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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第四章 博愛主義者はだれも一人では歩かせない
73/75

17.


 刀身にありったけの闘気を込めて、衝撃波を放つ。


 赤い靄と植込みが三日月のかたちに歪んで疾走し、巨人のゼリー状の表皮を撃つ。


 激しく渋いて筋線維や腱が露出する。


 しかしそれからが続かない。


 まるで濁流に逆らって進もうとしているかのようだった。


 仕方なく、巨人に大きなダメージを与えるのは諦め、こちらに関心をひきつけ、校舎から引き離そうとしたが、巨人は玩具に魅せられた子供のように、アヤメを無視して校舎を破壊し続けている。


 中庭へと踏み込み、巨大な腕を壁に叩きつける。


 地震のように辺りが振動して、窓ガラスがいっせいに砕けた。


 破片が月影にきらめいて降ってくる。


 アヤメは頬にひとすじの水気を感じた。


 拭ってみると、それは血だった。



 巨人の尻や腿、ふくらはぎめがけて、衝撃波を乱射するが、厚く覆うゼリーはいかんともしがたい。


 舌打ちをし、股をぬけて正面にまわる。


 見上げると、巨人の威容が闇夜にむかって聳えている。


 胸のあたりに、金色に輝くものがある。


 それが液状の表層のおくで、ゆらゆらと揺らいでいた。


 あそこに衝撃波を叩き込みたくとも、届かない。


 ダメージを最大化するには、至近距離から攻撃を放つ必要があった。



 危険は承知だった。


 自分は≪魔物≫との戦いに命を賭す用意がある。


 生徒会長としての責任も、壇上で誰も聞いていない話をべらべらと喋ってアピールすることでではなく、実際の行動で果たすつもりだ。


 星宮家のことは、もはやどうでもいい。


 命を賭す覚悟もない人間が、命を賭す覚悟のある人間にむかって、勝手に期待をし、勝手に失望していた、と気づいたとき、あの連中はどんな顔をするだろう。


 恥を知る人間であれば、穴があったら隠れたい気持ちになるだろう。


 けれど、世間というものは、その程度の羞恥心すら持ち合わせていない、ということを、アヤメは経験からよく分かっていた。


 だからなにも期待しない。


 ただここで、黙って責任を果たすだけだ。


 自分で自分に課した責任を。



 せめて、巨人の手首や足首の腱を断つことができれば、と思う。


 衝撃波を放つたびに全身の生気が抜けていく気がする。


 それほど消耗する。


 威力が減じていくことはあっても、増していくことはない。


 最初の一撃がそこまで届かなかった時点で、勝敗は見えていた。


 けれどもアヤメには、最早、そんなことはどうでもよかった。


 自分は一介の兵士でいい。


 兵士が勝手に勝ち負けを考えて進んだり引いたりを決めていたら、戦いは成立しない。


 アヤメは狂ったように刀を振るい続けた。


 巨人の表皮が波紋に揺れている。


 それが月影に不気味な光沢を放っていた。



 腕をあげるのさえ、つらくなってきた。


 一つ目の虹彩の、おぞましいグラデーション。


 ガラスの破片や瓦礫が雨のように降り注ぐ。


 脚がもつれて、刀を支えにしようとしたとき、ゼリー状のものがぶうんと空気を唸らせた。


 気づくと、アヤメは身体ごともちあげられていた。


 ゼリー状の表皮にとりこまれて、そこから外を見ている。


 視界が揺れているので、それが分かった。


 呼吸ができない。


 自分の口から洩れた呼気が泡になっている。



 さらに身体がもちあげられる。


 かなたに、黒い丘陵の線と、暗灰色の雲が見える。


 眼下には、ぎざぎざの薄汚い歯と、唇にふちどられた昏い穴があった。


 巨人はそこに自分を落とすつもりだろう。


 アヤメは、自分でも不思議になるほど澄んだ気持ちで、その穴を見下ろしていた。


 これで、すべてが終わってくれる。


 死んだら、槙島は哀しんでくれるかな。


 そんなことを想うと、悲しい笑みさえ浮かんだ。


 汚い死体を晒すことにならなければいいけれど。


 そんな姿で、かれの記憶に残るのはいやだった。



 ふわりと、身体が宙に投げ出される。



 屋上のフェンスのかなたに、天の川が見える。


 燦然として、美しかった。


 それを背にして、なにか黒い影のようなものがよぎった。


 すぐには分からなかったけれど、やがて、それは、あの朝、体育館で見かけた男の子のすがただと気づいた。


 凛としたふたつの眼がこちらをまっすぐに見ていた。


 もしかしたら、あの瞳はアヤメではなく、アヤメのすぐうしろにいる、死に別れた女の子のことを見つめているのかもしれない。


 けれど、いまはそれでもよかった。


 槙島遼が一陣の風となり、アヤメにむかって懸命に手を伸ばしてくれている。


 幸せな気持ちに包まれた。



 抱き上げられた。



 次の瞬間にはもう、実習棟の三階のガラス窓をやぶって、音楽室に転がり込んでいた。


 制服すがたの槙島が、ゆっくりと立ち上がる。


 破れた窓から射す月明かりのなかで、美しい武人の姿に変じ、また戻った。


 優しい笑みを浮かべていた。



「間に合ってよかった」


 と、彼は言った。



 アヤメは、いろいろな思いが胸にいっぺんに押し寄せてきて、涙がとまらなくなった。


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