06.不釣り合いな笑顔
「なあアイル、因みに今日は何か予定とかあるのか?」
狭いリビングの中央で、小さな丸テーブルに向かい合わせで座り、共に両手を合わせ「ごちそうさま」の所作をしたあとに、ご満悦そうに椅子に背中を預け、お腹をさするアイルに、今日1日の予定を聞いてみた。
「予定?」
「そう予定。例えば学校とか、近所のお友達と遊びに出掛けるとか、そんな予定はあったりするのか?」
「学校… は、よく分からないけど、私は友達もいないから、ママの想像するような予定はないかなぁ…」
「うっ… すまん」
「あ、でも近所のお爺ちゃんの家に読み書きを教えて貰いには出掛けるよ?」
「読み書き?」
「うん。ママから〝お勉強は大事だから、昼間はそこに行って時間を潰してなさい〟って、パパがいなくなってからいつも言われてたから、私は太陽が真上にある間は殆どそこにいるの」
異世界に来てまだ二日目の俺は、今日一日をどうやって過ごそうかなぁ…と、そういえばアイルには何か予定とかあるのだろうか…と考え、何気無くした質問に返ってきた答えは、なんとも胸を抉られるような寂しく悲しいものだった。
「……因みに、その間俺はいっつも何してた?」
「よく分からないけど、家に帰るといっつも『忙しい、あー忙しい』って言って走り回ってたよ」
…それは昼間何もしてなかったツケを、焦って取り戻そうとしてただけじゃないのか?
娘がいない間ただゴロゴロしていただけだから、せめてもの親の威厳を保とうと、言葉だけを強調して、忙しいフリをしていただけなんじゃないか?…と思ったが、そこは黙っててやる事にした。
「つまり俺はニートだったと」
「ごめんママ、本当に何言ってるか分からない」
「家事も碌にせず、子供の面倒もよく見ないで、旦那に出ていかれた寂しい自分に酔いしれるだけの… 被害者面の加害者女だったんだな?」
「お願いだから、もう少し分かりやすい言葉で喋ってよママ」
「つまり働いてなかったんだな? と、言いたい」
専業主婦という生業すら疎かにして、娘に暴力振るって嘆き悲しんでるだけの駄目人間だったんだなと。
そんな俺の問いに、うーん…と悩んだ後、アイルは静かに「…まあそうだね」と、頷いた。
金銭面はどうしてたのか? と尋ねてみれば、「パパが残していったお金で何とか生活してたよ」と言い、リビングから離れ再び寝室に戻り、ベッドの下にある隠し金庫を開けて見せてくれた。
中身は殆どすっからかんだったけど。
日本円に換算してどれくらいの価値か分からない、知らないオッサンの顔が書かれた紙幣が数枚あるだけだったけど。
これでどれぐらい生活出来るのか? と尋ねてみれば、「切り詰めて2週間くらいかなぁ…」と、アイルは顎に指を添えて、少し難しい顔をしながら答えてくれた。
2週間だと、たった2週間。
俺とこの子が平和にこの家ですごせる時間は、もって僅か2週間だと。
「まったく… 本当に自分の事しか考えてない奴だったんだな…」
「ねえ、誰のこと?」
ポツリと呟いた俺の言葉に、キョトンとした顔でアイルが尋ねてきたが、お前の母親の事だよと伝える気にはなれなかった。
どうせ〝死ぬんだからどうでもいい〟とか考えていたんだろう?
〝後の事なんかもう知らない、どうでもいい〟って。
そこまで追い詰められて可哀想だとは思うが、残される子供の為に、せめて財産くらいは遺していってやれよ…と、俺は思うのだ。
似たような道筋を選んで、似たような結末を選んだ俺だけど、俺を慕って尻尾を振ってくる奴がいる間は、死に物狂いで生きたぞ…と、そっとアイルの頭を撫でながら思った。
「わっ、えっ、な、なに急に!?」
「気にすんな。 …ガキなんだから金のことまで悩む必要ねえよ」
まずは金銭面から何とかしねえとなぁ…と、俺は顔を赤らめて恥ずかしがるアイルと一緒に、膝を抱えながら空に近い金庫の中身をジッと見ていた。
◆
「はやく、はやくー」
「そう急かすな。 …初めて見る世界なんだ、少しは堪能させてくれ…」
「えー、なんてー?」
「聞こえなくていい台詞だから、気にすんな」
田や畑が広がる世界を、パッと見て日本の農園に近いような風景の世界を、アイルと共に手を繋いで歩く。
まだ太陽が昇ったばかりだというのに、働き者の村人達は、既に籠を背負って刈り入れの作業をしていた。
行く先々で擦れ違う人々は、俺を見て少し驚いたような顔をしてから会釈をしてくる。
おおかた、娘をほったらかして引きこもりだった母親が、嬉しそうに笑う娘と手を繋いで歩いてる事実に驚いているのだろう。
「俺じゃねえんだけど、仕方ねえか…」
「なんてー?」
「うるさい、前見て歩け。 転んでも知らねーぞ」
「はーい。 ふふふ」
働いてる人達の見た目は、やっぱりどこか俺の知ってる世界の人とは少し違かった。
妙に輪郭が整ってるというか、年老いて皺が増しても整然としているというか、緑や青といった髪色の人も多く見られて、すげえ既視感がある世界だけど、改めて「ああ、ここは異世界なんだなあ」と実感した。
「そのお爺ちゃんってのは、どこに住んでるんだ?」
「もう少し行ったとこー」
近所に住むお爺ちゃんってのは、特に血の繋がりもない、ただの物知り爺さんらしい。
この身体の元の持ち主も幼い時によく御世話になってたそうで、この村の子の殆どは、その爺さんに世界の常識や生きる為の知識、そして生き抜く為の強さを学んでいるらしかった。
「爺さんに習ってるのは、今はアイルひとりだけなのか?」
「そうだよ、前は他にもいたけど街に引っ越しちゃった。 この村で唯一仲の良かった子だから少し残念だけど、仕方ないよね」
確かに見掛けるのは爺さん婆さんばかりで、皺1つない俺とアイルが歩いてるのはかなり違和感がある。
それもまあ仕方のない事かなと思う。
ある程度自立出来るようになれば、故郷を離れ都会に出ていってしまうのは日本でもよくある事だから。
「アイルもいつかこの村から離れたいか?」
「どうかな? 私はママがそうしたいなら、それに付いていくだけだよ」
「……」
自分意思より他者の意思を尊重する。
日本でなら誉められたそれは、立派な社畜精神であるそれは、この大空の下じゃ酷く不釣り合いだ。
「…もう少しさ、アイルの考えを大事にしていいんだぞ」
「うーん… ごめんママ、今はちょっとよく分かんないや。へへへ」
「そっか…」
あっけらかんと笑うアイルの顔を見て、俺はそれ以上の言葉をいうのを止めた。
縋り付きまくってた子にさ、急に手を払って自立しろだなんて、そんな台詞を浴びせるのは、どんな暴力や暴言よりも残酷な気がしたんだ。




