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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第四章 博愛主義者はだれも一人では歩かせない
66/75

10.


   ***




 繁華街の裏通り、雀荘のうえの階にある雑貨屋のバックヤードでのことだったと記憶している。


 財布を開いたら、あると思っていた合成ドラッグの代金がなかった。


 ひどい焦燥を覚えた。


 切らすとせん妄が酷くなる。


 こないだなどは気づいたら看板の角に頭を打ちつけていた。


 駅前で意識をなくして、ロッカーの脇で半日寝込んだ。


 脳震盪の症状があったけれど、医者はタダでは看てくれない。


 とにかくカネが要る。


 それでたまたま見かけた、ブランドものの靴を履いた高校生くらいのガキのあとをつけて、路地裏でカツアゲを試してみた。


 中学以来のことだったが、相手がチキンなら簡単に金をせしめられる。


 ところがそいつは地雷だった。


 明らかに格闘技の心得があるという効率のいい殴り方で、頬とあご、それからみぞおちに一発ずつ食らった。


 胆汁の苦み。


 鼻がツンとなる。


 それから記憶がない。



 人生というのは、なにが契機になるか分からない。


 月岡永一の運が巡ってきたのは、まさにあの日だった。


 気づくと、悪魔崇拝らしき儀式に参加させられていた。


 こんなB級映画を見たことがある。


 気味の悪い呪文を詠唱する黒いローブの男たちがいる。


 魔法陣がある。


 燭台に立てられた太い蝋燭の火がいくつもちらついている。


 なんの意味があるのかは知らないが、五角形の黒と白の旗がある。


 月岡は口のなかに溜まった血を吐き捨てた。


 頬の内側の、歯のあたる場所がざっくりと割れていた。


 傷口はとうぶん塞がりそうもない。


 ローブの男のひとりが、じろりと月岡を見たが、なにも言わなかった。


 月岡は、禁断症状に苛まれながら、ぼんやりと儀式の進展を見守った。


 やがて詠唱の声が狂気じみてきた。


 赤い靄が漂い、蝋燭の火をぼんやりと滲ませている。


 靄のむこうに、悪意をもったなにかがたくさん蠢いているのが分かった。


 こいつらはただのコスプレ野郎という訳でもないのだろう、と、月岡は他人事のように思った。



 魔法陣の、見たこともない文字が、紫に光っている。


 野球ボールほどの瞳が、ラグビーボールほどの白眼のなかでぎらついていた。


 靄で霞んでよく見えないが、恐らくそいつは、生きた猫を差し出されればそれを食い、犬を捧げられればそれを食うだろう。


 人間だって食うかもしれない。


 有名な『わが子を食らうサトゥルヌス』の絵画のように、頭からがぶりといく。


 ……まてよ。俺が連れてこられたのはそのためではないか。


 その考えが月岡の脳裏に浮かんだ途端、戦慄が背中をかけあがった。


 逃げようとして初めて気が付いた。


 身体が鎖で椅子にがっちりと固定されている。



「まてよ……なんだよこれ……冗談だよな……おい!」



 ローブの男が黒く翳った横顔をむけて、



「おまえを生贄にするわけではない、騒ぐな」


 と、言った。


「ドラッグに溺れて犯罪に手を染めるおまえに、どのみち未来などなかろう。


 我々が手を差し伸べてやる」



 詠唱の声がいちだんと大きくなった。


 風もないのに、蝋燭の焔が悪魔のように揺らめいている。


 靄のむこうの悪意をもった存在が猛りはじめる。


 一つ目の化け物が、魔法陣のうえに佇んでいた。


 身の丈はひとの倍ほどある。


 筋骨隆々で、苔がむしたような濃い緑色の肌をしていた。


 その瞳が、ぎろりと月岡を見下ろした。



 キュクロプス。


 月岡にはなぜかその名前が分かった。


 ギリシャ神話に登場する単眼の巨人だ。


 月岡はきっと、赤い靄がそれを教えてくれるのだと思った。


 靄はおそらく、禍々しいものたちのうごめく異世界と、この現実世界をつなぐ情報網、クラウドのようなもので、それに触れるだけで異世界の知性にアクセスすることができるのだ。


 そのように考えるのは脱法ドラッグの禁断症状のためか、あるいはこの儀式の異様な雰囲気のためか、よく分からなかったが、ともかく月岡には、一つ目の悪魔じみたものが何者であるかを、なんとなく察することができた。



 その悪魔は、月岡に憑依することを望んでいるようだった。


 それがなんとなく伝わってくる。



「いいぜ……」


 と、月岡は言った。


「どうせ詰んでる人生だしな……おまえみたいなバケモンと組めば、カツアゲには苦労しなくて済みそうだ……」



 月岡の魂と、キュクロプスが、抽象的な領域で、ゆっくりと融合を始めたのを感じた。


 殺伐とした怒りが全身に漲ってくる。


 やがてそれが高じ、自分でもわけのわからないことを叫びながら、椅子のうえで激しく暴れた。


 ローブの男たちに取り押さえられ、注射を打たれる。


 再びそこで記憶が途切れた。



 我を取り戻したとき、月岡は、赤い靄が濃くただよう繁華街を歩いていた。


 まるで他人の意識にもぐりこんで、その人物の行動を見守っているような感じがした。


 月岡は雀荘の脇の階段をあがってゆき、雑貨屋の店主を無視してバックヤードに入ってゆくと、段ボールの箱をひらき、違法ドラッグを掴んでコートのポケットに詰め始めた。


 店主は当然これを咎める。


 月岡はふりかえって、にやりと笑った。


 ガラス戸に、全身がうっすらと映っている。その姿が……キュクロプスに変じた。


 キュクロプスは樹の幹のような太い腕で店主の首をしめる。


 窒息させるつもりが、力を入れ過ぎて、親指で喉を押し潰すかたちになった。


 弾けるように血がふきだす。


 赤黒くなった顔からは、眼球が飛び出ていた。


 キュクロプスはそれをカウチに放る。


 月岡は人間のすがたに戻ると、何事もなかったように雑居ビルの階段をおり、繁華街の通りの人込みに紛れていった。



 以来、月岡は赤い靄が出ている晩にはやりたい放題にふるまった。


 金を持っていそうな男女をつけて殺害し、財布を奪う。


 若い女を襲って犯す。


 以前、自分に舐めた態度をとってくれたバイト先の店長や、地元の組に所属するチンピラ、警察官などを靄のなかに引き込み、息絶えるまで拷問する。


 しかし、月岡は必ずしも人を殺したくて殺している訳ではなかった。


 キュクロプスがそれを望むのだ。


 長いあいだ人を殺さないでいると、一つ目の巨人は不機嫌になる。


 その怒りが自分にむかいかねないことさえあった。


 だから人を定期的に殺す必要があったのである。



 やがて、正義の味方を気取る≪能力者≫の集団、≪討魔衆≫に眼をつけられた。


 一対一ならやりようもあったが、連中はチームを組んで動き、仕掛けてくる。


 月岡はすぐに不利を悟った。


 組織に対抗するには組織に属する必要がある。


 それでおなじく赤い靄のなかをうろついていた犯罪者を介して≪鬼道衆≫のグループに出入りするようになった。


≪鬼道衆≫のあいだには、当然のことながら、天敵ともいうべき≪討魔衆≫への不満が燻ぶっていた。


 やつらに泡を食わせてやれという話になり、月岡はそのチームのリーダーを引き受けることになった。


 標的は、神明舎学院。


≪討魔衆≫と関係の深い私立の全寮制の学校だ。


 そこの高校生どもを虐殺してやろうという訳だった。


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