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03.共依存の関係

 ────どんなに相手が恐くても、どんなに相手が鬱陶しくても、互いに自立できず、離れることに強い恐怖や抵抗を感じてしまう事を共依存の関係というらしい。


 今日も母親(ママ)に怒られるかなぁ… と、ビクビク毎日をすごす娘は、それでもかつては優しかった母の愛情を思い出し、時折見せるふとした優しさに、過去の残影を重ねて縋りつく。


 ああ、なんてあの子は鬱陶しいのかしら… と、自分の幸せばかりを追い求め、縋りつく娘に苛立ちを募らせる母親は、それでもかつてはお腹を痛めて産んだ愛しい我が子である事を、瞬間的な爆発のあとに思い出し、泣く娘を見て謝りながら抱き締める。


 ごめんね、叩いてごめんね。

 ううん、いいんだよ。 私が馬鹿なのが悪いんだもん。

 今日は貴女の大好物を作るから…

 えへへ、お母さん大好き!


 (いびつ)すぎる親子関係は、はたから見ればかなりの異常であるが、当の本人達は気付かない。

 誰に指摘されようと、それが幸せであると疑わない。


 幼女が俺を慕うのは、きっとそんな依存体質から来るものなんだろうと思う。


 依存していた母親がいなくなったと思いたくない。

 その口調と態度から、どう考えても別人であると考える人間を、自分の母親だと信じておきたい。

 いなくなったら自分が壊れてしまうから、自己暗示を最大限にかけて、その脳内にこれが自分の母親だと刷り込んでいるのだ。


()()、今日の夕飯はなぁに?」

「カップラーメンとか、この家にはねえのか…」

「カップ… なにそれ?」


 ……料理なんか作った事がない俺は、ベッドから降りて、手を握られながら案内された石造りの台所で、その日の夕食を質問する少女の腕に、幾つかの痛々しい痣を見つけた。


 ……そういや、それでも小次郎は、どんなに叩かれてもアイツらを見つけると縋るように鳴いて、震えながら懸命に尻尾を揺らしていたな… 

 と、思い出せる愛犬の姿を重ねて、その純真な瞳を見て、関係のない部外者である俺は、その歪んだ愛情の形になんだか泣きそうになった。


 ◆


 案内された室内は、ボロい外観とは裏腹に、意外と生活環境が整った場所だった。


 手始めに案内された浴室には、レンガ造りの浴槽があったし、水を出して浴槽に貯める蛇口も、日本の風呂同様に設置されていた。

 木製の風呂桶もあったし、身体を洗うスペースも確保されていて、そこだけ見ればまるで異世界ではないような気分に陥った。


 かなり古風でみやびな雰囲気の旅館に足を踏み入れてしまったような、現代日本で都会から外れた田舎町に旅行に来たような、そんな気分に陥った。


 想像していた異世界よりは遥かに文明が進んでいて、俺はてっきり弱肉強食の、魔物を狩って夜営して、風呂なんてものは富裕層だけが毎日入れるような世界なんだと思っていたから、少しだけ拍子抜けした。


 かなり年期が入っていて、掃除してないのか(ふち)が錆びて、表面にヒビが入った鏡も浴室に連なる洗面所にあった。

 同じくレンガ造りの洗面台に手を置いて、鏡を覗けば幼女の瞳に映っていた者と同様の、まだ若い、恐らく20代前半の銀髪のショートカットの女性が寝癖混じりに映っていた。


 どうでもいいが結構な美人さんである。


 ……ただ不可解な点は、蛇口はあっても捻る箇所がない事だった。

 捻る箇所がないのだから、温水と冷水の切り替えが出来そうな様子はないし、この世界の者は全員、水風呂で身体を癒してるのかと、不安になった。


「料理って言っても、火を点けるレバーがないじゃないか…」

「レバー?」

「こう、カチカチカチって捻るやつだよ。 それがなきゃあ何も作る事は出来ねえぞ?」


 フライパンの乗ったコンロのような台はあっても、それを使用する為の装備がない。

 まるで子供向けの()()()()()のキッチンみたいな場所に立たされた俺は、これで俺にいったいどうしろと? と、ずっと手を繋ぎっぱなしの幼女に尋ねてみた。


「魔力をあの石に通せばいいんだよ? ママ、そんな事も忘れちゃったの?」

「……魔力? あの石?」


 幼女の差した指の先を見れば、長年使われていなそうなフライパンが置かれたコンロの下の中央に、赤い丸い石が埋め込まれていた。


「あそこに魔力を通せば火が出るの。 魔法は使えなくても、みんな少しの魔力は持ってるから誰でも使えるし、この世界の人達はみんな知ってる事だよ」


「みんな……」

「そう、みーんな。 炎石(えんせき)に魔力を通していいのは十歳になってからだけど、みーんな知ってるし、きっと内緒で使ってる子もいると思う」


 そういえば…と、浴室の蛇口の下には青い石があったし、洗面所の蛇口付近にもその石が埋め込まれていたのを思い出す。


 レンガ造りの浴槽の中央にも赤い石が埋め込まれていたから、()()の話から分析すれば、きっとそれで自分好みの温度に調節しろって事なんだろうな… と、勝手ながらに理解した。


「なあ… 物忘れついでに、すげえ失礼な質問するけどいいか?」


「なに?」


「お前の名前はなんて言うんだ? あとついでに俺の名前も」


「え……」


 困惑する幼女に、流石に申し訳無さを感じる。


 だけど聞くなら今しかないと思った。

 後々になってから、俺と少女の関係が今よりずっと縮まって、『あ、そういえば名前なんだっけ』と、すっとぼけて聞くよりはマシだと思った。


「アイル… 私の名前は()()()だよ、ママ……」

「アイル…」

「そう。 そしてママの名前は()()()()。 …今度は絶対忘れないでね」


 繋いだ手を先ほどより少し強めに握りながら、幼女は、アイルは、俺を真剣な眼差しでジッと見上げてきたのだ。


 泣きそうな顔で。

 もう二度と離れないで、というような顔で。

 もう絶対にこの手は離さないで、というような顔で。


 会社に向かう俺を見送る小次郎と同じような表情で見つめてきたのだ。


「なあ、アイル… 今日は特別にあの石に魔力を通してもいいぞ」

「え… だってママ、いつも私が少し近付いただけで怒ってたのに」

「今日は… というか暫く、俺は調子が戻りそうにないからアイルに頼む事になると思う。 今の俺は、どうにも魔力というものを上手く使えないらしいからさ…ホラ? …な?」


「ホ、ホントだ…」


 ジッと、繋がれていない左手を見ても、なんの感覚も得られない。

 ソッと近付いて、繋がれていない左手を石に預けてみても、なんの変化も起こらない。


「お… 怒ったりしない?」

「俺が許可してるんだから、する訳ねえだろ」


 恐る恐る石に手を翳したアイルの前で、フライパンの下にあるバーナーキャップのような火が出る部分に小さな炎が灯った。


「わぁ… 炎だ… すごい、結構魔力を使った気がするけど… いつものママより全然火力は弱いけど… これ、私が出したんだ… わああ…」


「うそだろ… マジか、マジでつきやがった…」


 それは前世でよく目にした青白い炎ではなくて、ロウソクの炎のように紅く綺麗な灯りが、目をキラキラとさせて眺めるアイルと、魔法だなんていう言葉を聴いて、実際は半信半疑だった俺の前で、この異世界が現実である事を突き付けるように揺らめいていたのだ。

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