第3話
記憶の花
放課後、澪は静かな図書室の一角で、ふと一冊の本に目を留めた。
『幕末人物記録集』――茶色の古びた背表紙が、棚の中で光の加減に淡く浮かび上がっている。
なんとなく、その本に引き寄せられるように指先が動いた。
触れた瞬間、胸の奥がズキンと痛んだ。
ページをめくる手が止まる。
そこに刻まれていた名前――
沖田総司
たったそれだけの文字に、なぜだか、頬を伝って一粒の涙がこぼれた。
理由もない。ただ、胸の奥で何かが叫んでいた。
彼のことを、私は知ってる――
教科書やネットで覚えた知識じゃない。
もっとずっと、深いところ。魂の奥に染みついたような、温度のある記憶。
「……会ったことがある、気がするの」
ぽつりと漏れた声が、紙の匂いとともに静かに宙に消えていく。
本のページの間から、遠い時代の風がふっと吹き抜けたような気がした。
遠くて、近い。
懐かしくて、切ない。
知らないはずなのに、どうしてこんなにも心が疼くのだろう。
その瞬間だった。
澪の心の奥で、小さな光がふわりと咲いた。
それは――記憶の花。
見えない場所にずっと眠っていた、優しく淡い想いが、そっと蕾を開きはじめていた。