第21話 VSエリオラ〈2〉
「————っっっ!! うォオオオオオオオッッッ!!」
隙だらけではあるものの、好ましいとさえ思える踏み込みを見せているソラの右足は大地に確かな足跡を刻み込み、大きな重低音を鳴らす。
そして踏み込まれた右足が蹴られれば、たちまち大量の土砂が後方へと無造作に散弾された。
ソラの疾駆が生み出した光景は、先ほどエリオラが見せたものよりも格段に劣っている。
エリオラと比肩できる爆発的光景を生み出せる人間は何百といるのが現実だ。もちろん、エリオラ以上の実力を有している者も存在している。
しかし目前の控えめな光景を作り出したのは、その身に宿している加護も、周知の伝説であるはずの勇者も知らず、見知っているべき魔族すらも取るに足らない知識の一端でしかなかった、最近まで田舎で温温と暮らしていた少年だ。
(一体、君はどれほどの————)
常日頃『ソラ・ヒュウル』という人間が他者に対して見せていたものとはまるで違う。表面に貼り付けていた軟弱な雰囲気と素振り、その『化けの皮』が剥がれ落ちたことによって露わになった真の実力。紛うことなき天賦の極才。
なんの鍛錬も積んでいない一挙手一投足からは考えもつかない、常人を飛び越えている肉体性能。その年齢まで何処ぞの田舎で温温と暮らしていただけであるにも関わらず、数年という鍛錬を積んだ者と遜色ない動きのキレと瞬発力。
(嫉妬しちゃうよ。本当に……。でも、そんな女々しいもの以上に————)
一体どのような理由があって、君の才を潰すに等しい日常を君の家族は送っていたのだろう。
何故の理由があって、才を咲かせぬ状態で、こんな世界に放り出したのだろうか。
許せない。許せない。許せるわけがない。絶対に、絶対に。
(ごめんね、ソラ君。君の家族なのに、君が探し求めている大切な人なのに。私は君の家族が嫌いでしかたがない)
その力を封じていたのには、苦渋を飲まざるを得なかった理由があるのだろう。
彼から才を遠ざけていたのには、どうしようもなかった秘密が背景にあるのだろう。
それでも、それでも。だからって。弱く育ててきたソラを責任も取らずに見殺しにする気なのか。
だから許せないんだよ。私は許せないんだよ。苛立ってしまうくらいに。怒りすら覚えるくらいに。君の母親のことを許せないんだ。君のことを信じて送り出したのだろう、優しいと言っていた。事実そうなのだろう祖父のことも私は許せそうにない。
だって世界はこんなにも『死』という終わりに満ち満ちているというのに。
君は純真がすぎるんだ。
他者に傷を与えてしまうのは悪罪。他者に危害を与えるなどあってはならないという引け目。引け目という名の致命的な欠点。
ソラの周辺を囲んでいた人物たちが長年を掛けて作り上げていった、不戦という紛うことなき最悪の枷。
死が満ちている外の世界に持ち込むことなど自殺行為と言っていい、優しさを騙っている呪縛。
(なにもできないようにソラ君を育てたのなら、彼が安らかに死ぬその時まで自らの責任を取れ。都合よく逃げるな。だから私が。君に嫌われれてしまうのはすごく嫌だ。でも、この儀式が私がやらないといけない。だから全力で——)
それを一時的であろうとも『暴力』という最悪に違いない外圧で取り除くこと成功していたエリオラの前で、理不尽極まっているエリオラに『一矢』を報いらんとする覚悟を決めた面持ちをしている『次代の勇者』の烈火の吠え声が轟いた。
その原動力はエリオラの説明不足から来る『苛立ち』か。はたまた痛みを与えられたことから生まれ出た『怒り』か。もしくはエリオラが醸している『殺気』に当てられて目覚めてしまった、本性が牙を剥き出しにしているだけなのか。
ソラ・ヒュウルという人間の本性を、あの時たしかにエリオラは見た。暗い過去など一切持ち合わせていないはずのソラの目に宿っていたドス黒い『闇』を。
庇護欲をくすぐる幼体をした魔獣の死。それを目前にしてなお『何も感じていない』ような様子を見せていた、ソラが密かに抱えている——
「はあああああああああああアアアアアアアッッッ!!」
僕が行った猛速の肉薄。明らかに常人離れしている脚力が生み出した爆発的な加速に対して、それを間近にしたエリオラさんは一瞬目を剥き、しかし即座に平静を取り繕う。
隙だらけだが力強い踏み込み。それをしてみせた僕の右足が地面に確かな足跡を刻み込めば大きな重低音が鳴り。土に囲まれた右足が弾ければ、大量の土砂が後方に散弾される。その数瞬後、僕とエリオラさんの間で盛大な火花が瞬いた。
「————っっっ! シッ!!」
僕が放った素直すぎる振り上げの袈裟の斬撃は、敢え無くエリオラさんの横一線で軌道をずらされ、空へと昇った。
剣身が翻った彼女の紅髪を掠り、断たれた数本が中を舞う。完全なる空振り。
しかし今までの鬱憤を晴らさんとしている僕が止まることはない。
底知れない気合いを口端から吐き出した僕は続け様に左手を柄から離し、右手のみで剣を握って振り回す。
両手時と比較して威力は落ちてしまっているが取り回しが容易となったおかげで、僕の動きの速度を一段と上げた。
「甘いよ」
空振りに終わったことを気にも止めなかった僕が上半身を捻って放つは右転振り。
斜一線の斬撃は冷ややかな視線を浮かべているエリオラさんの『指一本』で持ち上げられ、少しだけ膝を畳んだ彼女の頭頂部スレスレを横切っていく。
「くっ——まだっ!!」
右肩を一気に肥大化させて甚だしい慣性が働いている剣を強引に引き戻した僕は飛んで後退、その一連の動きの中で背に引いた剣をさも弓に番われた矢のように撃ち放ちて、少しだけ目を見開いたエリオラさんの眉間を目掛け進める。
が。技術どころか膂力に敏捷すらも僕の上を行っているエリオラさんが、見え見えの攻撃に動揺するわけもなく、冷静に体を左に傾けて、唸る剣矢を回避してのけた。
「————っっっ! ウオオオオッ!!」
思い付きで実行した連撃をあっという間に潰してみせたエリオラさんは三メートルほど地を蹴って後退。
そんな彼女に僕は肉薄をして、続く十数の斬撃を繰り出した。が、全て防がれる。
しかし不屈を突き進む僕は止まらない。諦めず前へ、続く攻撃の嵐。
「————ふぅッ!!」
エリオラさんは四方八方から迫り来ている一つ一つの斬撃に合わせて的確な回避行動を取る。
「はアッ!」
一度目は軽いステップを踏んで右に。続けて左にずれて縦の斬撃を悠々と回避。
「っっっ!! ゼアッ!」
三度目の斬閃はナイフの腹で真銀の剣の刃を滑らせるという『神技』としか言えない技術によって流して空振りに。
「————くっ、がアッ!!」
必死に伸ばされた僕の靴裏での強蹴は持ち上げられた膝で受け止められ、少し押されただけで僕のバランスは崩壊。
「————なぁっ!?」
なんとか踏ん張り耐えた僕の横の一振りは右手の指二本で軽々と挟み止められる。
それに限界まで目を剥いた僕は奥歯を噛み締めながら剣を手放し、渾身の右拳撃を放った。
が、左足を軸に回転することによって難なく回避した彼女は伸び切った僕の腕を絡め取った後に顔面を鷲掴みにして、地面へと僕の後頭部を叩き付けようとした——
「っっっがあアッ!!」
しかし、まだ終わらない。一撃が決めるその寸でで地面へと必死に手を伸ばした僕の手に剣が戻り、エリオラさんの腹部へと向けて振る。
僕への一撃を捨てて冷静に顔面から手を離した彼女は二メートル後方へ。そんな彼女を目掛けて疾駆した僕は、技術で勝てないのならと出鱈目な斬撃を繰り出した。
「はあああアアアアアアアッッッ!!」
だが、その一手が『間違い』であると指摘するように、粗雑な攻撃の数々の中で見つけた、僕とって最も痛打になるだろう隙を目指して肉薄したエリオラさんは、叫ぶ僕が放ち続けている斬撃の嵐の中を掻い潜って『致命的な隙』を晒している僕の腹部にあまりにも強烈な拳撃を喰らわせた。
「ぐうっぅっ————っっごぼぁぅァっっ!?」
甚だしい衝撃。信じ難い激痛。僕の体はへし折れた枝木のように曲がり、多量の吐瀉物を吐き散らしながら決河の勢いで後方へ。戦場から八メートル以上は離れていた場所の樹木に僕は背中から叩きつけられ、痛みで白目を剥いた。
「かっ……ぃっ…………がはっっ、うぅ……あぁ……!」
視界の明滅が煩わしい。叩きつけられた背中から脳まで走り抜けた衝撃が腹立たしい。
思考がぐちゃぐちゃになっているせいで思考も視界もぼやけている。訳が分からない。
なにが起こったんだ。あの一瞬で、僕はなにをされたというんだ?
見えた。見えてた。見えてたさ。
馬鹿みたいに剣を振り回していた僕が晒していた『空白』に全身を捩じ込んできたエリオラさんが、ガラ空きだった僕の腹部に拳を叩き込みやがった。
くそっ……痛えぇ…………っっ!
「なにを呑気にしているのかな」
「————っっおわぁああっっ!?」
感じたことのないレベルの激痛に全身を使って悶えていた僕の元に届くは底冷えした声音。その正体は、涙を浮かべている僕のことを冷酷に見下ろしているエリオラさんだ。
そんな彼女の『気配』にゾッと肌を泡立たせた僕は、ほぼ無意識に両足で地を蹴って、元いた場所の横手へと飛ぶ。
すると『ドゴンッ!』という甚だしい重打音が鳴り、僕の鼓膜が揺れた。一気に噴き出させた汗を顎先から滴らせる僕の目前には、その音を鳴らした、先程まで僕が背をつけていた樹木を蹴り一発で砕き、そして倒した彼女の姿が。
「真正面からだと絶対に勝てないよ。君は、私にさ。なら使うしかないだろ、風の寵愛を。君が宿している加護を」
「かっ、加護を使えったって……ど、どうやって……っ」
完全に腰が抜けてしまった僕の方へと顔を向けてきたエリオラさんは、僕が吐き連ねた弱音に表情筋を微動させる。
「私は加護を持っていない。だから使い方なんて知らない。でも、君は物心ついた時から宿したいたんだろう? なら、使えるはずさ。だから私は『使え』と言っているんだよ」
「む、無茶苦茶でしょ…………っっ」
「君は次代の勇者だ。なら、加護を使えて当たり前だろ」
その言葉を最後に吐いたエリオラさんの姿が突如として僕の視界から掻き消える。それに合わせてか、僕の頭蓋を鷲掴みにする感触が忽然と現れた。
僕が眼球を動かして発生した影の方に視線を送ると見えたのは、僕を投げ飛ばそうとし、そして荒々しく投げてみせたエリオラさんの姿で。
「————っうわああああああっっ!?」
空気のように軽い綿が詰め込まれている人形かのように軽々と投げ飛ばされてしまった僕は、目まぐるしく二転三転していく視界により敢え無く平衡感覚を消失させながら、一向に衰えない直線運動に対して顔一面に絶望を浮かべた。
「君は自分を縛ってる。その縛りを、長年の日常の中でつけられてしまった『枷』を外さなきゃいけないよ」
そんな状況を終わらせたのは、僕のことをぞんざいに投げ飛ばした本人であるエリオラさんだった。
彼女は僕の勢いよりも速い駆け足をもって追いつき、抵抗虚しく暴れ回るだけであった右足を掴んで止めた。
完全に宙吊りになってしまっている僕は、逆さに見えている彼女に問い掛ける。
「かっ、枷っ!? どういうこと——っカッッッ!?」
ドゴンッという今日一番の轟音が耳に届いた直後、甚だしい背中から衝撃を受けて許容限界を超えてしまった僕の意識は暗転する。
それはエリオラさんが掴んでいた僕の足を振りかぶって半円を描くように地面に叩きつけたせいだ。
「………………————ぅッがあがぁっっ!?」
完全に落ちてしまっていた僕は、再び背中から脳に走り抜けていく甚だしい衝撃によって強引な覚醒へと至らされた。
エリオラさんは離さなかった僕を投げ飛ばして、十数メートルは離れているところにある樹木に打つけたからだ。
樹木に打つかって全く無事ではないにしろ意識を取り戻すことができた僕は、あまりの激痛に襲われて悶え苦しむ。
地面で倒れながら苦悶の声を上げている僕のもとに一人の影が覆いかぶさった。一時の沈黙の後、影は口を開いた。
「君はさ、まだ『お母さん』の言っていることを守っているんだよ。だから『忘れてほしい』んだよね。今はさ」
「母さん…………っ!? 忘れるっ!?」
「そう。君はまだ『お母さんとの約束』を無意識に守っているじゃないのかな。だから『風の加護』が上手く扱えていないのではないかって、私は思っているんだよね」
「————そ、そんなっ、わけが……っっ!」
「本当に勿体無いんだよ。誰もが知る伝説。最強の『勇者と同じ力』を持っているのに、そんなんじゃさ…………」
「僕は勇者じゃないですよっ…………普通の人間なんですよぉっ……なのにっ、づぅぅ……っっ………………っ?」
震えてしまう両手でなんとか立ち上がろうとする僕にエリオラさんは、失禁しそうになるくらい冷たい目を向けた。
「————————」
僕はその目を向けられて、咄嗟に言葉が出なかった。いや正確に言えば、冷然としている彼女の視線を浴びて息を忘れてしまっていたのだ。
心身の芯すらも凍えさせるような眼差しを前にした僕は『まさか』という想像を働かせる。まさか、この人は僕を『殺す気』なんじゃないのか? と。
「————っっっ!?」膝が震えて立ち上がれないっ!?
背筋が凍る。冷や汗が止まらない。これ、これ。エリオラさんが僕に向けてるのって『殺意』なんじゃないか!?
「ヒュッ」と浅い息が口端から漏れるのと同時に、僕は無意識下での全力で地を蹴り飛ばして『回避行動』を取った。
その瞬間。
僕がさっきいた場所から甚だしい爆発音が轟き、最初にエリオラさんが見せた疾駆の時以上の砂塵が僕の全身に襲い掛かった。
僕は回避の勢いを地面を転がって殺しきり、余裕のない素振りですぐさま立ち上がった。
そして僕が見たものは、爆心地に立つ『拳を突き下ろした』形で固まっていたエリオラさんの姿だった。
彼女の『拳』が着弾した地面は大きく爆ぜてしまっており、その場に生えていた木が根を剥き出しにした状態で音を立てて倒れていく。
常軌を逸した膂力を地面に放った彼女は幽鬼のように『ゆらり』と身を起こし、こっちを見た。
マジだ。この人は殺す気だ。殺すことも辞さないと伝えている。逃げなくちゃ、今すぐ逃げないと殺されるっ!!
僕は先のエリオラさん同様、初めの疾駆以上の力強さを持って地を蹴り砕き、全力の逃走を開始。
冒険者がいるだろうフリュー大森林の入り口がある東に向かって無我夢中で走って、殺意を向けているエリオラさんから逃げ出した。
「はっ、はっ、はっ——ぅうあぁぁああっっ!」
逃走中、後ろから『ガサガサ』と葉を揺らす音が聞こえ、エリオラさんが僕を追いかけてきていることが分かった。
さっき以上の殺意を感じる。もしも追いつかれたら、追いつかせてしまったら、間違いなく死ぬ。絶対に殺される。
僕は生まれて初めて狩られている。今知った。肉食獣に追われる小動物の気持ちを。ただの餌が抱く絶大な恐怖を。
圧倒的な力量さ。勝てるわけがない。
そのことを理解し、僕は必死に生きることを望んだ。
なのに、走っても、走っても、ついて来ている! あの、《《怪物》》が……!
「はぁ、はあっ、はあっっ————!?」
無我夢中で走る僕は何故か過去を思い出していた。
エリオラさんに指摘された、僕を縛る過去を。
初めて『風』を出せた時のことを。あの時の『母の言葉』を————




