幾度となく出会う彼 〜繰り返す転生で絡まる糸
(ああ。私はまた私だったのね)
誕生日の朝。
17歳になったばかりのアリスは、鏡を覗き込んだ瞬間に自分の輪廻転生に気がついた。
前世のアリスは、有栖という名の黒髪黒目の平民だったが、今世のアリスは、金髪で紫の目をしたシェラード侯爵令嬢のアリスとして生まれ変わっていた。
(マクフォード伯爵ご子息のリヒト様がリヒトだったんだわ……)と、以前見かけただけの彼が、共に転生を繰り返しているリヒトだと気がついた。
前世ではアリスと同じ黒髪黒目の平民だった理人とは、今世では貴族のリヒトとして出会うのだろう。
アリスはいつも17歳の誕生日の朝に、過去の人生を思い出す。
過去4回転生を繰り返したが、どの人生も似たようなものだった。
今までの過去が記憶としてよみがえると、(きっと今世も同じような人生ね)と、アリスの気持ちは重く沈んだ。誕生日の朝だというのに、深く長いため息が口からもれてしまう。
過去の人生は、どの人生も幸せとはほど遠いもので、苦しみと悲しみに満ちたものだった。思い出して喜べるはずがない。
(リヒト……)と、心の中で彼を呼ぶ。
名前を思い浮かべるだけでアリスの心を震わせる彼は、アリスのつがいだ。
この人生のリヒトは、マクフォード伯爵子息のリヒトで間違いないだろう。
一度見かけたことがあるだけで、言葉を交わした事もない彼だが、記憶を取り戻した魂が「彼がつがいだ」とアリスに告げている。
(まただわ)
リヒトの事を考えていたアリスは、何かに引っ張られる感覚に腕をさすった。
行ってみたいと感じる方向がある。「そこに行かなくては」と、見えない何かがアリスを引っ張っている。
この感覚も、今までの人生と同じだ。
つがい同士を結ぶと言われる運命の糸が、アリスをリヒトのいる場所へ導こうとしているのだろうか。
つがいを結ぶ運命の糸。
今の時代に「つがいを結ぶ運命の糸」なんて言ったら、古くさいと笑われるかもしれない。
今は「運命の糸」なんて言葉自体、聞かなくなった。
繰り返す転生ごとに、時代遅れになっていく言葉だ。
だけど運命の糸は、確かに存在する。
運命の糸で固く結ばれているから、つがいはどれだけの時を超えて生まれ変わっても、何度でも巡り合う。
それは終わりのない輪廻転生だ。
結ばれる糸に引かれて、同じ世界に同じような時期に生まれ、同じような時期に生を終える。
同じような時に生を終えるのは、つがいを失った者がひとり残される人生を嘆いて後を追ってしまうからだが、それもまた運命の糸に引かれていると言えるのではないだろうか。
現にアリスとリヒトも、何度も同じような時期に生まれ変わり、巡り合い、同じような時期に生を終えてきた。
自分の事でありながらも、奇跡のような話だと思う。
さらにこの奇跡に幸せな未来があれば、おとぎ話のような恋の物語になるだろう。
―――決してアリスにはない未来だ。
アリスの人生は、どの人生にも幸せはなかった。
運命の糸は、ただアリスとリヒトと巡り合わせるだけで、どの人生でもアリスの恋を実らせてはくれない。
要因となっているのが、アリスとリヒトの目覚めの時期のズレだ。
同じようなタイミングで生を受けたからといって、同じようなタイミングでつがいの存在に目覚めるわけではないらしい。
アリスの目覚めは17歳だが、リヒトは20歳の誕生日の朝まで、アリスがつがいだと気が付いてくれない。
目覚めに3年間の誤差があるのだ。
(きっと今回もリヒトの目覚めは3年後ね。………つがいの存在に目覚める時が同じだったらいいのに)
腕をさすりながらアリスは、過去の人生で切実に願っていた事を、また願ってしまう。
だけどどれだけ願っても、願いは叶えられる事はない。3年の誤差はどうしても縮まらない。
そしてこの時間差が、いつでも2人の運命を狂わせていた。
最初の人生からそうだった。
最初の人生で上手く運命が結ばれなかったせいなのか、その運命が引き継がれ、同じような人生が繰り返されている。
最初の人生でリヒトは、つがいの存在に目覚める前に、アリスではない他の女を選んでしまった。
その後リヒトが20歳の誕生日を迎えた朝に、輪廻転生を思い出し、「アリスの話していた事は本当だった」と気がついてくれたが遅すぎた。
結婚式の朝に最愛の存在に気づいても、そこには悲劇しか生まれない。
その人生のアリスは、結婚式の朝に新郎に逃げられた、リヒトの花嫁になるはずだった女に刺されて人生を終えている。
そこから繰り返される人生は、よく似た人生だった。
いつだってアリスは、相手の女によってその人生を終えてしまう。突然の心変わりを見せるリヒトへの怒りは、つがいのアリスに向けられるのだ。
前回の人生でも有栖は、理人の心変わりを逆恨みされて、理人の奥さんにお腹を刺されて人生を閉じていた。
誰にとっても不幸しかない人生だった。
過去4回繰り返した人生を同じように今回もたどるなら、アリスはこれからリヒトに猛アタックをかけていくだろう。
「私がリヒトのつがいなの」
「リヒトだけを愛しているの」
「私達は魂から結ばれているの」
一心に熱烈な愛情を見せるアリスは、今回もリヒトに「頭のおかしい奴」と引かれるだけで、全く相手にされないだろう。
押しても引かれるだけだと頭では分かっている。
(このままではまた嫌われてしまう。もっと冷静にななければ)と思うのに、リヒトを前にすると、あふれる気持ちが抑えられないのだ。
いつだって暴走してしまう。
きっとリヒトは今回も、アリスとは違う落ち着いた女に惹かれていくはずだ。
泣いてすがるアリスを、今回も鬱陶しく思うに違いない。
ふとリヒトがアリスに向けてきた目を思い出す。
今回の人生のリヒトも、軽蔑を含んだ目でアリスを見ながら、「もう付きまとわないでくれ。迷惑だ」冷たく言い捨てるのだろうか。
胸が痛む。
(苦しい。もう嫌だ。もうリヒトなんて愛したくない)と思っているのに、リヒトへの愛は増すばかりだ。
嫌いになりたいのに、嫌いになれない自分が嫌になる。
この悲しみも苦しさも愛しさも、ずっと繰り返されている思いだ。
3年後にリヒトの愛を得られると分かっている。
だけど3年間の冷遇期間の間に、他の女を愛して子をなすリヒトを眺めるだけの人生は、どれも苦しくて虚しいものだった。
20歳でやっと両思いになれても、喜びはほんのいっときだけだ。必ずリヒトの愛した女絡みで、アリスはリヒトの腕の中で最期を迎えてしまう。
リヒトとの人生は、歩み出す前に終わってしまう人生だった。
(今回の人生は、リヒトに執着するのを止めようかしら)
ふと思いついた考えに、前回の人生の最後の最後で、リヒトに伝えた言葉も思い出した。
「私、次の人生ではもうリヒトを愛さない。辛いだけだもの……」と、確かにアリスはリヒトに伝えた。
(刺されたお腹がドクドクと波打つ感覚も、狂ったように泣き叫ぶ女の声も、リヒトの後悔の声ももう聞きたくはない)と思いながら目を閉じていた。
(報われない想いが繰り返されるだけの人生なんて、もうたくさん。運命の糸を断ち切る方法はないかしら?………調べてみよう)とアリスは決心した。
(どれだけの年月をかけて、どれだけの古書を調べれば、運命の糸を断ち切る方法を見つけられるかしら?)と、長期戦を覚悟したアリスだったが、解決法はアッサリと見つかった。
その日の午後に開かれたアリスの誕生日パーティーで、教えてくれた者がいたのだ。
「アリス嬢、17歳おめでとう。―――僕が分かる……よね?今まで通り「アリスさん」と呼んでいいかな?」
パーティーの参加者への挨拶が終わり、ひと息ついたところで声をかけてくれたのは、ヘスティング公爵子息のカイだ。
アリスの誕生日パーティーには、初対面になるカイも参加してくれていた。
アリスの家のシェラード侯爵家とは何の接点もないヘスティング公爵子息から、パーティー参加の希望を申し出られた時は、戸惑いながらも受け入れたものだが、今ならその意味が分かる。
輪廻転生を思い出した今のアリスには、彼が何者かが分かっていた。
「もちろんです、カイ様。前の人生ぶりですね。私は侯爵家の生まれなので、今回は「カイさん」ではなく「カイ様」と呼ばせてもらいますね」と笑顔を返す。
初めて会った彼は、前の人生でも会った事がある。前どころじゃない。4回の人生全て、多少の差はあれ接点があった。
カイはアリスと同じく、輪廻転生を繰り返している者だ。
彼はアリスのつがいではないので、その人生ごとに生まれ変わりの時期がずれている人だ。
今回の人生で会ったカイの顔をじっと眺めてから、アリスは尋ねた。
「カイ様って今おいくつですか?今回は年が近そうですね」
「はは。前はアリスさんより8歳上だったからね。おじさんに見えただろう?その前はアリスさんが1歳年上のお姉さんだったよね。
今回はアリスさんの2歳年上の19歳だよ。僕もひと月ほど前の誕生日で、輪廻転生に気が付いたんだ。
シェラード侯爵令嬢がアリスという名の16歳のご令嬢だと知ってね。アリスさんだろうと思って、今日のパーティー参加を申し込んだんだよ」
優しそうな顔で笑うカイにも、運命の糸で結ばれたつがいがいる。カイの相手は、カイと同い年のサラという名の女性だ。
そしてサラはどの人生でも、アリスのつがいのリヒトと惹かれあって結婚する運命にある人だった。
サラが、カイを選ばずリヒトと結婚してしまうのは、カイとサラも目覚めに時間差があるからだ。
サラの目覚めもカイより遅い。
カイは19歳でつがいの存在に気づくが、カイと同じ年のサラは、29歳までカイがつがいだと認識する事が出来ない。
彼はどの人生でも、サラの目覚めを10年も待っている。
アリスとリヒト。
カイとサラ。
本来結ばれるべき相手はつがい同士なのに、最初の人生でリヒトとサラが愛し合ったからなのか、2組の運命の糸は絡まっていた。
過去4回の人生の中で、生まれる年代に差はあるが、必ず4人は出会い、必ず不幸な最期を遂げている。
「前回の私は20歳を迎えたその日に人生を終えましたが、あれからどうでした?」
生まれ変わった後、「その後どうでした?」とカイに尋ねるのは、もはや恒例となっている。
「あ〜……前回ね。4回繰り返した人生の中で、一番最悪だったよ。ほら、前回の沙羅は、理人との間に子供が二人いたでしょう?それなのに理人は、子供を残してすぐ有栖さんの後を追っちゃったし、沙羅は刑務所に入ったから、2人の子供は施設に入る事になってね、世間をすごく騒がせたんだ。親ガチャにハズレた子供達、ってね。ネットニュースをすごく騒がせたよ。
沙羅は刑務所で29歳の誕生日迎えた時から、僕宛に愛の手紙を送ってくれたけど、それが更に世間で大炎上起こしてね。まあ、あの世界では当たり前だけど。
僕の個人情報は晒されるし、仕事はクビになるし、他人の僕が沙羅の子供は引き取れないし、沙羅は刑務所だし、もう僕病んじゃってさ。「次の人生はもう沙羅を愛さない」と手紙を送って、人生に終止符を打っちゃったんだ。………情けない話だけど」
想像以上に重い話だった。
1番先にアッサリと前世に別れを告げた有栖の方が、断然マシな人生だった。
はぁ………とカイが深いため息をつく。
「もう僕、この輪廻転生に疲れちゃってね……。運命の糸を切ろうと思うんだ」
「え?!運命の糸を切る方法を知っているのですか?!」
少し食いつき過ぎたかもしれない。
「近いよ。アリスさん」とカイにたしなめられる。
つがいではないアリスとの距離の近さに、不快感を感じたのかもしれない。
それに今のアリスは貴族令嬢だった。前のめりの行儀の悪い姿勢は貴族令嬢として失格だ。
「すみません」と謝って、アリスは背筋を伸ばす。
「運命の糸を切る方法は、前の人生で覚醒した後すぐ探し始めたんだ。
だって前の人生ってさ、有栖さん達とは8歳差があっただろう?なのに僕が覚醒した時には、すでに沙羅は理人の事を好きになっててさ。19歳の大学生が11歳の小学生にだよ?………もう運命なんて呪いだとしか思えなかった。
その時それまでの人生を振り返って、「それぞれ10年待っても幸せになれなかったな。今回もそうなのかな」って思った時からずっと、運命を断ち切る方法を調べてたんだよ。
前の人生はネット情報が溢れる世界だったからね、そこだけは良かったと思える人生だったかな。前にアリスさんに会った時は答えを見つける前だったから、言えなかったけど……。
アリスさんも前回、「もうこんな運命嫌だ」って言ってたでしょう?興味あるなら今度詳しく話すよ。
ちょっとここで話す話でもないでしょ?」
やっぱりいつの間にか前のめりになってしまい、アリスは姿勢を正す。
「……ぜひ。ぜひお話を伺いたいです」とカイに伝えると、カイが眉を下げた笑顔を返してくれた。
カイの複雑な気持ちが分かる気がした。
アリスとカイの境遇はいつでも同じだ。
アリスも前回の人生で、サラのお腹にリヒトの子供を宿していると知った時のショックは相当のものだった。
当時かなりのお兄さんだったカイが話を聞いてくれたから、正気を保てたようなものだ。
散々な人生だった。
それでも複雑な気持ちなんだと思う。
「運命の糸を断ち切る」なんて、どれだけ決心しても、すぐに揺らいでしまうに決まってる。
心がつがいを求めてしまうのだ。
カイとの待ち合わせ場所は、街にある老舗のカフェを選んだ。
テーブル席同士が離れている上に、背の高いパーテーションで仕切られているので、恋人ではない2人が秘密の話をするのにうってつけのカフェだった。
この店には、ずいぶん昔に来た事がある。
「この店、3回目の人生ぶりだね。3回目の人生はアリスさんが1つ年上のお姉さんで、オープンしたばかりのこの店で紅茶とケーキを奢ってくれたよね。あの時は平民向けのカジュアルなカフェだったのに、今は伝統ある店になってるのが不思議だよ」
先に店に着いていたカイが、懐かしそうに目を細めている。
あの人生はアリスが年上だったので、アリスの方がカイより3年早く目覚めていた。
だから19歳を迎えたカイが、サラがまたリヒトとすでに恋人同士だった事を知って、動揺する彼をこの店で慰めていた。
アリス自身もあの時は、気持ちを分かち合えるカイとやっと会えた事に慰められたものだ。
輪廻転生は、優しい両親や仲の良い友人達にも話せるものではなかったし、アリスが17歳で輪廻転生を思い出してから、カイが目覚めるまでの3年間は、側に家族がいてもとても孤独だった。
(街で人気の花屋のカイさんが、きっとこの人生のカイさんよね。前に見かけた時、雰囲気がよく似てたもの。早くカイさんが19歳にならないかしら)とカイの目覚めを待ち望んだものだ。
確かあの時この店で、「もうすぐリヒトの20歳の誕生日だから、その時に私がつがいだと気づいてくれるはずよ。そうなったらリヒトはサラさんと別れると思うし、今度こそみんなが幸せになれるはずだから、元気出して」と言った気がする。
あの時の言葉は、アリス自身にも向けた言葉だった。
表情が明るくなったカイを見て、(そうよね、大丈夫よね)とアリスの方が勇気づけられた事を思い出す。
―――結局は20歳のリヒトに別れを切り出されたサラが、チンピラのような男にアリスの殺害を依頼して、アリスの人生は20歳で終えてしまったが。
あの後のカイ達も幸せになれなかったと、4回目の人生で教えてくれた。
「今まで色んな事があったよね。笑って話せる話じゃないけど、カイ様がいるから、こうして会うたびに冷静に話せるんだと思うわ」
5回目のこの人生でも、伯爵子息のリヒトは、侯爵令嬢のサラとすでに付き合っている事を、誕生日パーティーの後で知った。
「また同じみたいね」とアリスは眉尻を下げる。
寂しそうに笑顔を返すカイが話を切り出した。
「ねえ、アリスさん。サラとリヒトがあれだけ心と体を許し合っているのに、どうして僕達のつがいの運命の糸が切れないのか、アリスさんは考えた事ある?」
質問をする形だが、カイはアリスの答えを待っているわけではないようだ。そのまま話を続けた。
「関係を持つのが、つがいの存在に気づく「前」だからだよ。つがいの存在に気づく前なら、どれだけの異性関係を持ったとしても、つがいを裏切った事にはならないみたいだ。
―――「だって知らなかったんだから」と、いつも彼等がいうセリフは、正しいみたいだね」
フッとカイが自嘲する。
アリスだって同じ顔をしているだろう。
「………じゃあさ。つがいの存在に気づいた「後」に、他の誰かに心や体を許したらどうなると思う?」
カイの質問に息をのむ。
カイはとても慎重な人だ。
答えを聞かなくても続く言葉が分かってしまい、アリスはなにも答えられない。ただじっと見つめ返すアリスに、カイがゆっくりと頷いた。
「そうなんだ。それはつがいの裏切り行為に当たるから、運命の糸は切れてしまうみたいだ。
………僕さ、この答えを探し出すのに、前回の人生の10年を使ったんだ。たくさんの文献を読んで、世界各地に伝わる言い伝えや伝説だって調べた。絶対、なんとしてでも確証を持ちたかった答えだ。間違いはない」
噛み締めるように話したカイは、ポケットから小瓶をひとつ取り出して、テーブルに置いた。
小瓶の中には、妖しく光るピンク色の液体が入っている。
「これは前回の世界では存在しない物だけど、この世界でこれを用意するのは簡単だったよ。この世界には魔法があるからね。劇薬にも近いくらいの、濃い惚れ薬を魔女に依頼したんだ。
僕の、公爵子息としての19年間のお小遣いを使ってね」
ひょいと肩をすくめておどけてみせるが、きっと小瓶は本物だ。彼の目が笑っていない。
急に「運命の糸を断ち切る」という事が現実味を帯びて、ザワッと肌が泡立った。アリスが食い入るように小瓶を見つめる中、カイが言葉を続けていく。
「つがいの存在に気づきながら、他の女性を好きになるなんて事はあり得ない事だからね。この薬を飲んで、この人生はサラではない他の誰かを愛そうと思うんだ。
薬の効果は一生涯続くから、10年後にサラが目覚めたからといって、これから愛する人を裏切る事もないし、今回は穏やかな人生を送れるんじゃないかな」
「つがい以外の誰かを愛する」なんて、突拍子もない話に聞こえるが―――それはとても良い人生に思えた。
アリスは繰り返される輪廻転生で、ずっとリヒトだけを愛してきた。報われない愛に疲れ切っている。
薬を使った偽りの愛でも、愛した誰かに愛を返してもらえるなら、素敵な愛ではないだろうか。
(公爵子息の19年分のお小遣い価格って、いくらかしら?………私にも買えるかしら?)と、アリスはつい考えてしまう。
「それで相談なんだけど………」
そこで言葉を切ったカイが、ポケットからもう一つの小瓶を取り出して、テーブルに2つの小瓶を並べ置いた。
「もしさ。もしアリスさんも、運命の糸を断ち切ろうって考えてるなら、僕を選ばない?――――ごめん。急にこんな事言われても、びっくりするよね。
でもさ、僕もよく考えたんだ。
今までの人生ってさ、みんな悲惨なものだったけど、アリスさんがいる期間だけは救われてたな、って思うんだ。前の人生も、その前の人生も、アリスさんと過ごす時間って限られてたけど、それでも「この人生でもアリスさんと会えるから」っていうのが絶望の中の唯一の支えだったよ。僕の孤独と苦しみを分かってくれる人はアリスさんだけたしね。
今回の人生で輪廻転生を思い出して、サラがまたリヒトと付き合ってるって知っても、「あとひと月後にアリスさんに会える」って気づいたから、絶望せずに済んだんだ。
この気持ちは愛情じゃないけど、アリスさんは僕の心の支えになってくれる、とても大切な人だよ。だからサラ以外の誰かを愛するなら、僕はアリスさんを選びたいんだ。
あ、でももちろん嫌ならハッキリ断ってくれていい。
他の人を選びたかったら、それはそれでこの薬使ってよ。アリスさんにあげるからさ」
そこまで話すとカイは微笑みを消して、真剣な顔に変えた。
「でも本当によく考えて欲しいんだ。僕が薬を飲めば、アリスさんはこんな薬を飲まなくても、運命が好転するかもしれない。
もし今回の人生で僕がいなくなったら、次の人生ではサラも生まれ変われないかもしれないし、そうなれば次こそリヒトと幸せになれるかもしれないよ。
――――君にも幸せになってほしいんだ」
最後ポツリと呟いたカイの言葉が、アリスに響く。
アリスだって、カイには幸せになってほしいと思っている。
アリスはそれぞれの人生で3年を苦しんだが、彼は10年の苦しみを受けてきたのだ。彼の幸せを祈らずにはいられない。
だからこそよく考えて答えを出すべきだろう。
安易に答えるべきではない。
アリスは、カイが話した「もし今回の人生で僕がいなくなったら、次の人生ではサラも生まれ変われないかもしれないし、そうなれば次こそリヒトと幸せになれるかもしれないよ」という言葉について考える。
もしカイが運命の糸を切ったら、彼らの輪廻転生は終わり、カイとサラは生まれ変わらないかもしれない。
もしサラが生まれ変わったとしても、4人の絡まった運命の糸は切れているから、サラはリヒトとは交わらない人生かもしれない。
次の人生こそはリヒトはアリスを見てくれるかもしれない。
―――だけどそれは全て、「かもしれない」可能性だ。
やっぱりサラは同じ時代に生まれ変わるかもしれない。
サラが生まれ変わったら、やっぱりリヒトもサラもこれまでと同じように惹かれ合うかもしれない。
サラを選ばなくても、リヒトは別の女を選ぶ人生が始まるかもしれない。
それに。
それに次の人生にカイがいなかったら、アリスは孤独だ。それぞれの人生にカイがいてくれたから、正気を保っていられたとも言える。
今までの悲惨な人生の中で、彼は唯一の希望だった。
次の人生にカイがいないなら、アリスだって生まれ変わりたくなどない。
だったらアリスもここで、カイと一緒に運命を断つべきだ。
そしてアリスが選ぶべき人は、カイだ。
アリスのカイに対する気持ちも愛情ではないが、それでもカイはアリスにとっても大切な人だ。どの人生でも、カイがアリスの心の支えになってくれていた。
最後の人生になるなら尚のこと、穏やかな彼の側にいたい。
(答えが出たわ)
―――もう迷いはなかった。
アリスは思いの全てをカイに話した。
安易な思いつきや、同情ではないことをしっかりと伝えたかった。
「――ですからカイ様、私もカイ様を選びます。最後の人生はカイ様と過ごしたいです」
「アリスさん、ありがとう………!」
カイが嬉しそうに微笑んだ。
やっぱりサラに心惹かれるのか、どこか陰りがあるが、それでも今まで繰り返した人生の中で、1番明るい顔を見せていた。
「良かった。薬を飲んで、他の女性を好きになれたとしても、僕の愛の重さに懸念があったからね。ほら、つがいの愛は重いって言うから。
愛が重すぎて、結局愛した相手に嫌われちゃうんじゃないかと思ってさ。普通の人って、どれだけ愛し合ってても、つがいほどの愛の重さはないみたいだしね」
(確かに……)とアリスは納得する。
アリスの愛も重い。
ただでさえ重い愛なのに、報われない人生が繰り返されるせいで、生まれ変わるごとに、愛する気持ちも愛を求める気持ちも強大になっている気がする。
運命を切る事を決めた今だって、心は激しくつがいのリヒトを求めていた。
「そうですね。私の愛もかなり重いと思います。
………大丈夫かしら?愛を返されたら、執着が増しちゃって、愛する気持ちも、愛されたい気持ちも大きくなっちゃうんじゃないかしら?」
「それなら安心だね」とはははとカイが笑い、アリスもつられて笑った。
カイを思うこの気持ちは決して愛ではない。カイも同じだろう。
だけど私たちは運命の糸を断ち切る事を選んだのだ。
「この薬は、魔女に事情を話して、今回のために特別に作ってもらった薬なんだ。好きになりたい人を思い浮かべながら飲むと効果が表れるようになっている。
―――じゃあ、乾杯」
小瓶を軽くぶつけ合い、目を閉じて心の中でカイを思い浮かべる。(カイさんを愛したい)と思いながら、グッと薬を飲み干した。
少し甘くて不思議な味だった。
スウッと周りの空気が揺れた気がする。
薬の余韻が残るまま目を閉じていたアリスは、ハッと息を飲む。
いつだって感じていた、腕が何かに引っ張られるような感覚が、かつてないくらい近く、強く感じて目を開けた。
目を開くとカイがアリスを見ていた。
カイと目が合って、ドクンと心臓が跳ねる。
グッと胸が詰まった。
こんなにも近くに愛しい人がいる。
愛しい人がアリスに優しい目を向けてくれている。
今まで無理矢理押さえつけていた激しい嵐のような想いが、カイに向かってあふれ出す。
(カイ様が好き。―――違う。好きなんて軽いものじゃない。カイ様を愛してる。――とても、深く、カイ様だけを愛してる)
アリスはハッキリと自分の気持ちを自覚する。
悪い夢から目が覚めた気分だった。
「この想いは本当に薬のせいなのかな?―――ヤバい。すごく好きだ。好きなんて想いじゃない。アリスさん、愛してる。ああ……愛してるって言葉でも足りないかも。―――薬のせいかな?これまでにないくらい強く、何かに引っ張られる感じがするんだ。
………運命の糸が結ばれてる?
ねえ、アリスさん。僕のこの5回の輪廻転生は、こうしてアリスさんと運命の糸が結ばれるためにあったんじゃないかな。アリスさんに運命を感じるんだ」
カイの「愛してる」という言葉が、アリスに響く。
愛しいカイがアリスと同じ気持ちでいてくれる。
運命を感じるのはアリスだって同じだ。目の前のカイに強く引かれる感覚がある。
この気持ちは薬の効果なのかもしれない。
運命の糸なんて結ばれてないかもしれない。
愛する心の向きが強制的に変えられた上での、偽りの愛かもしれない。
アリスとカイはつがい同士ではないはずだ。
だけどアリスもカイに、見えない糸を感じてしまう。
今までの輪廻転生は、彼と結ばれるために必要なプロセスだったのではないだろうか。
本当は最初から、カイがつがいだったのではないかと感じてしまうのは、都合が良い考えだろうか。
「カイ様。私も、心から、愛してます」
アリスはやっと言葉を絞り出す。
もっとたくさんの愛を伝えたいのに、今までの人生分の愛があふれて上手く話せない。
カイの瞳が潤んでいた。
きっと彼もアリスと同じ気持ちでいてくれるのだろう。
アリスとカイは繰り返される転生で、ずっと同じ気持ちでいた。悲しみも苦しみも、お互いの幸せを祈る思いまでも同じだった。
どの人生でも会いたいと願い、必ず出会う人だった。
カイはこの人生でやっと結ばれた、愛しい運命の人だ。