決闘
八階に到着。皇室の前に行く。そこにメイド服が破れ、体中あざだらけのヴィミが倒れていた。尻尾を強く握りしめられたような跡も付いている。
意識はない。だが「兄さん……」と呟いており、泣いていた。いつぞや見た睡眠中の彼女のよう。その時より、ずっと寒そうだ。
皇室に続く質のいい扉はすでに開け放たれていた。部屋の中はやけに静か。時が止まっているように見える。
「皇帝、お前はバーラト王国を裏切った。万死に値する」
歴戦の猛者を思わせる後ろ姿に、オリオンは気圧される。巨大な肉食獣の背中を見ているようだ。巨大なタルピドゥを始めて見た時より、勝てるイメージが湧かない。
「きさま……、アルティミスを人質にとるなど卑怯だと思わないか」
皇帝は椅子に浅く座る。顔から汗をにじませた。話し合いに持ち込もうとする。
「スキルを使っている奴らが何をいう。この女を解放するために俺はここにいる雑魚と戦った。それで誰も俺に勝てなかった。最後はお前だ。守ってばかりで情けない奴だな。自分の娘くらい守れないのか?」
皇帝を守っていた騎士達は皆、床に倒れていた。誰もカルティクに傷一つ付けられなかった。
カルティクが提案したのは、スキルを使わずに戦う決闘だった。
応じなければアルティミスを殺すと脅された皇帝は飲むしかった。
カルティクはスキルがなければただの人間といわんばかりに無双した。
「神からの恩恵にばかり頼っているから、こうなるんだ。スキルがなければバーラト王国がお前らに負けるわけがない」
「バカか、お前は。その肉体の強さは神と母の恩恵といわずに何という」
オリオンはカルティクの背後に立った。正装の内側に入れてある白い手袋を手に取る。大きく放った。
「決闘が望みならば、俺様が受けてたとう」
カルティクは踵を返す。右手に持っていたナイフを勢いよく投げる。床に落ちた手袋を串刺しにした。
「俺様の名前はオリオン・H・ハワード。公爵家の者だ。バーラト王国を落とし入れたのは皇帝ではない。公爵家だ。ならば、皇帝よりも先に俺様を始末するのが先だろう」
「公爵家。お前がヴィミの。良いだろう、受けてやる」
「その前にアルティミスを放せ。そのままでは、本気で戦えないだろう」
「ふっ……、腹が座っていやがる。ルークス帝国にもいるじゃねえか、わかってるやつがよ」
カルティクはアルティミスを壁際に放る。両手を握りしめた。拳同士を叩き合わせるとガラスが割れそうになるほどの爆発音が鳴り響く。
「俺の名前はカルティク・アシット・シン。全力を出すんだ。お前もスキルを使うといい」
「生憎、戦闘向きのスキルではない。だが、負けるつもりは微塵もない。俺様が勝てば、大人しく話を聞いてもらおうか」
「そんな未来は来ないと思うがな」
カルティクは絨毯が破れるほど力強く踏みしめた。超低姿勢で走り込む。その動きはロッドドックに似ていた。真下から喉元に食らいついてくるようだ。途中で短剣を拾う。瞬きの間に一〇メートル以上の間を詰められる。
喉元に短剣が迫った。その瞬間、女の裸体のように美しい艶めきを放つイナンナが鋭い短剣をはじく。
鉄の塊がぶつかり合う音が皇室内に何度も響き渡った。金管楽器を打ち鳴らしているのかと錯覚するほど甲高く、脳裏に響く。
「な、なにが起こっている……」
皇帝は特等席でオリオンとカルティクの戦いを見守っていた。
見えない攻撃と剣筋が重なり合う。一切引かない攻防が繰り広げられた。
娘の許婚であるオリオンをよく知っているつもりだった。だが近衛騎士を軽く捻るバーラト王国の者と真面に戦えるほどとは思っていなかった。
戦いと無縁なはずの公爵家の者がなぜ、と考えずにいられない。
「見た目に寄らず、よく動けるな。実戦経験が豊富なのか?」
「無駄話は良い。かかってこい」
オリオンの表情はいつものように平然としている。内側はぐつぐつと煮える油のようにいつ爆発してもおかしくない状態だった。正常に働いている理性が暴走を阻止した。
家族同然のヴィミをいたぶられ、許婚のアルティミスを人質に取られた。そのような悪夢は今まで見た覚えがない。
カルティクはオリオンの触れてはならない逆鱗に完全に殴り込んでいた。オリオンの底知れない雰囲気に当てられる。自分よりはるかに戦闘経験が劣りそうな少年に第六感が「危険だ」と反応した。困惑する。
最後の最後、チェックメイトまであと一手だった。そんなそばから勝利が逃げていく感覚に見舞われる。額に汗が滲む。
カルティクの失敗は先手でオリオンを仕留められなかったこと。速度、威力、経験、全てに勝っていると感覚でわかる。だが、あと少し届かない。
「おかしい。なぜ、俺の攻撃が届かないんだ」
カルティクは床が抜けそうなほど力強く加速した。オリオンの顔を粉砕するつもりで左拳を振るう。だが、紙一重で躱される。そのまま、流れるように回し蹴りに移行する。また空を切る。
「やっぱり、お前達、攻めしか知らないだろう」
オリオンは大きな隙が生れているカルティクの頬にイナンナを滑りこませる。
美しい花に棘があると言わんばかりに、鋭利過ぎる剣先は頬を裂く。
カルティクの反射神経も人間を優に超えている。だが躱しきれなかった。
頬に猫の髭のような傷が入る。赤い血液が流れ出る。
「攻撃が最大の防御って、親父からいわれてる。俺たちに防御は必要ないんだ」
連打に次ぐ連打。
皇室の壁や床は地震が起こったのかと疑うほどに激しく震えた。
皇帝は腰が抜けた。二人の戦いを見ている者は彼一人。あまりに強烈な死闘に外の寒さ関係なく、身が凍りそうだった。
いっそ、自分も気絶してしまいたいと思う。それでもオリオンとカルティクの姿を見続けた。
「おらおらおらおらっ。どうした、無駄口を叩いている割に余裕がなさそうに見えるぞっ!」
カルティクは戦闘民族らしく戦うのが楽しくなった。久しぶりに全感覚を使う。
雨粒の一滴一滴が見える動体視力。相手の行動を予測する勘。木材どころか石造りの建物すら崩壊させられる筋力。刺されれば死ぬ剣に臆さない精神力。息使いや心拍を聞き分ける聴力。三日三晩動き続けられる体力。
何もかも人間をはるかに凌駕する。
戦うためだけに生まれてきたような彼の攻撃は雨あられのように終わらない。




