第十六話 隣は何をする人ぞ
秋深き隣は何をする人ぞ、そんな俳句がありますね。
七月も半ばですから、秋が深まるどころか季節的には真夏ですが。
隣といえば。
あゆみが使っている愛の架け橋や、のぞき魔扱いをされた謎の箱の件など。
僕にとっては因縁が浅くない、隣の家についてお話ししようと思います。
最初に、隣の家の現状についてですが。
誰が住んでいるのかは、もうご存じですよね。
まずは家主である、蝶野さん。
家主といっても、自分が家主であるという認識はまったくないようです。
隣の家を買ったときは、ローンも組まずにポンと買っていましたもの。
まるで、スーパーマーケットで野菜でも買うかのようにね。
続いては、猪口さんと鹿山さん。
二人は、月額が二万五千円という格安の家賃で住んでいるんです。
自分の部屋がある隣の家での生活を、エンジョイしているかと思いきや。
蝶野さんを誘って三人で、何かと理由をつけてはうちに入り浸っています。
最後に、あゆみです。
隣の家に住んでこそいますが、一日のほとんどを僕の家で過ごしています。
朝早くうちに来て、昼間は学校に行きますし。
学校から帰ってきてからは家事をして、夕ご飯は僕と一緒に食べます。
自分の部屋に戻るのは十時過ぎですから、隣の家にいるのは寝るときだけ。
詩織と菜摘はまだ小さいから、三階の寝室で暮らせばいいのにと言うと。
まだ婚約者だから、きちんとけじめをつけたいって言うんです。
僕と同じ家に住むのは、結婚をするまで楽しみとして取っておくんだって。
ちなみに、あゆみの部屋代は母さんが出しています。
次は、隣の家の家事についてお話ししましょう。
うちの寝室を、あれだけ好き放題に散らかしまくっていた三人娘ですから。
隣の家に移ったからといって、とても家事をするとは思えませんよね。
さすがのあゆみも、うちの家事や詩織と菜摘の世話で手いっぱいですし。
手が空いていたとしても、あゆみはうちの家事を最優先しますからね。
そんな具合だと、隣の家は目も当てられないほどに荒れ放題だろうって?
ご安心ください。
蝶野さんの実家から、蝶野さん付きのお手伝いさんが通っているんです。
自分付きのお手伝いさんがいるなんて、さすが超お嬢様だね。
そのお手伝いさんは、山下さんといいます。
当初、山下さんは隣の家に住み込んでもらう予定だったんですが。
あゆみが上京して、ひと部屋を使うことになった結果。
うちより部屋がひとつ多い4LDKとはいえ、部屋が足りなくなったので。
山下さんには、蝶野さんの実家から通ってもらうことにしたんです。
山下さんは朝の九時には隣の家に来て、夕方になると帰っていきます。
朝一番から、あゆみを除く全員分を洗濯します。
あゆみは、自分の洗濯物を僕の家でまとめて洗濯していますので。
洗濯を終えると、あゆみの部屋を除く個室と共用スペースを掃除します。
キッチンのボードを見て、夕食の欄に印が付いている人数を確認して。
食材を含めて必要なものを買いに行ってから、夕食を作ります。
何と、ただでさえ安い二万五千円の家賃は食費込みなんです。
そうはいっても、三人娘は僕らとを含めて外食をすることが多いですから。
夕食を作るのは、せいぜい週に一度か二度ってところですが。
特筆すべきは、数日に一度は通うクリーニング屋さん。
これが、意外と面倒でして。
買い物の行きに預けて、帰りに前回に預けた分を引き取ってくるんですが。
猪口さんと鹿山さんはともかくとして。
蝶野さんは、下着以外はほぼすべての衣類をクリーニングに出しますから。
たとえ数日に一度とはいえ、結構な量です。
そういえば、三人娘がうちから退去した日。
三階の寝室を掃除しながら、母さんはこんなぐちをこぼしていたんです。
「まったく、自分付きのお手伝いさんがいるなんて」
ゴシゴシと雑巾をかけている手にも、力がこもってきました。
「週に一度でもうちに来て、この部屋を掃除してもらうべきだったのよ」
「僕に、同意を求められても」
「何のために、あたしがあの子たちの部屋の掃除をさせられていたのよ」
いくらあゆみが、自分の部屋にいて。
大阪から届いた、引っ越しの荷物を整理しているからって。
掃除を手伝わされてぐちまで聞かされたら、たまったものじゃなかったな。
隣の家の現状については、おおむね理解してもらえたでしょうから。
うちに居ついていた三人娘が、どうして隣の家に住むことになったのか。
さらに、どうして蝶野さんが隣の家を買うことになったのか。
そのいきさつについて、お話ししましょう。
まずは、三人娘にとって極めて快適だったはずの寝室から退去した経緯を。
双子のために三階の寝室を明け渡すように、母さんが通告したから。
それが理由だと思われるでしょうが、実は違うんです。
母さんの赤ちゃんは、どうやら双子らしい。
三人娘がそんな情報を入手したことが、そもそもの始まりなんです。
「それにしても、双子だったとは」
「赤ん坊が生まれても、一人やったらしばらくは何とかなる思とったのに」
「小さいうちは、一階の寝室で大家さんや課長と過ごすでしょうからね」
「さすがに、双子だと部屋が必要よね」
「課長やったら、うちらのおる寝室をターゲットにするやろ」
「わたくしたち、どうなるんでしょう」
「やっぱり、この家にこのまま居続けるのは無理じゃない?」
「この部屋を双子に明け渡せ言われたら、どないする?」
「はっきりと明言されたら、明け渡さざるをえませんわね」
「せっかく実家を出られたのに、戻るのは嫌だな」
「ほんでも自分はまだええやんか、うちは部屋探しから始めなあかんのやで」
「わたくしも、あれだけ大騒ぎをして実家を出たのに今さら戻れませんわ」
三人三様の理由で、頭を抱えていた三人娘ですが。
「独り暮らしをする経済的な余裕なんてないし、どうすればいいのよ」
「何ぞ、名案はないんか?」
「ありますわよ、名案でしたら」
そう簡単には出てこないのが、名案だと思いますし。
自分から名案だと言う人も、そうはいないのでは。
誰だってそう思いますよね、ところが。
蝶野さんのプランは、三人娘にとってはまさに名案中の名案だったんです。
「近くにマンションを借りて、三人で住むというのはいかがでしょう?」
「さえているわね、名案じゃないっ!」
「3LDKのマンションやったら一人ひと部屋やし、ええやんけ」
「家賃は三人で折半すれば、個人で借りるよりずっとお安くなりますものね」
思わぬ名案のおかげで、すっかり元気を取り戻した三人娘は。
「確か、駅前に不動産屋さんがあったわね」
「踏み切りの横やろ」
「あそこでしたら、仕事の帰りにも寄れますわ」
「さっそく、明日の帰りにでも行ってみる?」
「せやな、善は急げっちゅうし」
「でしたら、明日は定時あがりですわね」
あっという間に、いつものとことん前向きな三人に戻ったみたい。
お分かりでしょうか。
母さんに退去を通告されたからではなく、三人は自ら退去を選んだんです。
ちょっと意外でしょ。
続いては、蝶野さんが隣の家を買うことになった経緯です。
翌日、仕事の帰りに駅前の不動産屋さんに意気揚々と乗り込んだ三人娘は。
カウンターで、店長さんに応対してもらっています。
「どのような物件をご希望でしょうか、条件があればお聞かせください」
そう言われるのを、待ちわびていたかのように。
「3LDKのマンションを探しているんです」
これまでは三人でひと部屋だったから、自分の個室が欲しいんだね。
「今の住まいから近うて、駅との間にある物件がええな」
うちから駅まで八分くらいだから、それ以内ってことか。
「お家賃は、十五万円ほどで」
一人当たりだと五万円か、まあ妥当な線だね。
「承知いたしました」
いくつかの物件を紹介され、ああでもないこうでもないと相談しています。
「賃貸マンションは、地下鉄の駅の方が多いのね」
「こっちの駅の周りは、一戸建てばっかりやさかい」
「会社には地下鉄でも通えますわ、むしろ乗り換えをしなくてすみますし」
「でも、大家さんは地下鉄を使わないわよ」
「仕事帰りに偶然会うて、飲みに行くことものうなってまうやん」
「それは、ちょっと……」
あなたたちが家を選ぶ基準にしているのは、いったい何なんですか?
そんなとき、接客中にもかかわらず店長さんの元へと事務員がやってきて。
「さきほどの物件ですが、この内容でどうでしょうか?」
机に置いたのは、できたばかりの最新物件のチラシ。
よほど急ぐのでしょうか、チェックのために店長さんに渡している。
「今は接客中だから、チェックは終わってからするよ」
そりゃ、そう言うよね。
なにげなく、そのチラシを眺めていた蝶野さんですが。
チラシに記載されている一戸建ての住所が、うちと同じことに気づいて。
「ちょっと、よろしいですか?」
店長さんの返事も待たずに、チラシを手に取ると。
猪口さんと鹿山さんに見せながら。
「お二人ともこちらのチラシ、特に住所をご覧になってください」
いきなり何ごとかと、問題のチラシを見ていた二人から。
「ちょっと、ここって隣の家じゃない?」
「疑問形やのうても、どっからどう見ても隣の家やんか」
「やっぱりそうですよね、これって思わぬ掘り出し物ですわ」
まだ公開されてもいないチラシを見ながら、ヒートアップしている三人娘。
そして、おもむろに蝶野さんが店長さんに。
「こちらをいただきますわ」
「えっ?」
店長さんが驚くのも、当然でしょう。
賃貸マンションを紹介していたのに、やっぱり中古の一戸建てを買いたい。
いきなりそんなことを言い出すなんて、しかもそれが若い娘なんですから。
驚いているのは、猪口さんと鹿山さんも同様です。
「ちょっと、蝶野」
「いきなり、買うやら言うんか」
「お隣が売りにでているんですもの、これを逃すわけにはいきませんわ」
「だからって、一戸建てよ」
「なんぼする思てんねん」
「この値段でしたら、何とかなりますわ」
ちょっと、蝶野さん。
うちは、設計変更をしたし内装や設備のランクをかなり上げているから。
参考外だろうけれど。
元の売値は○千万円ぐらいだって、父さんから聞いたことがあるよ。
隣もうちと同時に売り出されたんだから、きっと同じような値段だよね。
いくら中古だからって、△千万円はするんじゃないかな。
「何とかなるって、どうなるっていうのよ」
「先立つものが必要やろ、金はどないすんねん」
「今夜にでも実家に行って、お父さまにおねだりしてみますわ」
さすが、蝶野さん。
初出勤の日に、会社の前に運転手付きの車で乗り付けただけあるよね。
チラシをひと目見ただけで、中古の一戸建てをポンと買うと言うんだもの。
蝶野さんのおねだりは、お父さんにすんなりと聞いてもらえたようで。
晴れて、隣の家を購入することになりました。
リフォームもお願いしたから、それが終わればあとは入居を待つばかり。
そんなわけで、三人娘は隣の家に住むことになるんですが。
こんな展開になっているとも知らずに、母さんは三人に聞いています。
「で、寝室の件はどうするつもりなの?」
「来週の土曜日に、出ていく予定です」
「えっ!」
「せやから、来週の土曜日にウチらはこの家を出てく言うとんねん」
「出ていくって、住むところはどうするの?」
「実は先日、隣の家を購入いたしまして」
「隣を買ったですって!」
三階の寝室を、双子の部屋にするつもりだ。
そう通告した母さんだって。
今すぐにとか双子が生まれたら、などというつもりはなかったんです。
赤ちゃんだって、しばらくの間は一階の寝室で自分たちといるでしょうし。
時間をあげるから明け渡してくれればいい、ぐらいに考えていたのに。
それが、すぐ出ていく。
しかも、隣の家を買ったからって言うんですから。
「蝶野がお父さんにおねだりして、買ってもらったんですよ」
「せやから、ウチら三人で隣に住むことになってん」
「これからは、課長とお隣さんですわね」
やれやれと思ったのは、そう言われた母さんだけではないはずです。
Copyright 2025 後落 超




