02.愛犬の願い
「さて、小次郎よ… お前の願った通り、お前の御主人とやらをキチンと次の運命に導いてやったぞ」
「わぅふっ」
「ふむ、そうも嬉しそうに尻尾を振られたのでは、私がこれからする質問が意地悪く聞こえてしまうではないか…」
「わぅふ?」
「そんな円らな瞳で、一切の邪念を持たないような顔で、何か不可解な点が? …とでも言いたげに、首を傾けられてものう」
俺の知らない場所で、元気に動く身体で、雲の上にお座りした小次郎が、純白の綺麗な白衣を纏った、サラサラと靡く長い金髪のやたらと美人な女性に、少し困ったように質問されて見つめ合っている。
「……本当に良かったのか? という話じゃ。 本当にお前はこれで良かったのかと、折角現世のカルマの鎖から解き放たれて、ようやく自由に動ける身体を手にして、お前の大好きな主人の言う通り、自由に何処までも二人きりで、この雲の上を散歩できるというのに、それで良かったのかと…」
「わん! わんわん!」
「……ふむ。 何度も聞くなか… 確かに少ししつこすぎる質問じゃったな… すまんな許せ。何せお前のような自分じゃない誰かの為に願いを口にするものは、この場所に来るのは非常に久しぶりじゃったから、ついつい興味を引かれてしまっての…」
『輪廻の変化天』と、呼ばれる雲の上には選ばれた者しか辿り着けない。
悪人は絶対に次なる運命を望めないし、欲にまみれた来世を希望する者は自ずと勝手に更なる試練が待ち受ける人生へと配属される。
ここに辿り着けるのは、悪意や強欲や他人を陥れるという考えを排除した、わりかし綺麗な心を持つ者達だけであった。
しかし、その中でも我が愛犬小次郎は別格で、これまで殆どの者が自分の次なる人生か、これからの安らぎを選んできたというのに、我が愛犬馬鹿な小次郎は、テメエの幸せをおざなりにして、俺の為に貴重な願いを使いやがった。
「〝御主人にはもっと自分の人生を楽しんで欲しい〟 〝優しい御主人には真の人と人との繋がりを知って欲しい〟 〝誰かを愛する喜びを御主人にも分け与えて欲しい…〟 〝僕と同じように、僕が御主人と出会えたように〟 …か」
つくづく主人思いな忠犬よのう… と、金髪の羽の生えた貫禄のある女性は呟く。
威厳たっぷりに、自信たっぷりに、全ての物事に対して余裕であるという顔から溜め息を吐いて、かつて俺が中指を立てた神様とやらは、小次郎の願いを少し嬉しそうに叶えてやったのだ。
「わん!」
「そうはしゃぐな、貴様の主人がここに来るまでまだまだ時間はある。 落ち着いてそこにお座りして、私と共に下界の彼の様子を眺めようではないか」
「わぅん?」
「ああ、失礼。 今は彼ではなく彼女だったな。 お前の願いには性別や年齢についてまでは希望は無かったから、おあつらえ向きのちょうどいい、ここに来るまでは至らない、魂が抜けたばかりの異世界のまだ若い女の身体に入れさせて貰ったぞ。 案ずるな、見た目は代わっても中身はお前の主人だ。 そう心配する事もあるまい。 きっと何やかんや言いながら共に暮らす事になる女児の面倒をしっかりと見てくれる筈だ」
……人と人との繋がりの大切さを、そこに生まれる優しさを、そして誰かを愛するという気持ちを、長い年月をかけてしっかりと、その子と共に学びとっていく筈だ…
と、したり顔の神様は言う。
そしてそんな神は、雲の中心にぽっかりと空いた穴を見下げながら、尻尾をブンブンと振る小次郎と共に、まだ出会って間もない俺と幼女の様子を観察するのだ。
相変わらず幼女と見つめあったまま、膠着状態でいる俺が、天界でそんな会話がなされている事を知るのは、まだまだ何年も、何十年も先の未来だ。
「わふ わふ」
その時、嬉々として久方ぶりに動く下半身の尻尾を嬉しそうに振る小次郎に、俺が感謝するか否かは、今のところ、にやけ顔で覗くクソッタレな神様にさえ分からなかった。
◆
「…なあ、ここはどこだよ?」
「えっと… アリララという小さな村です」
状況が分からないまま、壁にしがみついた凡そ6歳ぐらいの銀髪の美幼女に問う。
俺はベッドの上からそのまま、意外とハッキリとした受け答えをする幼女に、続けて質問した。
「俺は、お前のなんだ?」
「……おかあさんです」
「ここは異世界か?」
「いせかい? …すみません、それは分かりません」
「この世界の名は? 世界というか星の名は? 分かるか?」
「…えっと、みんなクルオービアって呼んでます。 私達はそこで産まれて、そこで暮らしてるって…」
「クルオービア? そうか、やっぱり地球ではないんだな…」
「ちきゅう……?」
ここで幼女は再び子供らしい顔つきに戻る。
受け答えのしっかりしていた年端もいかない女の子が、地球でいう幼稚園児ぐらいの純粋無垢な顔つきに戻った。
「……因みに、俺はお前のお母さんではないぞ?」
「え? じゃ、じゃあ誰なんですか?」
「誰って、俺は───」
あれ? 俺は誰だっけ?
確かに40年以上、地球という星の日本という国で暮らしていた記憶があるのだが、自分の名前がさっぱり思い出せない。
嫌いだった家族の顔はすんなり思い出せるのに、嫌いだった仕事の辛さも簡単に思い出せるのに、苦労や苦手なものの映像は直ぐに浮かんでくるのに、俺は自分がどんな姿をしていたか、なんと人に呼ばれていたか、なぜかさっぱりと思い出せないのだ。
「───俺は… すまん、俺は俺が誰だか思い出せない」
「じゃあ、やっぱりママなんだよ! きっと大量の睡眠茸をたくさん飲んじゃった副作用で、そうなってるんだよ!」
「……睡眠茸?」
近寄ってきた少女に腕を掴まれ、先ほどまで横になっていただろうベッドの脇を見れば、隣の木造りのボロボロの棚には、編み皿の上に大量の茸の柄の部分が10以上散らばっていた。
「お医者さん、言ってたもん。 それは一度に大量摂取しちゃダメだって、一回で沢山飲んじゃうと、危険だって。 …最悪は死んじゃうかも知れないって」
「……」
おいおいおいおい… 何だよそりゃ、そりゃあまるで、俺があのクソッタレな現世を去る時に使ったものと同じ方法じゃないか?
「ママ… パパが出ていってからずっと怖かった。 今みたいに近寄ったりしたらいっつも叩かれてた。 でも、今は叩かない。 きっと、言葉遣いは乱暴だけど、昔のママの性格に戻ったんだね? …お医者さん、言ってたもん。 それを一度に大量に飲んだ人は、死に至らずとも必ず何かしらの後遺症を持って目覚めるって… まれに前とは違う別な人間のようになって目覚める人もいるって」
「……随分と難しい言葉を知っているんだな」
「お勉強は大事って、ママにいっつも怒られてたから……」
「スパルタかよ…」
────遥か遠い星、もしかしたら別次元に存在するかも知れないクルオービアという訳の分からん星で、俺はどうしてか、自分という人間をハッキリと思い出せないまま、銀髪の幼女と共に手探りの異世界生活をスタートさせる事になった。
「だから、俺はママじゃねえって」
「じゃあ、誰?」
「────それは…」
「思い出せないなら、思い出せるまでママだよ!」
「……お前は」
「なに?」
「いや、何でもねえ……」
それでいいのか? お前はそれでいいのかと、何故かこの時の俺は、笑顔で縋りついてくる少女に、それ以上突っ込む気にはなれなかったのだ…




