8.
「なんでこんな辺鄙なところに学校を建てるわけ?
君たちに文句を垂れても仕方ないけどさ」
と、青山エレクトロニクスの主任研究員を称する白衣の女は、苛立たしげに言って、扇谷からビニールに入った装置を受け取り、取り出した。
べっ甲の眼鏡を額にあげ、ためつすがめつして、
「東京ではよく見るタイプだね」
と、言った。
「扇谷くんも聞いてるでしょ。
都心のほうで再開発の話があって、自然を破壊するなって主張している市民団体が暴れてるんだけど、あれ、≪鬼道衆≫が絡んでるの。
ようはゆすりタカりよね。
不動産会社に≪魔物≫をけしかけて脅迫するわけ。
で、不動産屋がボディーガードとして雇った独立系の≪能力者≫たちが、うちにこんなのを持ち込んでくるのよ」
女の年齢は30前後だろうか。
細身の長身で、海外のモデルのようなシャープな顔立ちをしていた。
化粧はほとんどしていない。
あるいは遼にはそう見えるだけかもしれない。
白衣のしたのすみれ色のブラウスは、シンプルで無造作に見えるが、銀のはなびらを黒い紐で吊るしただけのネックレスはとても洒落た感じがする。
女は、
「あんたどう思う」
と言って、連れの女性に装置を手渡した。
連れのほうは20歳前後という感じで、金髪のロングに白い肌が印象的だった。
眉まで色が抜けていたが、瞳が黒いので、おそらく日本人だろう。
大きなサイズのトレーナーをワンピのように着ている。
色はグレー、GAPだ。
ただ、こっちのほうは≪能力者≫だ。
遼にはそれが感覚的に分かった。
戦闘に適したタイプではなさそうだが、恐らく、電子機器や通信網に介入したり、意識を通わせたりするような、特殊な能力を持っている。
この女性と、手のなかの御札と小さな基盤を接続したような装置が、しきりになにかをやりとりしているのが、視覚的に見えた。
彼女の身体から放出される淡いひかりが、ちいさな光点に凝縮して、基板のあちこちを巡っている。
その光の一部がときおり基盤を離れて、彼女の額のあたりに吸い込まれていく。
白衣の女が、ピンク色の象に初めて気づいたというように、遼を見つめはじめた。
「あら扇谷くん、かわいい子を連れてきたのね」
皮張りのソファのうえで脚を組みなおす。
「この子も≪能力者≫なの?」
「俺たちの仲間ですよ」
「そこの寝ぐせはバケモンだぞ」
と、金髪の女が手元の装置に視線を落としたまま言った。
「まだちゃんと覚醒しきってないみたいだけど。
期待の新人ってところ?」
「まあ、そんな感じです」
遼は手ぐして懸命に髪を梳かしたが、ときすでに遅し、の感があった。
いろいろなところが跳ねていて収拾がつきそうにない。
「≪討魔衆≫って割と給料いいんだっけ?」
と、白衣の女。
「そりゃ、命がけの専門職ですからね」
と、扇谷。
「かわいいうえに将来も有望ってこと?
お姉さん君のこと連れて帰りたくなっちゃった」
と、色っぽい声を出す。
「短い間だったけど世話になったな、雅数」
と、遼は言った。
「俺はこの素敵なお姉さまに付いていくことにするよ」
「好きにしたまえ」
と、扇谷は相手にならない。
「じゃ、姉さんと一緒にヘリに乗って帰る?」
白衣の女が楽しそうに笑う。
「寝ぐせを直してあげるだけでごはん三杯はいけそう」
「なんだ、チャラ男かよ……」
金髪の女がため息をついた。
「自己紹介が遅れてごめんね」
と、主任研究員は言った。
「わたし、夏野ゆかり。
ピチピチの十九歳っ」
と、腕をよせてそれほど大きくない胸にむりやり谷間をつくる。
「プラス、十歳な」
と、金髪。
「うっさいわね。
で、この子は……」
「桐山美穂。
青山エレクトロニクスの本社のシステム管理部で保安担当をしてる。
ガチの19歳ね。
大学生だけどいちおう正社員。
クラッキングの技術やサイバー・セキュリティの知識を買われてバイトみたいなことをしてたんだけど、そのうち担当の部署の責任者にされちゃって、挙句に、部署の責任者がバイトじゃ大企業の体面的にアレだからってことで半分むりやり社員にされた。
ほとんどの仕事はリモート・ワークで済ませてて、あまり出社はしてないんだけどね。
だからなんとか学業と両立できてる」
「創業家の親戚の子なのよ」
と、夏野が言った。
「拒否ったら仕送りを止めるぞってオヤジから脅されちゃってさ」
と、桐山が愚痴っぽく言った。
「オヤジ、関連会社の役員だから本社にはいつもへこへこしてんの。
くそ。
相談なんか引き受けるんじゃなかった」
「あ、自分、槙島遼です。
一年です。
好きな食べ物はハンバーガーで、英語が苦手です」
自己紹介といっても、それくらいしか言うことがない。
「高校一年生ってことは、15歳?」
と、夏野が桐山にむかって言う。
「付き合ったら捕まるんだっけ?」
「大手家電メーカーの社員が高校生と淫行!
って、ヤフーとかに出るかもね。
顔写真つきで」
「そうよねえ。
性別が逆だったら間違いなくそうなるわよね。
あんたは19歳だから未成年どうしってことでセーフになるの?」
「わたしはチャラ男には興味ない。
いちど酷い目に遭ったから」
桐山が一瞬だけ、女の敵でも見るようなキツい眼つきで遼をにらんだ。
「俺、チャラいというよりただのアホなんです、すいません……」
「遼はすでに気づいただろうが」
と、扇谷は言った。
「桐山さんは能力者だ。
それも、大企業のシステム管理者にはうってつけの、な」
「情報方面に強そうに感じた」
「そのとおり、桐山さんは残留思念を読むのに長けている。
まあ、能力者なら誰でも多少なりとも第三の眼のようなものは開いているが、桐山さんはそれがズバ抜けている。
つまり、他のハッカーに対して大きなアドバンテージを持っている。
青山エレクトロニクスはいい人材を囲い込んだと思うよ、ほんとうに」
桐山は扇谷をちらっと見てにやりと笑った。
「なにも出ないよ」
「夏野さんたちとは前から知り合いだったの?」
と、遼は扇谷に尋ねた。
「彼には、神明幽賛会を介して、うちの研究所の実験を手伝ってもらっていたの」
と、夏野は言った。
「いわゆる≪異能≫には謎が多いからね。
いろんなデータを取らせてもらって、解析をしているってわけ」
「けれども、ハッキリ言って……」
と、桐山が言った。
「カオス・ウェーブ研究所のほうが数歩、先をいっている。
あ、政府が100%出資している研究機関のことな」
「青山エレクトロニクスは、さすがに≪魔物≫を捕まえてきてモルモットのように扱うということまではしていない」
と、扇谷。
「危険すぎるし、倫理的にも問題があるからな。
けれども、カオス・ウェーブ研究所はそれを平気でやっている。
もちろん秘密裏に、だが」
「ねえ、槙島くんはどう思う?」
と、夏野が応接室のテーブルにのりだして、言った。
「わたしたちは≪魔物≫をじかに研究対象にできないせいで、≪鬼道衆≫に後れを取るかもしれない。
けれども、≪魔物≫を捕まえて弄り始めたら、連中とおなじだと言って批判する人もでてくると思う。
わたしたちは技術畑の人間だからまだいい。
実際に戦うのは君たちでしょ。
技術で後れをとって、いちばん割を食うのはあなたたち。
だから意見を聞いてみたい」
「もちろん死にたくはないけれど……≪魔物≫を利用するなんてのはもっと嫌だ」
「へえ、意外と骨があるね」
と、桐山が言った。
「チャラ男のくせに」
「本当に、いいの?」
と、夏野が、これは決して感情で決めるべき問題じゃないと言いたげに、声を低くした。
「≪魔物≫は≪瘴気≫を呼ぶ。
その≪瘴気≫は、異世界へのゲートになっているという説もある。
それに、≪能力者≫は≪瘴気≫を力に変えることだってできるの。
≪魔物≫はともかく、≪瘴気≫の研究をすすめないと、わたしたちはいずれ彼らに太刀打ちできなくなる。
そうなったら、きっと今より多くの人が地獄を見ることになるわ」
遼は、黙って手元を見つめた。
頭ではそれが正しいとは分かる。
けれども、気持ちが反発するのはどうしようもない。
「よく考えてみてくれると嬉しい」
と、夏野は言った。
桐山が、ことりと音を立てて、テーブルにくだんの装置をおいた。
「なるほどね……意見を言ってもいい?」
「ぜひ聞かせてください」
と、扇谷。
「機能としては、扇谷くんの見立てで間違いないと思うよ。
問題はこれにこびりついていた残留思念のほう。
仕掛けたのは≪鬼道衆≫で間違いない。
頭数をそろえて、この学校を襲うつもりでいる。
ちょうど、この装置を組んでいるヤツの傍で、≪鬼道衆≫がパイプ椅子に円座になって襲撃の相談をしているのが見えた。
薄暗い倉庫みたいなところで、な」
「襲撃の日付は分かりますが?
できれば時間まで分かると……」
と、扇谷は言った。
その顔がすこしこわばっている。
「そこまではわからない」
と、桐山は言った。
「それより、ちょっと気になる情報があるんだよね。
わたしの≪能力≫を使って、カオス・ウェーブ研究所の回線に侵入して、与党との橋渡し役をしている連中の会話を盗聴しているときに、たまたま拾ったんだけど……」
金髪に指を差し入れて、すこし顔をしかめ、
「断片的に、『新技術の実戦テスト』という言葉が聴こえたんだ」
「新技術……」
「それを、実地で試すっていうことだろう」
と、桐山。
「で、いま≪鬼道衆≫が抱えている紛争といえば、都心の土地開発の件と、この神明舎学院の件だ。
そのどちらかに、『新技術』が投入される可能性が高いと思うんだ」
扇谷は顔をしかめて額を支えた。
「黒崎さんやアヤメさんに早く報告しないとな……」
「詳しくは知らないけど、扇谷くんは≪式神≫を召喚できるんだろ」
と、桐山が言った。
「ええ、まあ……」
「そういえば」
と、遼は言った。
「≪蟲≫を飼育していた倉庫で、火の鳥を召喚していたな」
「≪朱雀≫というんだ」
「あれが≪式神≫?」
「そうだ」
「≪式神≫にはいくつかの種類があるそうだね」
と、桐山。
「ええ、十二、います。
陰陽師が使っていた六壬式占という古い占いに由来するもので、干支や十二黄道と紐付けられている」
「それらを召喚すれば、様々な自然現象を引き起こすことができるって聞いたけど」
「そのとおりです」
「なら、雷は起こせる?
電撃的なものは?」
「東方を司る≪青龍≫という式神がいます。
東方は易卦では≪震≫に相当しますが、その意はズバリ雷です。
まわりくどくなりましたが、≪青龍≫を召喚すれば可能です」
「わたしが思うに――」
と、桐山は言った。
「その新技術は、おそらく古来の呪術と科学技術を組み合わせたものだと思う。
この装置みたいにね。
ということは、雷いっぱつでショートさせられると思う。
どんなによくできた基盤でも、高圧の電流ひとつでぶっ壊れるから」
「なるほど……肝に銘じておきます」
「基本的な構造は」
と、夏野は言った。
「御札とかタリスマンだとかの呪術的な仕掛けの威力を、電子基板に繋げて拡大させる、というかたちになっているんだと思う。
要はアンプね。
だから起動は電子的にはなされない。あくまで呪術的に起動させるんだと思うわ。
そこは呪術の一般的なアイテムとおなじに考えて問題ないはずだよ」
「これ、貰っていってもいい?」
と、桐山が装置をビニール袋におさめながら言った。
「ええ、そちらで好きにしていただいて構いません」
と、扇谷は言った。
「じゃあ、わたしたちはこれで」
と夏野は言った。
四人でそろって部屋を出るとき、夏野はさりげなく、
「もし東京に来ることがあったら電話ちょうだい……」
と小声で言って、香水の匂いを仄かに漂わせながら、遼に名刺を握らせてきた。
裏には手書きの携帯の番号があった。
遼は、ゲッツ、と心のなかで呟いた。
その遼の耳元に、扇谷が、
「あのひと、既婚者だからな」
と、囁くように言った。
「電話をするならそのつもりでな。
ああ、俺はなにも見なかったことにしておく。
そのかわり、モメてから巻き込んでくれるなよ……」
手のなかの名刺をじっと見つめながら、遼は、大人の女のひとって怖い、と思った。




