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014.慚愧

 喜怒哀楽の感情表現は尻尾と吠え方の強弱だけで織り成される。


 怒っている時はヴーッ、痛い時はキャインッ、嬉しい時はワンワンッ、寂しい時はクゥゥン…

 尻尾をパタパタ振って、嬉しそうに歩いてた姿が今はとても懐かしい。

 あんな風に四本足で、しっかりと大地を踏みしめて、力強く吠えながら歩いてくる姿は、俺は本来なら小次郎(アイツ)にして欲しかった。


「…デカすぎんだろ、いくらなんでも…」


『グルル…ルル……』


 小次郎よりも遥かにデカい、ミニチュアダックスで部屋の中を走り回ってた小次郎よりも遥かに何十倍もデカい、芦毛(あしげ)で牙を大きく剥き出しにしたオオカミが、喜怒哀楽の()の表現を最大限にして、俺に近付いてくる。


 森の中から茂みを乗り越えて、美味そうな獲物を見付けたぞと言わんばかりに(よだれ)を垂らして、もしかしたらその感情は()に近いのかも知れないけれど、どっちにしろ無闇に無防備に、彼等の縄張り(テリトリー)に近付いてしまった俺は、完全なる大馬鹿者だ。


 身の丈3メートルに及ぶ、見たことねえけどホッキョクグマに近いぐらいの大きさの魔獣を目の前に、竦んだ足の脳内には、『逃げる』という脆弱な選択肢のひとつしか浮かんでこなかった。


「どうやったら、ここから『戦う』の選択肢が浮かんでくるんだよ… 教えてくれよ、異世界転生物語の始祖さんよ…」


 背中にある剣が、今はこの異世界では竹刀よりも頼りなく感じて、抜けば彼等と同等に並び立つと考えてた愚か者の馬鹿を、能天気に太陽の下を歩いていたあの馬鹿を、今からでも走っていってブン殴りたくなった。


 ◆


 ダダダダダダダダダッー……!!!


「…っざけんな、速すぎんだろあの犬コロ!」


 慣れないブーツで、慣れない大地を必死に走る。

 やたら頑丈なブーツはやたらと重くて、素足で履いてきたのを後悔するぐらいに、今はとてつもなく小指が痛い。


『グアア、グアアアア……!!』


「うるせえよ、もっと可愛げのある声で叫びやがれ! んな汚ねえ唸り声は聞いた事もねえぞ、俺の元相棒の口からは!!」


 叫ぶクソオオカミは、あの受付嬢の話では確か「グレアウルフ」だとか呼ばれていた。

 そんな凶暴な魔獣(モンスター)が、他にもウジャウジャいるから気を付けるようにと言われていた。


「ックソクソクソクソ、足がいてえ! なんで俺はこんな思いまでして、ここで生き長らえてんだ!?」


 街外れの草原はだだっ広くて、いったいいつの間に俺はあんな奥まで進んでいたのか本当に謎で、走れば走るほどその出口が遠ざかっていくような気さえする。


「ぜっ、ぜっ、ぜっ……」


 喉ん中はカラカラだ。

 急激な有酸素運動に目だって霞んできた。


 出口は段々と遠退いていく感覚に陥るのに、俺が焦がれていた世界は近付いてくるように感じる。

 あんな汚ねえ唸り声じゃなくて『うわん』って吠える奴の元に、もうすぐ行けるんじゃねえかって感じがする。


「行けんのか、俺はもうすぐ、小次郎(アイツ)の元に行けちまうのか…」


 手を伸ばせば届きそうな気分に襲われ、このまま足を止めてしまえば、こんな息なんか切らさずに、優雅に何処(どこ)までも、アイツと一緒に散歩できる場所に行けるんじゃねえかって、迂闊にも思っちまった。


 手を繋いで歩いてきた奴の顔を忘れて、思っちまった。

 ()()()()()って、約束した(アイル)の顔を忘れて思っちまった。


「……俺は… 馬鹿か?」


 足が止まった。

 首を長くさせて待ってるだろうアイルに、きっと勉強なんかそっち退けで窓の外を眺めてるだろうアイルに、俺は寂しい思いをさせてしまって良いのかと、唇を噛んだ。

 テメエの願望の為だけに、幼い少女を見捨ててしまって良いのかと、強く拳を握った。


「逃げんなよ… 馬鹿野郎… そんなんじゃあアッチに行って小次郎(アイツ)に笑われんぞ? 情けない御主人って、アイツに笑われんぞ…?」


 逃げんな、戦え。俺が逃げたらあの子は誰に縋って生きて行けばいい。

 諦めんな、抗え。俺が死んでしまったら、きっと今のあの子は壊れちまう。


「今は()()、まだアイルが幼い内は、絶対に死ねねえよなあ …なあそうだよな小次郎!!」


『グルアアアアア!!!』


 汚ねえ咆哮を掻き消すように、遠い空の上から力強く『うわん!』と叫ぶ、懐かしい声が聞こえた気がした。


「足掻いてやるよ、最後の最後まで、格好良いお前の主人でいてやろうじゃねえか…」


 もしかしたら気のせいかも知れねえけど、絶体絶命の俺が感じた走馬灯みてえな物かも知れねえけど、だけど弱腰で、死にたがりで逃げたがりな俺を奮い起たせるには、その声だけで十分だった。


 ◆


 ヒュオオオオオー……


「……くそ、身体が動かねえ…」


 だだっ広い草原に寝転がって空を見上げる。

 生憎と飛んでない龍やグリフォンなんかさえ見れなければ、元いた世界と変わらない広く青い空だ。

 自分が異世界にいるという感覚さえ忘れてしまうような、広く青い空だ。


 ズッシリと身体に重くのし掛かるグレアウルフは、喉に突き刺さった剣をそのままに、そこから大量の血を流して今は息さえしていない。


「嫌な感触だったな… (つう)っ…」


 剣術なんて習った事もない、異世界チートなんて物が備わってる訳でもない、ただ若い女性の身体に魂を入れられただけの俺は、この世界のカースト最底辺だ。


 だから喉に噛みつかれる寸前に、致命傷だけを避けて剣を突き刺した。

 肩を大きく噛まれながら、その切っ先をガラ空きだった喉に突き刺した。

 それだけしか勝利の術はなかった。


 ()()()()と、嫌な感触が伝わって、噛み付かれた肩からは同じく大量の血が吹き出て、今は俺とグレアウルフの血が混ざって草原を赤く染めている。


「すまねえ小次郎… そしてアイル… 俺は、約束を守れねえかも知れねえ…」


 段々と意識が遠退いていく感覚に襲われる。

 流れる雲がやたら早送りで進んでいく感覚に襲われる。


 行っちまうのか…

 幼い子をひとり残して、俺は自分だけが安らげる世界に行っちまうのか…


 後悔と懺悔と、小次郎と同じ動物を殺めてしまった罪悪感に襲われながら、俺は広い空の下で静かにその意識を手放したのだった。

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