表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生したけど断罪が怖くありません  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第1話 恐れ入りますが、受理番号をお教えいただけますか


「──マリアンヌ・シュタルク。お前を、断罪する」


講堂の空気が、一瞬で変わった。


五百人はいるだろう。学園の卒業式典に列席した生徒、教員、来賓。その全員の視線が、壇上の私に突き刺さる。


声の主はセドリック・ヴァレンティーノ殿下。この国の第一王子にして、つい数秒前まで──私の婚約者だった人。


「聖女候補エルミーラ・フォンティーヌへの度重なる嫌がらせ、陰謀、名誉毀損。その全てについて、ここに糾弾する!」


殿下の声は講堂の天井まで響き渡った。さすがの演説力だと思う。こんな場面じゃなければ感心したかもしれない。


その腕に縋りつくようにして立っているのは、エルミーラ嬢。涙で頬を濡らし、殿下の外套の裾をきゅっと握り締めている。


「……わたくし、もう耐えられなくて……っ」


小さな声。だけど講堂中に聞こえる絶妙な音量。客席の令嬢が何人か、もらい泣きを始めた。


……上手いな、と思った。


あの声の震わせ方、あの俯き加減、あの涙の零し方。相手の同情を引く技術としては──前世の経験から言わせてもらえば──ほぼ満点だ。


前世。


そう、前世だ。


断罪の言葉が耳に叩きつけられた瞬間、何かが割れた。頭の奥で、薄いガラスの膜みたいなものがぱりんと砕けて──その向こう側から、二十五年分の記憶が怒涛のように流れ込んできた。


白いブラウスにグレーのスーツ。デスクの上に積み上がった苦情報告書。受話器を肩で挟みながらメモを取る自分の手。怒鳴る客、泣く客、脅す客。上司の「片桐さん、三番に大口のクレーム入ってます」。終電を逃した夜の駅のホーム。


片桐真帆。享年四十五歳。


某大手デパートお客様相談室、統括課長。


クレーム処理歴二十年、年間処理件数三千件超。表彰七回。胃薬は常備。恋人いない歴イコール年齢。


……最後のは別に今いらない情報だった。


頭がぐらぐらする。目の前で殿下がまだ何か叫んでいる。エルミーラ嬢の嗚咽がBGMのように続いている。五百人の敵意の視線。


怖い。


足が震えている。指先が冷たい。逃げ出したい。泣きたい。


──でも。


(落ち着いて。落ち着きなさい、片桐真帆)


ゆっくり、息を吸う。


体の奥で、スイッチが入る音がした。


前世の私は知っている。こういう場面を。何百回も。何千回も。相手が怒鳴り、周囲が敵で、自分だけが矢面に立たされる場面を。


クレーム対応の鉄則──初動三十秒が、全てを決める。


「──恐れ入ります、殿下」


私の声は、自分でも驚くほど平らだった。


講堂が少しだけ静かになる。被告が口を開くとは思っていなかったのだろう。


「お話の途中で恐縮ですが、一点だけ確認させていただいてもよろしいでしょうか」


セドリック殿下の眉が寄った。


「……何だ」


「本件の被害届について、受理番号をお教えいただけますか」


沈黙。


殿下が、エルミーラ嬢が、ヴィクトル・ロサリオ卿が──一瞬だけ、固まった。


「受理番号だと?」


「はい。学園則第八章第三条に基づきまして、生徒間の紛争処理には、学園事務局への被害報告書の提出と受理番号の交付が必要とされています。断罪にあたる処分は、学園長の承認を経た上でのみ執行が認められる、と」


自分でも驚いていた。学則なんて読んだ覚えはない。でも、前世の記憶が叫んでいる。


──どんな組織にも、手続きがある。手続きのない処分は、処分ではない。


二十年間、あらゆる企業のクレーム窓口と交渉してきた経験則が、背骨のように私を支えていた。


「そのようなものは──」


殿下が口ごもる。客席がざわつき始めた。


(ああ、ない。やっぱり、ないんだ)


「恐れ入りますが、書記官の方」


私は壇上の端に控えていた式典書記官に声をかけた。


「この場でのやり取りを、正式な議事録として記録していただけますでしょうか。処分に関わる内容ですので、記録の保全が必要かと存じます」


書記官が困惑した顔で殿下を見る。殿下は何も言わない。書記官は小さく頷いて、羽ペンを構えた。


(記録は証拠。証拠は武器。覚えておいて、未来の私)


セドリック殿下の顔が赤くなっている。


「手続きなど──この場に被害者本人がいる! エルミーラが証言している! それで十分だ!」


「もちろん、証言は重要な証拠のひとつです。ただ、本件の罪状は複数にわたり、いずれも具体的な日時と場所を伴うものかと拝察いたします。事実確認のための正式な手続きを経た上で、改めてご判断いただくのが、殿下の名誉をお守りすることにも繋がるのではないでしょうか」


殿下の名誉。この一言を入れるのが大事なのだ。


クレーム対応の基本──相手を追い詰めない。逃げ道を残す。「あなたのために言っている」という構図を作る。


客席のざわめきが大きくなっている。さっきまでの「断罪されて当然」という空気が、ほんの少しだけ揺れた。


「──殿下。本日の処分は"仮決定"として記録し、正式な審議は後日に委ねるという運びではいかがでしょう」


壇上の隅から、低い声が響いた。


学園長だ。老齢の魔法師は杖を突きながら、殿下をまっすぐに見つめている。


「学則に照らし合わせるならば、シュタルク嬢の指摘は正当である。手続きを経ぬ処分は、後に禍根を残しましょう」


殿下の拳が震えた。


「……いいだろう。仮決定だ」


その声には、押し殺した怒りが滲んでいた。


「ただし──」


殿下は私を睨みつけた。その瞳には、嫌悪と屈辱がむき出しになっている。


「婚約の破棄は、この場で確定させる。マリアンヌ・シュタルク、お前と私の婚約は本日をもって解消とする。二度と──二度と、私に関わるな」


婚約破棄。


ああ。


不思議と、その言葉には痛みがなかった。


前世の記憶が流れ込んできた今、セドリック殿下への恋心──元のマリアンヌが抱いていたはずの感情は、もう私の中にはない。ただ、目の前にいるのは不当な処分を力で通そうとした若い男で、私はそれに手続きで対処しただけだ。


「……承知いたしました」


一礼した。


深く、正確に、デパートの接客マニュアル仕込みの四十五度。


顔を上げた瞬間、視界の端に人影が動いた。


壁際に立っていた騎士が、一歩、前に出ていた。


式典の警護担当だろう。灰色の軍服に長剣を佩いた、背の高い男。表情は──ない。鋼を流し込んだような無表情。氷点下の湖みたいな灰色の瞳が、こちらを見ている。


いや、こちらを見ているのとは少し違う。


私の──手元を、見ていた。


(……手、震えてる)


そうだ。声は震えなかった。前世で鍛えた声帯と横隔膜は裏切らなかった。でも手は──ずっと、小刻みに震えていた。


あの騎士は、それに気づいていたのだろうか。


考える暇はなかった。講堂がざわめきに包まれる中、壇上を降りようとした私の前に、一人の侍従が膝をついた。


「シュタルク嬢。──王妃殿下がお呼びです」



王妃殿下。


ゲームの記憶を掘り返す。セドリック殿下の母、イレーネ王妃殿下。旧ベルクハイム公爵家の出身。攻略対象の母親として数回登場するだけで、セリフもほとんどなかったはず。


なぜ、今、私を?


侍従の背中を追いながら、私は無意識に自分の手を見た。


まだ、微かに震えている。


(……お疲れ様です、片桐統括課長。初動三十秒、なんとか及第点でした)


心の中で、前世の自分に一礼する。


講堂の外に出ると、春の風が頬を撫でた。花の匂い。鳥の声。穏やかな午後の日差し。


──さっきまでの地獄が嘘みたいだ。


侍従が振り返り、丁寧に告げる。


「こちらへどうぞ。王妃殿下は、お待ちです」


何が待っているのか、分からない。


でも、一つだけ分かっていることがある。


この世界がゲームの中だろうと、そうでなかろうと──クレーム対応のプロは、記録を残す。手続きを踏む。そして、怒りの奥にある「困りごと」を見つけ出す。


二十年かけて染みついた習慣は、たぶん──いや、確実に。


異世界でも、使える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ