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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第四章 博愛主義者はだれも一人では歩かせない
59/75

3.


   ***




 黒崎凌司には、目を閉じると瞼の裏に否応なく見えるものがあった。


 網膜に焼きついているのである。


 それは護摩の焔だった。


 法衣をまとって本尊のまえに座し、一心不乱に真言を唱えながら、木片を炉にくべ続けるのである。


 行は、長い時には数日にも及ぶ。


 そのあいだ、ほとんど飲まず食わずで通す。


 過酷な修行であった。


 顔はほとんど火傷を負ったようになり、意識は朦朧としてくる。


 法衣のなかは汗でどろどろになる。


 しかしなによりつらいのは、眼だった。


 薄暗い本堂のなかでまばゆい護摩の焔を見つめ続けるせいで、光の感度がおかしくなってくる。


 さかんに踊る焔が脳を侵食する。


 やがて視界が、脳が、世界が焼けただれてゆくような気がしてくる。


 そういう行を長く続けてきたせいで、黒崎は夜間や屋内でもサングラスが手放せなくなった。


 過酷な修行ですり減った視神経には、午前の淡い陽のひかりでさえもひどく染みた。



 加えて、ここ数日は寮長としての仕事が多忙を極め、ろくに眠ることができないでいた。


 とくに昨夜は、神明舎学院の寮で、32名もの死者を出した。


 怪我人はそれに倍する。


 表向きのことは学校や神明幽賛会、≪討魔衆≫の事務方が対応に当たっているが、黒崎にはほかに保安関係の職分もある。


 いま学校に起こっている深刻な問題に責任をもって対応できるのは、事情に通じた大人の≪能力者≫だけだ。



 子供たちの命がかかっている。



 黒崎はこれまで、人間の死というものに嫌というほど立ち会ってきた。


 多少は免疫ができているつもりだった。


 それが、予想を超えて、ここまで重圧を感じることになった理由については、思い当たるふしがあった。


 死んだ子の歳は数えるなというが、生まれてすぐに殺された息子は、もし生きていれば、ちょうど今年、高校生になる。


 寮生たちを見ていると、そのことを思い出さずにはいられなかった。



 妻も、そのときに一緒に殺害された。


 正確には、まだ妻ではなかった。


 妊娠したとわかって、すぐに身を固めるつもりだったが、女のほうが拒んだ。


 わたしと結婚して欲しいのならヤクザから足を洗えという。


 強情な女だった。


 黒崎は、幾人かの兄貴分や幹部に借りがあって、すぐに組を抜けることが難しかった。


 それで、二年待ってくれ、と答えた。


 女は、あくまで、組を抜けるまでは絶対に婚姻届にサインしない、と言った。


 黒崎は黙々と準備をすすめたが、ようやく組を抜けられる見通しが立ってすぐに、恋人と息子が殺された。



 当時、黒崎は都心で大勢の若い衆をつかって地上げをやっていた。


 再開発が声高に叫ばれ、どこの組も大量の人員を投入して、一方では住宅や小店舗にいやがらせをし、一方では大金をちらつかせて、土地を買い上げようとしていた。


 黒崎は、部下たちにカタギへのいやがらせを許さなかった。


 どのみち他の組の息がかかった連中が熱心にやっている。


 そのうえ自分たちがいやがらせをしても効果はほとんど見込めない。


 それよりこまめに足を運んで、信頼関係を構築し、要望を聞いたり、あるいは、探偵事務所に土地の所有者のかかえている問題を調べさせて、さりげなく解決法を提案する。


 そうして、購入にこぎつけるのだ。


 代替の物件を見繕ったり、老人ホームを世話したり、子供の就職や結婚のあっせんをしたりはしょっちゅうだった。


 ときにはトラブルの処理もやった。


 カタギにいやがらせをする地上げの組織に手打ちをもちかけ、応じなければ抗争も厭わなかった。


 地元の住民の評判はかならずしも悪くはなく、業績はきわめて良好だったが、そのかわり他の組とモメることも多かった。


 それで週刊誌に、遥山組の武闘派だの、次期若頭候補だのと書かれることになった。


 恋人はいい顔をしなかった。


 それどころか、ときには激怒した。


 とにかく気性の荒い女で、近所の外聞も気にせず、話が違うでしょと大声を張り上げ、ひどいときには、週刊誌と木刀を手に、追いかけられることもあった。



 冷泉玄尋とは、この頃に知り合った。


 仕事上の付き合いがある探偵事務所でアルバイトをしていたのが、当時大学生の冷泉だった。


 とにかく有能な男だった。


 父親が与党の有力政治家で、将来はその地盤を受け継ぐと目されていた。


 一方で、冷泉にあまり関わらないよう忠告してくる組の若い衆もいた。


 冷泉と同郷の男だった。


 あの政治家のボンボンは中学時代にひとりふたりでない数の人間を殺しているが、逮捕はされず、そのかわり一年ほど精神病院に入院させられたという。


 政治家である父親がそのように計らったのだ。


 気味のわるい噂もよく聞く、と彼は言った。


 しかし、黒崎はとくにこだわらなかった。


 すねに疵を持つのはお互い様だった。



 ある日、部下がとある新興宗教団体とモメた。


 権利が入り組んで所有者がわからなくなっていた廃墟ビルに、その宗教団体の信者がおおぜい入っていた。


 ようやく権利を整理して、弁護士をあいだに入れて立ち退きを求めたところ、部下が相次いで殺された。


 黒崎は訳がわからなかった。


 殺され方が尋常ではなかった。


 まさに昨夜の寮生のような有様で、損傷がひどい。


 明らかに筋ものの仕業ではなく、むしろ野犬の群れに襲われたり重機で潰されたような感じだった。


 そのうえ、警察は捜査しようともしない。



 遥山組も気色ばんだ。


 親分衆は、その宗教団体に報復しなければ組のメンツが立たないというのだ。


 血気盛んな組員が、宗教団体の幹部を撃ち殺すに至って、全面抗争の様相を呈してきた。


 黒崎自身も襲撃を受けた。


≪能力≫に覚醒したのはそのときだった。


 そうして≪魔≫のことを理解した。


 表に出ない世界があることを知った。



 しかし、ピンチはチャンスとも言う。


 いままでの地上げの成果に加えて、この宗教団体とのトラブルに収拾をつければ、組に受けた恩や借りをまとめて返せる。


 つまり、筋を通して組を抜けることができる。


 そのように考えた黒崎は、一方で新興宗教団体に手打ちを提案し、一方では容赦なくかれらの使役する≪魔≫を狩っていった。


 連中にも利害・損得はある。


 かならず手打ちに乗ってくるはずだと考えたが、甘かった。


 ある晩、自宅マンションに戻ると……恋人と生まれたばかりの息子が殺されていた。


≪魔≫の仕業に違いなかった。



 宗教団体の教祖は、哀れな男だった。


 自分は神に選ばれた人間だと信じて疑わなかったが、実際はたんに≪魔≫に魅入られていたに過ぎなかった。


 信徒を人身御供に捧げ、≪魔≫どもの加護を得ることを、崇高な儀式のように考えていた。


 ついには精神に異常をきたし、≪魔界≫から見境なく≪魔≫を召喚して、遥山組にけしかけた。


 教祖はそれらをあくまで天使の軍団だと信じていた。



 教祖そのものはただの狂人に過ぎなかったが、かれを利用していた≪魔≫はそれなりに高級なものだった。


 力に目覚めたばかりの黒崎には、歯が立たなかった。


 負傷し、逃げ隠れざるを得なかった。


 そのとき滞在していた、寂れた温泉街のホテルまで、訪ねてくるものがあった。


 それが冷泉だった。


 かれは黒崎のまえでレビヤタンという悪魔のすがたに変じてみせ、くだんの教祖に憑りついている≪魔≫とはいささか因縁がある、共闘しないか、と提案してきた。


 状況を考えれば、選択の余地はなかった。



 黒崎は冷泉から戦い方の指南を受けた。


 要するにこの方面の戦いでは、精神状態が戦闘力を大きく左右する。


 それさえ知ってしまえば、教祖に憑いていた≪魔≫など、鋼の意思をもつ黒崎の敵ではなかった。


 なんなく八つ裂きにして、冷泉に協力の謝意を示すと、かれは、見せたいものがあると言って、黒崎を防音設備のあるマンションの一室に案内した。


 そこには、椅子に縛り付けられた教祖がいた。


 拷問でもなんでも好きなように殺せばいい、という意味だろう。


 冷泉なりの善意らしかった。


 黒崎は首を振って、力を失った単なる狂人には、もはや用はない、と言った。


 ならば私の好きにしていいか、と冷泉は残酷なひかりを眼にたぎらせて言った。


 教祖の男が慈悲を乞いながら聞くに堪えない悲鳴をあげ始める。


 レビヤタンをその身に宿す大学生は、そんなに苦しければ貴様の神に救いを求めればよかろう、などと言ってあざける。


 黒崎はそれに背をむけ、黙って部屋を出た。


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