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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第四章 博愛主義者はだれも一人では歩かせない
60/75

4.


 いつのまにか、居眠りをしていたようだ。


 気がつくと、事務室のソファに座っていた。


 応接用のテーブルにカウチ、それにターン・テーブルとレコード一式、文庫本で半分ほど埋まった三段の本棚、そのうえに紙袋があるのを別にすれば、他にはなにもなかった。


 窓は北向きで、昼でも薄暗い。


 黒崎はあえてここを仕事部屋に選んだ。


 日当たりのいい南向きの部屋は、いるだけで苦痛だった。



 続きの給湯室で顔を洗い、口を濯いだ。


 壁に掛けた時計を確認する。


 短針は九時と十時のまんなかくらいを指している。


 それでようやく用事のことを思い出した。


 寮生のひとりをここに呼び出していた。


 授業を抜けさせることになるが、学校には了承を取っている。


 逃亡される恐れはあったが、電話でかれが話したとおり、時間通りに来てくれることを信じたかった。


 来なければ、駅なり黄幡市内の実家なり、探しに行かねばならない。


 確認を怠るわけにはいかないことを、確認しなければならなかった。


 気が重くないといえば嘘になった。



 扉がノックされた。



 黒崎は、


「入ってくれ」


 と言った。



 三年生の男子の滝本が、なぜ呼ばれたのか分からないという顔を、のぞかせた。


 黒崎と目が合うなり、首をすくませる。


 それから、部屋のなかを見渡した。


 彼は消灯時間を過ぎて寮をうろついたことがなく、寮生の間で罰ゲームと呼ばれている処置を経験したことがなかった。


 噂には聞いていただろう。


 だから物珍し気に部屋を見回しているのかもしれない。



「そこにかけろ」


 と、黒崎は手でカウチを示した。



 滝本は、言われたとおりにした。



「授業中にすまないな」


 と、黒崎はソファに座りながら言った。


「おまえにいくつか確認したいことがある」



「はい、何スか」



「おまえは昨日の朝に殺害された田崎の、ちょうど真下の部屋に入っていたな」



「そうですけど……」



「田崎が襲われる寸前に、鉄柵がゴリゴリと鳴る音を聞いた、と言っていたらしいが、間違いないか」



「えっと……どうだったかな」



「おまえの友達がそう聞いたと証言しているんだが」



「ああ、そうだったかもしれないです」



「ところがな」


 と、黒崎は言った。


「田崎の隣の部屋に入っている寮生は、そんな音は聞いていないと言っている。


 いきなり鉄柵が落ちる音を聞いたそうだ」



 滝本は、なぜそんな細かいことを、という顔付をしていた。



「おまえが昨日、学校に行っているあいだに、寮室を調べさせてもらった。


 こんなモンが出てきたンだ」



 黒崎はたちあがって、本棚のうえに置かれた紙袋をとり、なかから縄梯子とピアノ線、ドライバーのセットをとりだして、テーブルに置いた。



「ちょ、プライバシーの侵害じゃないですか」



「すまないな。


 緊急事態だったものだから、いちいち許可を取っていられなかった」



 滝本は視線をおとした。



「俺はこう考えたんだ。


 おまえが『ゴリゴリと鳴る音』を聞いたと言ったのは、≪魔物≫がそとから鉄柵をこじあけたという印象を与えるためじゃないか、とな」



 黒崎は滝本がなにか喋るのを辛抱強く待ったが、無駄に終わりそうだった。



「……この件では、ひとが一人、死んでいる」



 寮生は唇を咬んで、依然、黙っていた。



「もうひとつ、確かめたいことがある」


 と、黒崎は言って、ジャケットの内ポケットから一枚の広告を取り出して開き、滝本にむけた。


「校内の掲示板に貼ってあったものだ。


 学食の運営会社の名前で、学食の割引券を無料で差し上げます、とある。


 日時は昨夜の10時だ。


 ここにQRコードがあるけれども、ご丁寧に、偽サイトまで作られていた。


 が、実際には、配布はされなかった。


 この話を信じた寮生が、学食に大勢集まった。


 昨夜の事件のことはおまえも知っているだろう。


 このデマのせいでかれらは孤立し、逃げ遅れ、多数が死亡した」



 滝本の、膝のうえで握りしめている手が、小刻みに震え始めた。



 もう、自白は取れたようなものだった。


 これ以上問い詰めるのは酷な気もしたが、



「この広告は、どうして掲示板に貼ってあったのだろうな。


 職員も先生も、みな知らないと言っている」



 かれは、なにも言わなかった。



「言いたくないのなら構わない。


 ただ、ひとつだけ聞かせてくれ。


 ほかに、なにかやったか?


 わかるだろうが、寮生の命に係わるかもしれない大事なことなんだ。


 おまえにダンマリを決め込まれると、困るんだよ。


 仕事が増えちまう」



「……弟が、ヤクザの女に手を出したンです」


 と、滝本は声を絞り出すように言った。



 よくある手口だ、典型的な美人局だな、と黒崎は思ったが、黙って先をうながした。



「それで拉致られて、俺んところに呼び出しの電話がかかってきたンです。


 駆けつけたら、そのヤクザにへんな連中に引き合わされて。


 いますぐ謝罪金の100万を作ってくれば弟は解放してやるが、作れないのなら、この連中の言うことを聞け。


 おまえに仕事を振ってくれる。


 その報酬を、俺がもらう。


 それでチャラだ。


 通報したら問答無用で弟を殺す、だれかに喋っても殺す、と言われました……」



「なぜ、相談してくれなかった」


 と、黒崎は言った。


「おまえが『仕事』を実行するまえなら、いくらでもやりようがあった。


 だがもう手遅れだ。


 おそらく、助からんだろう」



「どうしてですか。


 俺、ちゃんと言われたとおりにしたのに」



「連中の目的は、おまえに工作をさせることだ。


 それが済んだら、弟にはもう用がない」



 黒崎は、額を支えて視線をおとし、ため息をついた。



 すぐに、滝本のスマホが鳴った。


 黒崎は、出るように促した。



 耳にあてるなり、哀れな寮生の身体の震えがひどくなった。



 みじかい受け答えのあと、通話を切る。



「弟が……ひき逃げされたみたいです。


 病院に搬送されたけど、心の準備はしておけって。


 オヤジからでした……」



 黒崎は内心、気の毒に、と思ったが、口に出しては、



「なんとか助かることを祈ってる」


 と言った。



 寮生が、嗚咽を始めた。



「今後、連中から連絡があったら、すぐに俺に知らせろ」



 滝本は、あごを引いた。


 その先から、涙が滴り落ちた。



「それから、このことは他言無用だ。


 おまえは知らぬ存ぜぬで通せ。


 いいな」



 黒崎は穏やかに、もう行って構わない、と言った。



「こんな俺を……まだ寮に置いてくれるんですか。


 田崎が殺されて、ヤバいことをさせられているとちゃんと気づいていたのに、黒崎さんに報告しなかった」



「居心地は悪いだろうが、我慢しろ。


 出るよりはマシなはずだ」



「本当に……すみませんでした……」


 滝本は号泣した。



 寮長は、かれに聞こえないように、静かにため息をついた。



「反省の言葉なら聞きたくない。


 俺はもうなんども他人に裏切られてきたンだ。


 はっきり言って済まないけれど、おまえには期待していない。


 けれど、おまえの本心はおまえ自身が分かっているはずだ。


 それで十分だろう?」



 黒崎は、滝本が落ち着くのを待つあいだ、インスタントのコーヒーを淹れてやった。


 それからすぐに、かれのスマホが鳴った。


 弟が息を引きとったという報せだった。


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