戦った経験
「はぁー、俺様も早く大きくなりたいなー」
「オリオン様は十分大きいと思いますけど……」
「もっと背が伸びて、がっちりむきむきの重戦士のような体型になれば、アルティミスも俺様に惚れ直してくれるはずだ。そのまま、彼女をベッドに押し倒して……、ぐへ、ぐへへへ……」
オリオンはベッドの上でひっくり返ったゴキブリのように手足をばたつかせながら笑った。
その姿を見ているヴィミは引かざるを得ない。
学園初日が終わり、授業が本格的に始まる。
必修科目がルークス語、数学、魔法学、魔術学、体育、政治教育、現代外国語、人間関係・性・健康教育、宗教教育。選択科目が美術、技術(各武器)、人文科学。
選ばれた者しか入れないドンロンスクールに通っていた者でも、気を抜けば置いて行かれそうになるほど教育のレベルは高い。
一組から一〇組まで教育が変わるわけではなく、全て同じ教育が施される。
まだ、学園が始まって一週間も経っていないが、疲労困憊している者が続出した。それでも、教育の質は上がっていく一方。これくらい出来て当然だよね、と学園長から言われているような状態で、音を上げられない。
寮の中でも勉強に追われ、夜に眠らずに過ごす生徒もいる。
勉強だけではなく、実技もあるため、疲労がたまらない方が不自然だった。
そんな中、誰よりも不健康そうな体なのに、誰よりも気分が良さそうな男がいる。
オリオンは「ぶひ、ぶひっ、ぶひぁっ」と息を荒らげながら広い闘技場の中を走っていた。
体育の授業で、初っ端からマラソンをやれとアレックスに言われたのだ。
体育の授業は一〇の組がランダムに三等分され、合同で行われる。
一組と四組と八組が合わさり、皆でマラソンしている真っ最中だ。
オリオンが着ている体操服は汗でぐっしょりと濡れている。走るたび脂肪が動き、ボールが弾むようだった。
走るなど大嫌いだったが、今日はそんなこといっていられなかった。
「ほらほら、リオン、わたくしを捕まえてみなさい。そんなこと、今のあなたに出来ないでしょうけどね」
余裕で一組に入ったアルティミスは半そで短パンの体操服姿で、オリオンの前を走る。
頭脳明晰、運動神経抜群な彼女にオリオンと追いかけっこ中に負ける未来は見えない。
彼の体を少しでも痩せさせようという、彼女なりの配慮だった。
オリオンはアルティミスに抱き着きたいがために、腕を振って必死に走るしかない。すでに三週ほどの差がついているが。
「一位はライアンか……。やっぱ、速いな」
アレックスは懐中時計を持ちながら余裕の表情でゴールラインを通過したライアンの姿を見た。
スキルを使わずに身体能力だけを計る授業にて、ライアンは一.五キロメートルを三分三〇秒で走った。
上級生の中でも同じ速度で走れるものはごく僅かだろうと、呟きながら記録用紙に時間を書き込む。
「アルティミス~、まってぇええ~」
「ほらほら、まだ、一周しか走っていないわよ。頑張って」
赤子が立ち上がってよちよち歩くくらいの速度になっているオリオンと、母親かといいたくなるほど彼の面倒を見たがっているアルティミスは、他の生徒から見ても異質な存在だった。
両者の婚約を知るのは、ごく一部の者だけ。
それゆえに、彼女が彼に話しかける状況すら、謎めいている。
ほぼ全員が走り終えたころ、オリオンは未だに走っていた。
「リオン以外の者は、剣の素振りに入れ。手を抜くなよー」
アレックスは生徒たちに声をかけ、皆のやる気や技術力を探る。面倒臭い教職だが、危険がないぶん、冒険者のころより気が楽だった。
その分、仕事はある程度真面目にこなしている……つもりだ。
型に嵌っているが魔物や殺人者を倒すための気迫が一切ない素振りをこなすものばかりを見て、苦笑が零れる。
完璧超人のアルティミスですら、剣の型にはまっているだけに過ぎない。
成人になったとしても、まだまだおこちゃまだなと思う中で、一際異彩を放つ者が一人いた。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
アレックスの視線の先に、橙色の髪を靡かせるライアンの姿があった。
素振りを見ればある程度の実力は理解できる長年の勘を持つ彼の瞳はその者がすでに魔物との経験を積んでいるか否かがはっきりとわかった。
魔物と戦った経験があるかどうかは、童貞か童貞じゃないかくらいの差がある。絶対的な壁。
それを入学当時から突破している者に合ったのは初めての経験だった。
その瞳に、グラウンドでぶっ倒れている豚の姿などお笑い芸人のように、わき役という括りでしか映らない。
「ふぐぐぐぐ、こ、ここで倒れたままだったら、アルティミスに嫌われるぅ……」
オリオンは豚の角煮のようにプルプルの腕で体を持ち上げ、走り出す。
一.五キロメートルなど走る必要あるのかと疑問に思いながらも、大好きな人に嫌われっぱなしは嫌だと奮起し、三〇分かけてやり切った。女子ふくめても、ぶっちぎりで最下位。
「や、やったー、は、走り切ったぁ……」
オリオンにとって記録よりもやり遂げられたという達成感の方が大切だった。走るのは嫌い。されど諦めるのも嫌い。結構頑固な性格だ。
剣の素振りをこなす余裕はなく、すでに体力を使い果たした。
大空が透き通り、視界に抜ける。広大過ぎる大地に背中を預けている自分が、どれだけ凄い偉業を達成したのかと誇りたい一心だった。
ただ一.五キロメートルを走り切っただけだ。にも拘らず、大変満足そうに笑う。体力の枯渇により、眠気が迫った。
スーッと目を閉じれば、体が浮かぶように全身から力が抜ける。
そのまま、大空に浮いているような、大海原を漂っているような、はたまた、浮上しているような、降下しているような、不思議な空間に入り込んだ。
真っ裸で、自分を縛るものは何もなく、音も聞こえず、何も見えず、辛くも苦しくもない。
浮遊感がなくなり、地に足が付いたと思うと自然に覚醒した。
「ん……。はっ……」




