01.願ってない転生
「転生」だなんてよく言うけれど、「俺」は生まれ変わってまでもう一度人生を生き直すなんて、まっぴらゴメンだ。
生きてりゃ楽しいこと以上に辛いことが沢山ある。
生きてりゃ恐悦至極の高揚感以上に、死にたくなるような絶望感に襲われることが沢山ある。
不安に押し潰されそうで、一度入ったら抜け出したくなくなるような布団の中に潜り込んで、いない筈の神様なんかに「明日なんか来ませんように」って、そんときばかり崇拝したのは何度あった事だろう。
上っ面の友人関係に騙されて、呈の言い上司の励ましの言葉を真に受けて、愛情なんてとうに尽きた親子の慰めあいにゲロ吐いて。
信頼すべきパートナーを見付けて勝ち誇った顔して去っていく同級生たちには「地獄に落ちちまえ」と、笑顔の裏で中指立てて親指下げた。
「小次郎、逝くのか…?」
「クゥン」
そんな誰でも分かるような手話が、板についてきてしまった頃、15年前の30歳の時に我が家にやって来たダックスフンドが俺を置いて自由の世界へ旅立つ日がやって来た。
「……ゴメンな、碌に面倒見てやれなくて」
「クゥゥン」
そんな事はないさと言わんばかりに、薄情な親に早々に見捨てられ、俺の部屋で15年を過ごしてきた愛犬が目ヤニを濡らしながら力なく尻尾を振る。
可愛いだなんだ言って、店の人に笑顔で抱き締めた写真を撮って貰って、あんなにも頬擦りしてたくせに、少しでも手の焼く存在だと知ればハウスの中に閉じ込めてしまうから、本当に馬鹿な親だと思う。
愛情が向けられなければ反抗するし、善悪の判断がつかない彼等は人間がどうして怒っているか分かりゃしないから、恐怖で手だって噛みついてしまうだろう。
ニュースで誰かの動物虐待の話を聞いて怒りを奮闘させるくせに、テメエのやってる事には罪悪感を微塵も感じないのだから、本当に御立派な精神を持った親だと思う。
家に帰ってきて、額の比毛の下に亀裂が入っていて、茶色い綺麗な毛並みに余計な赤い模様が入った姿を見た時には、流石に怒鳴った。
『何をやってるんだ!』その声に帰ってきたのは悪びれもしない呆れた返答だった。
『言うこと聞かないから』『これぐらいしないとこの子たちは分からないから』『それに皆やってるし』どっから見付けてきたのか知らない自己防衛の正当性を振りかざす親を見て、お前らの方が畜生だろうと、同じ目にあわせてやろうかと、握った拳を振るいたくなった。
そんないざこざがあった次の日、仕事から帰宅すると小次郎が部屋にいた。
ケージの中で、尻尾を振って、俺を見てピョンピョン跳び跳ねてた。
……それからの事は割愛するが、親とはかなりの口論になった。
アンタらが見るんじゃなかったのか?
私達には手に負えないもの。
じゃあ、どうして連れてきたんだ?
こんな子だとは思っていなかったから。
責任感の欠片もない彼等に代わって、15年、どんなに仕事で疲れていても小次郎の面倒を見てきた。
はたきたくなる時もあった。
注意に反抗して噛みつかれた時もあった。
朝、起きたら部屋中がオシッコとウンチでまみれてた時もあった。
「それでも癒しだったんだ… 俺にとっちゃお前だけが唯一の拠り所で心残りだった……」
胴長短足犬は腰を悪くしやすいと言う。
ピョンピョン跳び跳ねるのも腰に負担をかけるから良くないという。
「何度叱っても止めなかったな… バカやろうめ」
何が嬉しいんだか知らないけど、こんな俺に会えて何が嬉しいんだか分からないけど、尻尾を振って馬鹿みたいに吠えて、馬鹿みたいにはしゃいでた奴は、案の定腰を悪くして、いつの間にか1ミリも自力では動けなくなってしまった。
「……すぐ追い付くからよ、すぐに俺もアッチに逝くからよ… お前のいない現世なんて留まる理由がないからよ… だから、だから、アッチ行ったら二人で思い切り散歩しような」
「……クゥン」
馬鹿なご主人とでも言いたげに、殆んど開かなくなった目で俺を見上げ、動けなくなった下半身の尻尾を振る。
生きる理由なんてない。
未だ健康で存命である両親の、これからの世話を見る気なんて毛頭ない。
勝手に痴呆になって、何処かの施設に送られて勝手にくたばればいい。
幸いにも俺には妹がいるからよ。
2、3回しか顔を合わせた事がない彼氏と、幸せそうに出ていった妹がいるからよ。
だから、後は全部お前に丸投げだ。
小次郎の世話も両親と一緒で録にしなかったお前に丸投げだ。
「なあ妹よ… 人に嫌なものを全寄せして、テメエだけ日の目が見える位置で、今を幸せいっぱいにすごしているお前に、これまでの苦労を少しは分け与えてもいいだろう? なに、あとは痴呆になった両親を施設に入れたりするだけなんだから、大した事はない筈だ。 お兄ちゃんが見るから私は関係ないと思っていただろうが、残念ながらその頼れるお兄ちゃんは、もうすぐこの世とおさらばさ」
最低な兄貴だと思うだろうか?
育てて貰った恩を忘れて、仇で返す最悪な親不孝ものだと思うだろうか?
残念ながらそうじゃない。
好きでこの家に産まれてきた訳じゃない。
母親と喧嘩した時に言われた「好きでアンタなんか産んだ訳じゃない」は今でも覚えている。
売り言葉に買い言葉だったけどよ、俺はそんとき、あの人達との縁は切れたと思ったんだ。
だから、お前だけ。
俺の心残りはお前だけ。
弱々しく尻尾を振るお前だけ。
「……わふっ」
「走ろうぜ小次郎。 誰にも邪魔されることなくたった二人で何処までも。 リードなんかいらないし、そこら中にウンコしたっていいからさ… 俺達は、俺達は自由だ。 これから一日中ずっとずっーと一緒だ。 一緒に走り続けるんだ」
「わふっ」
弱々しく、懸命に、小次郎は本当に最後の愛情表現を、その尻尾で表した。
◆
───程なくして小次郎は旅立った。
目から光を失って、ピクリとも前足を動かさなくなった。
そんで、そんで俺も、その日の内に、朝が来る前に、少しずつ買いだめしといた薬を大量服用して、アイツの後を追ったんだ…
◆
────時に世界はなんて残酷なんだろうと思う。
どうしてこうも俺を苦しめにかかるんだろうかと思う。
「ママ…」
死んだ筈の俺の目の前に、銀髪の幼女がボロ切れの布を纏って立っている。
扉なんてないドアの横からそっと顔を出し、どうしてか分からないけど一定の距離で、ビクビクしながら俺の様子を伺っている。
ガキなんて産んだ覚えねえし、そもそも俺は男だったんだからママなんて呼ばれる筋合いはない。
「よ、良かった… 生きてた…」
ガキの瞳には、幼女と同じ銀色の髪をした目付きの悪い女が、ベッドから身体を起こした様子が映っている。
「誰が、ママだ。 俺は、お前なんか、産んだ覚えはない」
「……ご、ごめんなさい」
掠れた声で、奇しくもあの時の母親と同じ台詞を吐いてしまった事を、俺はこれから先うんと後悔する事になる。
ああ、恨むぜ神様クソッタレ。
勝手に俺の願いを取り下げたクソッタレ。
何を見込んだか知らねえが、勝手に人に面倒事を押し付けた神様よ、俺は誰かの面倒を見るような器じゃ、そもそも無いんだよ。
「チッ……」
「ご、ごめんなさい…」
「ビクビク、すんな、鬱陶しい」
俺はボサボサの頭を掻きながら、かつては祈った布団の上で、どう見ても現代日本じゃない絵本の中のような場所で、窓ガラスなんかない木造のボロ屋の中で、勝手に異世界転生させた神様とやらに、再び中指を立てて親指を下げた。
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