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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

淋しいゆめ

作者: はまねまろ

注意点

この物話はフィクションです。

震災の描写がありますが、実際に起きたものとは一切の関係がありません。苦手な方は閲覧をお控えください。


BGM

爆弾/カンザキイオリ 様



18の夏、何もかもを我が巣に置いて熱帯夜の中を走っていた。



家族なんてしがらみが急に嫌になって弾ける花火の下を走っていた。

響く音が僕の鼓動を揺らしていた。


生きたくて走った僕には自らを鼓舞する音そのもので、行く当てはなかったけれど怖くなかった。心臓や血液までもが心に味方しているようだったから。

僕に父は居ない、数時間前まで母と2人、壊れた空気を抱いて暮らしていた。






記憶の中の母は優しかった。

僕がいい大学に行って、有名な企業に就職して、不自由ない暮らしができるように母自身の時間をたくさん割いて働いて勉強させてくれた。



でも、そんな母も中学生の頃までだった。

進学校に入った僕は、中学生の頃と打って変わって勉強ができなくなっていった。


それはもう高校1年生の初めからで、僕だって焦っていた。

要領のいいほうだったから、今更勉強のやり方も、努力の仕方も知らない。

何も分からなかった。努力なんてもってのほかだった。



欲張りな僕は、母の愛だけで満足せずに自分で自分を溺愛している。そんな空っぽな愛のせいでプライドが高くて、いつだって自分が苦しまない、傷つかない方法だけを選んで生きてきた。



愛している自分が傷ついていくところを見たくない僕には失敗をすることなんか絶対にだめだった。





そうやって自分を甘やかしに甘やかしていた。そんな自分が許せないことも多かったが、空洞の愛は体積ばかり占めていた。

そんな愛に僕を十分に満たすことは出来なかった。


それでも高校2年生までは地頭の助けもあって何とか、何とか周りのレベルに追いついていた。








当然、そのまま受けた進級試験は全てが最低基準だった。

それまで僕のために忙しく、ろくに言葉を交わしていなかった母に

試験の結果を伝えたとき、僕の目の前で泣き崩れた。





母は僕がまるで教祖であるかのように僕のために生きていた節があった。



だから一切僕を責めることなく、私の教育が悪かったのね、なんて大人げなく泣きじゃくって僕の鼓膜を引き裂くように何度も謝罪を訴えていた。


そんなことない、なんて言ったら僕が全てである母には自身を否定されたと感じると思って、しがみつかれた脚を動かさないまま母を見つめるだけだった。


目の前で母が泣いているなんて信じられなかった。

母には心の籠った優しさはないと思っていたから。



その日は泣き疲れた母がそのまま寝てしまい、そっと足を抜いて、さすがに床に寝かせておく訳にはいかないのでベッドまで運び、明かりを消した。



僕は何故か裏切られた気持ちになっていた。

薄い夏がけの端を握ったままざらざらした壁紙を見ながら、そう考えていた。

表面だけ優しいものが母だったはずなのに、中身まで優しいなんておかしい、と。







それは悪夢なのか、ただ悪い現実だったのか、判別もつかなかった。






少しばかり冷えすぎた部屋の中、僕の心は熱くなっていた。

同時に、冷めてもいた。




ぼやけた視界の先、淡い夕焼けの前に母が微笑んでいる。


血だらけになった僕に赦しを与えるように、僕に空色の手編みのマフラーを差し出していた。




何度も見た夢だった。



もう目覚めなくてもいい、このままでもいい、この愛おしさに触れていたいと思った。





脆い静寂に抱かれて、次第にその感覚も薄れていった。





残念なことに次に僕の視界に入った空は青色だった。


すずめの羽音と日差しで煌めく埃があるだけだった。





今日も大切な何かを亡くしたまま、自分勝手に脚が動いて、気づけばいつもの時間、いつもの行き先の各駅停車に乗っている。



気づけば、何もない、本当に何もない。文豪でさえ口を揃えて空虚だと言えるほどに、何もないとしか言えぬ一日が始まっている。



帰路だって、ただ朝を逆再生しただけのつまらないものだ。







もはや意識のない中帰宅した僕に突然冴えわたる感覚がした。



母が母ではなかった。


学校から帰ってきたままの僕を引き摺って部屋に放ったあと、僕をいっそう震撼させた。



大好きな本が全てなくなっていて、温もりを奪われた木製の勉強机と椅子だけが残されていた。




「こんなの勉強以外するなって言っているようなものじゃないか」

「そうに決まってるでしょ、勉強が出来ないあんたが悪いんだよ」


「そうは言ったって、おかしいだろ」

頭が混乱して瞳孔がふらついてきた。


「何が。私は間違ってない。間違ってないの」




母はそう繰り返し続けた。

「私は間違っていない」と。






昨日までの母が嘘のようだった。そんなありきたりな言葉しか僕の脳は紡いでくれなかった。







その日からずっと、家に帰ると鈍く光ったリングのはめた左手が暗闇に僕を引き摺ってきてぬるい独房に放り込まれるだけだった。


そんな毎日だった。 そんな日々だった。






はじめのうちは母に逆らって勉強なんて放棄してやろうかと思っていた。


ただ、数分おきに頭を侵食する母の甲高い叱責や母の監視がどうしようもなく不愉快になって、碧い心をほろほろと崩していた。


従うことを、苦しいと思うことを諦めた。






もうこの状況は変わらないと悟ったから、いっそ楽しんでやろうと思ったんだ。



いつしか、母は僕が苦しんでいる姿が見たいんだと思うようになっていた。

楽しんでしまえば解放されると思った。

こんなにも静かな独房の喧騒から。




手始めに、勉強をすることにした。

そして、定期試験や模試では低い点数を取り続けた。


勉強なんて、努力なんて意味がないと思い知らせたかった。





母の監視から勉強をしているように見える装いをするために毎日何時間も意味のない文字面をなぞったり書き写したりしていた。

すごく辛かった。


机上はモノクロでしかなかった。大層つまらなかった。









しばらく続けていると、心を引きちぎってやりたいほどの苦痛に変わっていった。


僕は何かを思い出したかのように、ペンを手の中に寄せて心を写していった。





ノートいっぱいに僕の人生譚を書き連ねては悔しい気持ちになって鼓舞されて、また手が動いて文字が増えていく。




そのほとんどが両親への糾弾だった。


文を連ね始めると僕には、大好きだった昔の母へも許せないことがあったらしい。



父への罵詈雑言は特に酷くなりがちだ。


小さな約束が守れなければ容赦のない拳や踵が降りかかってきたこと、僕の失敗を母と共に笑い飛ばしたこと、散々ものを失くしたり忘れたりしないようにと言いながら、僕が貸した家の鍵を他所で失くしてきたこと。





両親曰く、「優しさ」らしかった。


朝が弱い僕にランドセルを投げつけたことも、真冬の深夜に上着もなしに外へ放り出したことも、あの暴力もあの暴言も全部、「優しさ」らしかった。



その当たり前は僕の小説の中でも当たり前だった。

僕にそっくりな他人が傷つくところを見て安心したかった。


世間では当たり前じゃないとされるけれど。




でも小説だろうが現実だろうが、両親が社会的に抹消されるなんてことはない。


どちらの世界でも、父と母は暗闇に溶け込んだ悲しくて楽しいお遊びをしている。





ここ最近、母がそのお遊びを再開し始めているところだった。


もう、堪らないと思った。







そんなに僕が嫌いなら、お遊びのための小さな影から飛び出して大衆に晒してしまえばいい。


そのためなら僕だって犠牲になる。

それ即ち、母の信頼の欠落だと思っているから。





周りの目ばっかり気にしている母の見せしめには丁度いいと思った。






さあ、どうしてやろうか。


どう、苦しませようか。




実親を貶めるなんてとんでもない性悪ということになってしまうが、今の僕には正義そのものである。


それほど幸せで美しいものもないほどに。




だが、ひとつ。

心残りがあった。


母から手放された孤独な僕は、哀れまれてしまう。




それは不本意だった。僕にとってのこの上ない快楽であり喜びが、他者には悲しみとされ、何故か僕までがその気持ちに包まれているとされる。


嫌だった。本当に嫌だった。



人から共感を得られない悲しさを、彼らは知らないのだろう。




誰だって社会に当てはまると考えている。








考え始めるとなんだか余計にこの世間に嫌気がさしてきて、気づけば現在時刻21時、自転車のペダルに足をかけている。



ただひたすら足の動くまま。

心の思うまま、自転車を漕ぎ続けた。



今日は花火大会だったっけ。

赤や青や黄色の光が僕の自転車のベルやハンドルに反射している。


途中から必死に動いていた足も、打ち上がった花火を見ようと落ち着きを取り戻した。



2時間もして、もう花火なんてずっと昔の話になった頃、とある丘の頂上への一漕ぎを踏んだ。

僕は昔から、どうしても寝付けない夜には決まってこの丘に来ている。この辺りでいちばん高いところというだけで少し優越感を覚えそうになる。


海に近い小さな街だから、高層マンションもなくてだだっ広い家の向こうに水平線が見える。

と言いつつ、全体的に見ると都会ではあるので満天の星星…なんてものは見れない。そこにあるのは偃月ただ一つだった。





今日も海は大層穏やかで、嗚呼、本当に人間は海から由来していると手を握って改めて感じていた。



ただやはり、芝に寝転び空を見上げた時には家族への恨みを募らせるばかりだった。


都会の少しくすんだ月を見上げて、この月はどれだけ願いをかけられて、どれだけ恨みを買って、どれだけ愛でられてきたのだろうか。


どんな言葉を受け止めてきたのだろう。

それは愛の囁きだろうし、罵詈雑言でもあるだろうな。



月のささやかな光の下、目を閉じて、意識が手の届かないところまで行きかけたところだった。









身体が少し浮き上がった感覚がした。


いくら日本人でも「ああ、なんだ、地震か。」だなんて悠長に言っていられるような強さではなかった。



ただでさえ暗い夜半の街並みが光を失っていった。


5分もしない間に数多の頼りない懐中電灯の光がさまよい始めていた。


生憎携帯を持ち合わせていなかったから震源も震度も何も分からない。


恐らく窮地にたった僕の母は今、昔の母を取り戻し僕の携帯へ電話でもかけていたりするのだろうか、それともそんな母はもうどこにも居なくて僕のことなんてすっかり忘れてネットニュースに構っているのだろうか。


流石に危機感を覚えたが、僕の周りには僕の乗ってきた自転車くらいしかなくて、津波も簡単には襲ってこないと思われる高さだったから、黙って惑う群衆を見ることしか出来なかった。


明日のことも、何もかも考えられずに。



大きな揺れは5分もしないうちに収まって、流石に家には帰ろうか、なんて考えた。

実親からも孤独を哀れまれるようじゃ僕の気がおかしくなってしまうと思ったからだ。

丘を半分降りて、久しいアスファルトにスニーカーのつま先が触れた。


僕の目論見を世界は聞いてはくれなかった。




もう一度、さっきよりも一段と強い揺れが世界を襲う。

いや、プレートが動いているのだから世界が僕らを襲っているのだろうか。



立っていられないほどに地面が癇癪を起こしている。

これもきっと僕への糾弾なんだろうと少し寂しい気持ちになって、足元の草を握る両手から海の方へと目を移した。




見たことないくらいの大量の波がそそりたって、まるで海と陸を分かつ大きな壁のようだった。


僕がおかしな事を考えているのが伝わってしまったとファンタジー脳にな僕の右目には前髪から零れそうな冷や汗が映っていた。




いつでも逃げられるようにと僕に言い聞かせてくる本能にしたがってじっと街を見下ろしているが、正直もうどうだってよかった。

すぐには丘の頂上に戻ろうなんてマインドには切り替わらなかった。



このままこの街も、両親も僕も、もはや全人類が海に呑まれて藻屑になれば、僕は仲間はずれにはならないと思っているからだ。ようやっとみんなと同じになれると思っているからだ。




ひとつの懐中電灯が、明らかに人の操作ではない挙動をし始めた。


高く飛び上がり、ゆうらとこちら側に流れてくる。



ああ、呑まれたんだ。

可哀想だとかいう優しい心もまだ僕にはあったけれど、その心には灯りが灯りそうになかった。


今夜の月だって、明日の朝日だって、苦しい日々を当たり前に生きると思っていた。

それが今、無駄な覚悟に変わったのかもしれない。


目も口も開いたまま、ついさっきの当たり前の火の花のフィルターが両目にかけられている。





気づけば僕は理性を少し取り戻して、自転車を捨て、丘に沿って、頂上に続く目の前の道をがむしゃらに走っている。

結局は自分のことが大切で生きていたいとか言うつまらない感情を僕が持っていたということに対する致死量の自己嫌悪に付きまとわれ、齢18の心はミキサーに閉じ込められる羽目になった。



気づけば理性を持った動きの懐中電灯はいなくなって、足先の十数m先に原型を失った家屋と人々が続々と流れ着いてくる。



もう何もかもが一瞬で変わり果てて、その疲弊からか緊張なんて微塵も抱えないまま瞼が降り始めた。






閉じ切る直前の目には僕の乗り捨てた自転車と母の血だらけの脚が絡まっていた。





ほとんど意識を失うように眠りに落ちたせいで、朝にはまた目の前の光景に絶句してしまった。


僕以外のほとんどの人間が、広くなった海原のどこかに漂っているだなんて信じられそうにはなかった。






ただ、救われたと思った。



この街は閉鎖的で、街の外とのコミュニティは皆無に等しかった。


住人同士、知らない人はいないほど。




だからこそ、救われたと思った。


知人に葬式なんて場を用意されて、額に入った自分を晒しあげられることから。





僕を哀れむ人。

あと僕だけだ。


でももし僕が生きてるだなんて中継でもされたら、

そのテレビ中継を見た奴ら、全員殺す羽目になる。


急いで追いかけないといけないと思った。

もう、か弱い心持ちもなくなってしまった。





丘の上の林の隅に忘れられたキャンプ用ナイフを手に取って、



光の届かない木の隣で、僕は力を失った。


幸せになるための行為に躊躇なんて感情は持ち合わせなかった。




数秒残された意識の内は、いろんな安堵で満ちている。


生暖かくなる手を愛おしく握った。




僕は最後まで僕を捨てきれない。


そんな人間だった。

閲覧ありがとうございました。

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