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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第四章 博愛主義者はだれも一人では歩かせない
62/75

6.


   ***




 星宮アヤメは非常階段の踊り場まであがると、あとに続く武蔵野寿をふりかえった。



「雅数から聞いたよ。


 どういうことだか説明してくれない?」



「君も同意してくれたはずだよ、アヤメ」


 武蔵野の声には、弁解の色があった。


「≪魔物≫と戦っていくには癒し手が必要だ。


 現に昨夜、いとのおかげでどれだけの寮生が命を繋ぎとめることができたか」



「それはよく分かってる。


 けれど、亡くなったひとの身体を依り代にすることにまで同意した訳じゃない」



「では、≪癒し≫の素養を持った子がどこかで見つかるのを辛抱強く待てというのか?


 星宮の一族にだってそういう子はなかなか生まれなくなっているのに。


 見つかるまでに、いったい何人の寮生が、≪能力者≫が、死んでいくんだろうな。


 アヤメ、もっと現実的になるべきだ」



「下級生との信頼関係を損ねたくないの」



「僕も知らなかったんだよ」


 と、武蔵野は俯いて言った。


「槙島くんと有川さんの娘さんのあいだに、そんな経緯いきさつがあったなんて。


 雅数くんに言われて、初めて知った」



「彼、きっと怒ると思う」



「……死後硬直がほとんど進行していない、損傷のまったくないきれいな遺体なんて、なかなか手に入るものじゃないんだよ。


 それに、有川さんご夫妻にはちゃんと説明をして、遺体を提供してもらっている。


 あのひとたちは謝礼も受け取らなかった。


 娘さんの身体が、おなじような目に遭っている若い人たちを助けるために使われるのなら、と泣きながら同意してくれたんだ」



「寿がちゃんと手続きを踏んで有川さんから遺体を譲り受けたことはわかった、でも……」



「召喚される癒し手の≪霊≫にとっても、あの子の遺体は理想的だった。


 有川さんは≪蟲≫によって魂のみが殺されたため、身体は健康だし、容姿もあのとおりだ。


 じつに快適な肉体なんだよ。


 わかるだろう、≪霊≫を不適切な環境のもとに降ろすと、精神活動が安定しない。


 暴走する危険だってある。


 なにより≪霊≫本人がつらい」



 アヤメは髪をかきあげて、室内プールの丸屋根のほうに視線をやった。


 以前、いちどだけ武蔵野が行ったのとおなじ術を見たことがある。


 死後硬直が進行した死体にべつの≪霊≫を降ろしたが、腎臓にひどい負担がかかり、結局くるしみ抜いて、死ぬことになった。


 その≪霊≫はなぜ自分をこのような眼にあわせたりするのかと、泣いて慈悲を乞うた。


 あれは安易に手を出してよい術ではない。


 けれども、すでに行われてしまった。



「……それで、だれの≪霊≫を降ろしたの」



「星宮綾乃。


 君のひいおばあさんの従妹にあたる人だ。


 記録によると、癒し手として素晴らしい素質を持っていたが、十歳まで生きられなかった。


≪魔物≫に……殺されたんだ。


 でも、綾乃さんは……いとは、そのことを忘れている。


 自分はあくまで僕の妹だ、と思っている」



 百年ちかくもまえに亡くなっている少女の霊が召喚されたということは、転生もせずにあの世に長く留まっていたということだ。


 つまり、綾乃という少女の≪霊≫には、なにか激しく思い残すことがあったのだろう。


 要するに、まだ死にたくなかった。


 もっと生きたかった。


 ようやく、その念願がかない、いととして命をとりもどした。


 綾乃としての記憶を放棄して、いとになりきっている。


 憐れといえば憐れな話だった。



「それで、本物のいとちゃんは?


 あんたの実のいもうとの、という意味だけど」



「八年まえに、ひっそりと息を引きとった。


 多臓器不全でね」


 武蔵野は、遠くを見透かすような眼を、かなたの稜線のほうへ向けた。


「四歳のときに魔物に襲われて、なんとか一命をとりとめたが、それだけのことだった。


 あの子はあれからいちども鏡を見ることなく、死んでいった。


 理由は、わかるだろ……」



「寿、かわいがってたもんね。

 

 わたし、覚えてるよ」



 武蔵野は黙っている。


 その奥歯がぎりっと鳴った。



「……事情はだいたい分かった。


 で、これからどうするの」



「できるなら、このことは伏せておきたい」


 武蔵野は、はっきりと言った。


 できるなら、という言い方をしたが、声色には、意地でもそうさせてもらう、という響きがあった。



 四時間目の開始を告げるチャイムが鳴ったが、アヤメは非常口のむこうを一瞥して舌打ちをしただけだった。



「このことは生徒会できちんと共有したほうがいい」



「たぶん、そのほうがいいんだろうな」


 と、武蔵野は認めた。


「だけど、考えてみてほしい。


 いとは、癒し手としての役割を求められて、あの世から呼び戻され、死んだ少女の身体に降ろされたのだと気づいたら、きっとつらい思いをするだろう。


 それだけじゃない。


 いままで兄と思っていた僕がじつは兄ではなく、両親と思っていた父さんと母さんがじつはそうではなかったと分かったら……」



 問題はそのことだった。


 綾乃の霊は、すでに、自分をいとだと信じ切っている。


 いととしての認識の基盤を破壊してしまうのは、さすがに忍びない。


 アヤメはため息をついた。


 いとのなかの綾乃は、まだ十歳にも満たない女の子なのである。



 多少の負い目もあった。


 本来なら、癒し手の役割は星宮家の娘たる自分が果たすべき役割だ。


 しかしアヤメはその力を持っていない。


 いわば、自身の落ち度の後始末をしてくれているのが、武蔵野と、いとだった。


 強いことを言えた義理ではなかった。



「共有すれば、その話はいやでもあの子の耳に入るだろう」


 と、武蔵野は言う。



「……かもしれないね」



「いとは誰がなんと言おうと、僕の妹だと思っている。


 かけがえのない妹だと思っている。


 そして、あの子には、人並みの人生を、幸福を、経験させてやりたい……」



 アヤメはじっと武蔵野の瞳を見つめた。


 死んだいとの面影を、蘇らせたいとに、重ね合わせているのだろう。


 そうせずにはいられないほどの傷を、この幼馴染は、ずっとひきずっていたのだ。



「わかった」


 と、生徒会長は言った。


「いとちゃんは、四歳のときに≪魔物≫に襲われたけど、なんとか回復して、いまはこの学校に通っている。


 そして偶然、癒しの力を持っていた。


 わたしもそのストーリーに従うよ。


 雅数も、きっとわかってくれると思う。


 ……槙島にバレちゃったら、そのときは平謝りするし」



「……恩に着るよ」



「さ、戻ろっか」


 と、アヤメは明るく言った。


「生徒会長が授業をバックレるのは、さすがにまずいし」


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