第五話 婚約、させていただきました 前編
「それで、あゆみは学校でどうなの?」
「どうって、何がです?」
「婚約したことについてだよ、うわさ話の類いは女の子の方が大変なんだろ」
「最初はいろいろと騒がしかったけれど、今はもう落ち着いたみたい」
「もう一週間たつからね、うわさ話をするのに飽きたのかな」
「そういう良太さんは、どうなの?」
「僕はそれほどでもなかったよ、隼人がうまくやってくれたから」
「ちょっと待って、立派なアジが売っているから今夜はたたきにしましょう」
お気づきでしょうか。
まるで、良太さんのお部屋でしているような会話でしたが。
詩織ちゃんと菜摘ちゃんを連れて、スーパーマーケットでお買い物中です。
「え~、チキンカツがいいって言っただろ」
「おとといが揚げものだったから、今夜はさっぱりしたものにします」
「また、さっぱり……」
「今夜はアジのたたきと、タケノコご飯にハマグリのお吸いものにしましょ」
「まるでお年寄りの食事じゃないか、僕は中学二年生の男子で育ち盛りだよ」
「じゃあ、良太さんにはもう一品だけ作ってあげますから」
「鹿山さんが言っていたとおりだな、僕はあゆみの尻に敷かれるだろうって」
お姉ちゃんったら、良太さんに何てことを言うのっ!
「そんなことにはなりませんよ、これは良太さんの健康を考えてのことです」
「健康って、僕はまだ中学二年生だよ」
「大人になってからじゃ手遅れだから、今から節制をするんです」
「ほら、やっぱり尻に敷こうとしているじゃないか」
土曜日には、お母さまのご実家へ婚約のごあいさつに来ています。
わたしにとっては、婚約の会より何倍も緊張するシチュエーションです。
なのに、ご実家に着くなり良太さんがどこかへ行っちゃうんだもの。
良太さんがいない今、唯一の頼りになるお父さまですが。
詩織ちゃんと菜摘ちゃんを芝生で遊ばせに、おじいさまと裏の公園へ。
つまり、ご実家には良太さんのおばあさまとお母さまとわたしだけなのよ。
「あたしの母で良太の祖母よ、何回か会っているわよね」
「はい」
良太さんのおうちに遊びに来たときや、お母さまの結婚式でも。
おばあさまは、お母さまをよりパワーアップした先走り力をお持ちなので。
ぐいぐいと攻め込まれるのが、ちょっと苦手なのよね。
「良太さんと婚約させていただきました、鹿山あゆみです」
「美波から聞いたときはびっくりしたわよ、あなたと良太を結婚させるって」
早くも、先走り力を発揮されたみたいですけれど。
現時点では結婚ではなく婚約です、おばあさま。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
「良太はまだ中学二年生よ、婚約なんて早過ぎるんじゃないの?」
婚約しましたってごあいさつに来ているのに、そんなことを言われても。
「あゆみちゃんのご両親との約束だもの」
「約束?」
「東京に呼ぶからには、ちゃんと婚約させて将来まで責任を持ちますって」
おばあさまとお母さまの相手をしているわたしは、すでに大ピンチ。
早く帰ってきてよ、良太さん。
「良太はあなたの子供なんだから、あたしがとやかく言うことじゃないわね」
「そうよ、あゆみちゃんのご両親とはちゃんと話を通してあるんだから」
「まあ、これであたしもひ孫の顔が見られるんだし」
いきなりひ孫だなんて。
おばあさまの先走り力が、いつの間にかシフトアップしているわ。
繰り返しますが、わたしたちはまだ中学生です。
そもそも、婚約したばかりで結婚したわけではありません。
「お母さんったら、結婚するのはまだまだ先なのにひ孫だなんて」
その方向で笑い飛ばしてください、お母さま。
「だってあなたも一緒にテレビで見ていたでしょ、中学生同士が子供を……」
「何十年前の話をしているのよ、しかもドラマの中の話じゃない」
ああっ、お二人の先走りがシンクロして話がめちゃくちゃな方向に。
「二人は中学生なんだから、ひ孫だなんて変なプレッシャーをかけないで」
お母さま、ひ孫ありきの話になっていますっ!
「とにかく、あたしには未来のしゅうとめとしてあゆみちゃんを守る責任が」
なのに昨日は、わたしから強引にキスを迫れと言っていましたよね。
わたしの目指す方向は、いったいどっちなのですか?
「あら、誰か帰ってきたみたいね」
たかが小一時間でへとへとになっている、この窮地から救ってくれるなら。
良太さんでもお父さまでも、帰ってきてくれただけでありがたいわ。
「大家さんたちなら、随分早いわね」
お母さまと二人で玄関に出てみると、片手に菜摘ちゃんを抱いたお父さま。
その後ろから、詩織ちゃんを乗せたバギーを押して入ってくるおじいさま。
「お帰りなさい、早かったわね」
出迎えたお母さまに、お父さまは人差し指で声を出さないでねのポーズ。
寝入っている、詩織ちゃんと菜摘ちゃんを指差したから。
わたしは、菜摘ちゃんを受け取って。
詩織ちゃんを受け取ったお母さまと一緒に、お部屋へ寝かせに。
リビングに戻ると、おじいさまとお父さまがビールを飲んでいる。
「もう飲み始めたの、まだ何も作っていないわよ」
「わたしが何か作ります、お母さま」
「大丈夫だよ、そろそろお義父さんが注文しておいたお寿司が届くから」
「届くまで何もなしで飲むのも、すぐに作りますから」
おばあさまにキッチンをお借りして、すぐにできるおつまみの算段を。
長芋があるから千切りにして、あとはレンコンできんぴらを作りましょう。
「ただいまっ、出前の人が来ているよ」
テーブルのおつまみが片付くころになって、ようやく帰ってきた良太さん。
「わたしが出ます」
お母さまから預かったお代を持つと。
良太さんのお迎えとお寿司の受け取りに、小走りで玄関へ。
「どこへ行っていたの、わたし一人で大変だったのよ」
「ごめん、どうしても行っておきたいところがあったんだ」
わたしが大変な状況に陥っていることは、容易に想像できるでしょうに。
婚約者を放っておいてまで行きたいところって、いったいどこですか?
三時過ぎになって、おじいさまが切り出したのは。
「強君、せっかく来たんだから今日は泊まっていきなさい」
「何を言うの、詩織と菜摘もいるんだからあたしたちは帰るわよ」
間髪を入れずに、そう答えたお母さま。
「それに、六人もいるのにどこでどう寝ろっていうの」
「強君と良太は書斎に寝て、詩織と菜摘とあゆみちゃんはおまえの部屋で」
「あたしは?」
「おまえはリビングのソファーで」
「何よ、お父さんが大家さんと飲みたいだけでしょ」
「父親を何だと思っているんだ」
「違うっていうの?」
「久しぶりに会えた、かわいい孫と一緒にいたいだけに決まっているだろ」
「明日は大家さんのお義母さまに婚約のごあいさつに行くの、だから帰るわ」
何としてもお父さまと飲みたくて、お泊まりに持ち込みたいおじいさま。
真っ向から対するのは。
お父さまのご実家への訪問を明日に控え、少しでも早く帰りたいお母さま。
十分にも及ぶ壮絶な交渉を経て、ようやく折り合ったのは、
駅へのお見送りの途中に、行きつけのしゃぶしゃぶ屋さんでのお食事。
聞いていただけのわたしが、こんなに疲れているぐらいだから。
当のお二人は、もっと疲れていそうなものなのに。
何もなかったかのようにけろっとしているのが、とっても不思議。
ちょっと変なのはおばあさまだけじゃなくて、おじいさまもなのね。
しゃぶしゃぶ屋さんで、思っていたよりも長居をしたから。
おうちに着いたころには、八時を過ぎて。
そもそも、今日は婚約のごあいさつに行ったはずなのに。
おばあさまとは少しお話をしただけなんて、こんなことでいいのかしら。
良太さんに呼ばれてお部屋に行くと、渡されたのはリボンが掛けられた箱。
「なあに、これ?」
「婚約するときって、大人ならダイヤの指輪なんかを贈るんだろ」
リボンをほどき、箱を開けると。
ヘアピンやブローチとおそろいの、イルカのペンダントが。
「今の僕には買えないから、ヘアピンとおそろいのものをあげようと思って」
こんなものを、いつの間に。
「おととい、前にヘアピンを買った店に行ったらちょうど売り切れていて」
「なかったのに、これをどこで?」
「さっきの駅ビルに入っている支店なら、在庫があるって言われてね」
だから、お母さまの実家に着いてすぐ出かけたのね。
「大人になったらちゃんとした指輪を買うから、それまで待っていてね」
「ありがとう、とってもうれしい」
「昼間は文句を言われたから心配していたんだ、喜んでもらえて良かった」
「これを買いに行ってくれていたのに、文句なんか言ってごめんなさい」
「いいんだよ、内緒にしていた僕が悪いんだから」
「でも、ヘアピンやブローチよりずっと高そうだわ」
中学生が買うにしては、値が張るんじゃないかしら。
「婚約の記念だから、でもお年玉やお小遣いをためていたから」
「あゆみちゃん、そんなペンダントをしていたっけ?」
二人でリビングに下りると、すぐにお母さまが気づいてくれた。
「へえ、ヘアピンやブローチとおそろいね」
「たった今、良太さんが婚約指輪の代わりにくれたんです」
中学生の婚約にふさわしい、心温まるプレゼントですよね。
そんな幸せを感じているわたしに、お母さまから衝撃のひと言が。
「あゆみちゃんへの婚約指輪なら、買ってあるわよ」
「えっ!」
婚約指輪を買ってある、ですって?
何のことだか説明していただかないと、先走り力が全開過ぎて。
「ちゃんとしてあげようって、大家さんが買っておいてくれたのよ」
「お父さまが?」
「いくら中学生でも、何もなしじゃあゆみちゃんがかわいそうだからって」
わたしは、良太さんと婚約できただけで満足なのに。
「渡すのは、お義母さまにごあいさつしてからって思っていたのにな」
サイドボードの引き出しから指輪の箱を取り出して、良太さんに渡すと。
「あゆみちゃんにはめてあげなさい」
箱を開けた良太さんは。
「これ、あゆみには少し大きいみたいだけれど」
「はめるのは大人になってからよ、大きいサイズを買うのは当たり前でしょ」
そう言われて、指輪をじっと見ながら何かを考えていた良太さんが。
「この指輪だけれど、母さんが預かっておいてよ」
「どうしてあたしに預けるの、早くあゆみちゃんにはめてあげなさい」
「こんな立派な指輪、今の僕たちには似合わないと思うんだ」
「似合うも似合わないも、婚約の記念なんだから」
「記念だったらこのペンダントがあるじゃないか、あゆみもそう思うよね」
「ええ」
いきなりそう聞かれたのに、わたしは素直にうなずけたの。
「この指輪をはめてあげるのは、似合うような大人になってからにするよ」
そう言った良太さん、とても立派で頼もしく見えるわ。
「だから、それまでは母さんが預かっておいてほしいんだ」
「今のわたしたちには、このペンダントの方が似合っていると思います」
「二人の気持ちが一番なんだから、言うとおりにしてあげようよ」
お父さまがそう言ってくださって、お母さまも同意してくれたみたい。
「悪かったな、良太」
「ありがとう父さん、指輪を買ってくれたことには感謝をしているからね」
フルーツを持って、良太さんのお部屋に行くと。
「相談もしないで指輪を預かってもらったけれど、はめてみたかった?」
「ううん、わたしも今はこのペンダントの方が似合っていると思っていたし」
「なら、良かった」
「良太さんが指輪を預かってもらうって言ったとき、とてもすてきだったわ」
「それと、先週にあゆみが言おうとしていたあれだけれど」
あれって、まさかキスのことに気づいていたのかしら。
「指輪と一緒に、もう少し大人になるまでお預けにしようよ」
「えっ」
その問題なら、キッパリと忘れてくれて結構です。
もちろん、わたしがおねだりしようとしていたことを含めて。
「僕らはこれからずっと一緒に過ごすんだから急ぐことはない、あっ……」
大好きな未来の旦那さまが、わたしのことを思ってくれている。
それがとてもうれしかったから、思わずしちゃった。
ほっぺにキス!
ファーストキスっていうかどうかは別にして、これだって立派なキスよね。
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