと突入時には気づき得ていたものの、しかしここまでの道中で『途切れることなく続いていた』ホワイトカーペットが、すべて蜘蛛型魔族が生み出した『有精卵』であったとは、まさに想像の埒外だった。
「ごめん、ソラ。ちょっと、考えが追いつかない……まさか、ここまでだなんて」
ルルド君は信じられないものを、信じたくないものを見たと言わんばかりに、浮き出ている汗を頭痛を堪えるような苦的表情と共に落とす。
魔族が洞窟を掘り進めて、ここまで広げたのだろうとは待機組の話を聞き、考えていた。潜んでいる魔族が蟲型であるという点、武人のゲントウ氏が帰還できていないという点を加味し、敵は強大なのだろうと想定していた。天井にある緻密な敷物はトウキ君の「臭えな」を聞いて、魔族由来なのだろうとも意思共有していた。しかしこれほどまでとは思っていなかった。これほどまで魔族が大地に根を広げていたとは。
その現実を直視し、呆気に取られてしまいそうな彼の様子を無言で見つめ、僕は口を開いた。
「大丈夫だよ。まだ何も状況は変化していないし、まだ最悪の一つも起こっていない。コイツらが孵化する前に潰しちゃえばいいんだよ。人手さえあれば一週間も経たずに終わる。なんなら、トウキ君が言っていたみたいに燃やしてしまえばいい。焼却させてしまえば、胚も全部駆逐できるはずだ」
顔色ひとつ変えず、僕は動揺する彼へ事実を述べた。たとえ洞窟の天井部すべてに有精卵が産み付けられていようとも、数十人規模もの冒険者を駆り出してしまえば、容易く根絶は完了する。天井に産み付けられている無数の卵どもが孵化する前の状態であれば、先程のように何の抵抗もさせることなく駆除ができてしまうのだから。
故に、山村に残されている非戦闘系の冒険者であっても人手の数えられるだろう。ならば、数多の卵のことなど問題と言うには値しない。それに先ほど語った通り、天井のカーペットに火を放ってしまえば、文字通り連続した焼却も可能だろう。仮に糸そのものに耐火性があった場合は躓くことになるが、他に手がないとは思えない。
しかし、卵を駆除するに当たって、無視できない障害が一つ、解決もされずに残されている。それは、この気色悪い卵をここに産み付けた『親蜘蛛』のことである。
今回の計三名の行方不明事件には、その親が関わっているに違いない。今も僕に鷲掴みにされて、無意味な抵抗をしている『コイツ』に大人ひとりをどうこうできるとは考えられないし。
親蜘蛛の戦力は推測できないが、相当な実力者を帰還不能に陥らせるているのは確か。それは危険極まりなく、そんな真性の怪物が人里の近くにいるなど、到底看過できる情報ではない。しかし、その親蜘蛛さえどうにかしてしまえば、この問題はつつがなく解決されることだろう。
「………………ははは。やっぱり、ソラは凄いな。加護を抜きにしても、君は特別なんだね」
洞窟に突入をする前までは、二手に分かれるのは危険だなんだと怖気まくっていたとは思えないくらい、至極冷静沈着とした毅然な立ち振る舞いをしている僕を見て、ルルド君は『確かな隔たり、埋められない差』を感じたような哀愁漂う表情を浮かべて、そんなことを口にした。
「っし! 切り替えた。その蜘蛛と天井にある卵列のことは帰還達成時に他冒険者に共有するとして、三人で意見交換をしようか。その石蜘蛛の生態を知れば、親の対策を打てるからね」
「了解」
ルルド君は僕がしていたように両頬をパンッと強く叩き、表情に冷静さを取り戻した。爺ちゃんを真似して始めた冒険者流の切り替え法なのかもしれないそれを、側から見たらこんなに痛々しいのかと間近にしつつ、僕はルルド君の発言に自分が知る限りの蜘蛛の生態を口にした。
「蜘蛛は巣に掛かった餌に毒を注入して動けなくした後、繭にして補給を行うまで保存しておくんだよね。この洞窟そのものが巣だと仮定すれば、洞窟の入り口付近で雨宿りしていたアメヤマさんが襲われたのは納得できる。でも、入り口付近に誰もいなかったのが気になるよね」
「虫とか気持ち悪いから大嫌いだし、だから、あんまり出せる情報はないけど、蜘蛛は『体外消化』をする生物だっていうのは知ってる。消化液を餌に注入して、体外で液化させるって」
顰めっ面をしているロウベリーさんが言った通り、蜘蛛という生物には人間等の哺乳類が有している胃袋、言わば消化器官が体内にない。
そのため、体内で食物を消化する哺乳類とは違い、蜘蛛は体外で消化した融解物を啜って、食事をするのだそう。そのことを聞いたルルド君は、自分もそれは知っているけど、という感じで顎を摩りながら唸り、続けて軽く頭を振った。
「んんー……希望を捨てるわけにはいかないから、ロウベリーのそれは『無い』と断じる。でも、俺が知っている範囲はソラやロウベリーと同じくらいだ。害虫駆除をする益虫とか、体外消化した餌を吸って補給するとか。それは今役に立たないし、いいだろう。蜘蛛型、排糸可能、巣を張る、卵嚢。それらを加味して、蜘蛛の生態を『石蜘蛛』が多く有しているのは確か。しかし獲物をその場に保存していない……その仮想を希望的に当てはめられるのは、蟻、かな」
「捕獲した餌を保管しておく場所、それ用の部屋に運んだってこと?」
「ああ。行方不明者を救出しに行っている現状はそう考えておくのが妥当だろうね。となると、ソラの『加護の風』が俺達を導いている先は、数あるルームのうちの『食糧庫』的な場所というのが有力。トウキと二手に分かれた事実も踏まえて、保管庫は最低でも二つあるわけだね」
「……ということは、私達、もしくはトウキ君の方に『アタリ』があるかもしれないわね」
アタリ? それはどういうこと?
何も分かっていない様子の僕は、数瞬の思考の末に二人が見ている景色に辿り着く。その答えを僕が口に出す前に、ルルド君が頷きと共に声を発した。
「洞窟の内部を鑑みて、石蜘蛛の『母体』の大きさは最大で、縦が十数、横が二十メートルくらいだ。そこから算出される代謝、そして尋常じゃない数の有精卵を長大に産み出していることを鑑みても、そのエネルギー消費量は俺達のとは比べ物にならないはずだ。野外に生物が見られなかったのも、その莫大な消費と補給の量に原因があると見ていいだろう。一挙手一投足すら無駄にはできないレベル、ならば『マザールーム』の近くに『補給場』があるというのは至極妥当なんじゃないか?」
——この推察が確かならば、行方不明者達が運ばれていった先、補給場へと向かっている俺達かトウキが、石蜘蛛の総母体が待ち構えている『マザールーム』に『当たる』可能性がある。
しかし、もう止まるなんてことは、できない。
そのことは全員理解しているから、ルルド君は首を傾けながら微笑を浮かべ、ロウベリーさんは芝居っぽく肩を竦め、僕はコクリと頷いた。
「……一応聞いとくけど、それを踏まえても、行くかい? 二人とも」
「「もち」」
「はははっ! 当たるも八卦、当たらぬも八卦か。それなら止まらずに、行こうか」
最終確認。意見合致。足並み揃え、三人は行く。魔が待ち受けている道の先へと。




