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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第四章 博愛主義者はだれも一人では歩かせない
58/75

2.


   ***




 冷泉れいぜい玄尋つねひろは、秘書に髪を梳かしてもらいながら、目当ての記事が読みやすいように、タブレット端末の表示を拡大させた。



 タワー・マンションのガラス張りには、UVカットが施してあるせいで、差し込む朝日は青みがかっていた。


 かならずしも薄暗くはなかったが、眼の焦点がうまく文字に合ってくれない。


 まだ老眼という歳ではなかったが、むかしから遠視ぎみではあった。


 腕を伸ばし、ソファにもたれるようにやや首を後ろにさげると、秘書の鞠野まりの静香しずかが、



「先生、じっとしていて下さいね」


 と、子供をあやすように言った。



「ああ、すまない」


 と、冷泉は言った。


「目が霞んで仕方ないんだ。


 歳はとりたくないものだよ」



 秘書はくすくすと笑う。



「まだ四十まえなのに、お年寄りみたいなことを仰るのね。


 夕べ遅くまで仕事をなさっていた所為せいですよ」



「うん……そうだったな」



 昨夜は、鞠野と食事にゆく予定だったが、急遽、冷泉が所属する共和政友党の支持団体の関係者と会わなければならなくなった。


 拗ねたような口調で、たいへんですねと言う鞠野を、すぐに済ませるからと宥めたが、あいにく会談は長引き、終わったのは日付が変わってからだった。


 そんなことが、もう三度も続いている。



 鞠野には、ほかの人間には任せられないようなことで、いろいろと動いてもらっていた。


 決して君を軽んじている訳じゃない、ということは、伝えておく必要があった。



「埋め合わせはかならずするよ。


 近いうちに」



「はいはい。


 期待しないで待ってます」



 それにしても、昨夜の会談はひどいものだった。


 要するに陳情だ。


 その支持団体は新世紀霊性普及協会といい、11の新興宗教から成っている。


 与党内では祇邦ぎほう会という派閥と関係が深く、そこへきて冷泉は、祇邦会の若手のホープなどと週刊誌に書かれることが多かった。


 連中は選挙ともなれば信者を総動員してばかにならない数の票を投じてくれるので、粗略にするわけにもいかなかったが、その陳情の内容は、年を追うごとに厚かましくなっていた。



 新世紀霊性普及協会の関係者は、警察官をひとり、殺害したいという。



 団体の中核をなす、大きな新興宗教が、施設の用地の取得をめぐって、市民団体とトラブルになっていた。


 新興宗教の上層部は警告のために≪魔≫を使役して、市民団体の幹部を数名、殺害したが、かえって人権派の弁護士とジャーナリストの関心をひいてしまい、さらにこれらを殺害する羽目に陥った。


 ところが、こんどは正義感にあふれる警察幹部が、この事件に強い興味を示しはじめた。


 いろいろと伝手つてをつかって手を引かせようとしたが、効果がない。


 それでこの際、殺したいのだという。


 ただ、警察幹部を殺害するとなると、波風が起こりやすい。


 与党の大派閥である祇邦会に断りもなく実行するのははばかりがある。


 そこで先生にご理解を頂きたい、という話だった。


 ようは、そちらの顔を立てて、前もって断っておくから、各方面に調整をしてくれ、ということだろう。



 冷泉は、ふざけたことを抜かすこの関係者こそ八つ裂きにしてやろうかと思ったが、とりあえずは短慮を思いとどまらせ、その場で当該の警察幹部に電話を入れた。


 もちろん番号を通知して、だ。



「夜分に申し訳ない、官房副長官の冷泉です」


 と、政府での役職を告げて、


「あなたの正義感はよく分かる。


 しかし、難しい立場に立たされていることは、ご自分でもお分かりのはずだ。


 あなたの上司はいい顔をしていないだろうし、部下も消極的なはずだ」



「……これは、政治的な圧力、ということですか」


 と、その警察幹部は言った。



「好きに受け取っていただいて構わないが、私としては善意の忠告のつもりだ」



「……話すことはありません」



「あなたはどのみち、いまは目的を果たすことができない」


 と、冷泉は辛抱強く言った。


 こういうまっすぐな男が嫌いではなかった。


「時機をお待ちなさい」



「そうやって無辜の市民が殺されていくのを黙って見ていろと?」


 警察幹部の声が怒気を孕む。


「ふざけないでいただきたい!」



 冷泉は首をふって、通話を切った。


 団体の幹部に、この件は自分に預けてくれるよう交渉し、帰らせて、それから鞠野を呼んだ。



「この警察幹部だが……」


 と、団体の人間が置いていった資料をそのまま秘書にむけて、


「精神をちょっとばかり弄ってきてくれるか。


 半年から一年ほど、入院していてもらいたいんだ。


 くれぐれも、回復が可能な状態にとどめておいてくれ」



「あなたの命令なら喜んで」


 と、鞠野は言った。


「でも、どうしてそのようなまわりくどいことを?


 殺してしまえばいいのに」



「すこし考えがあってね。


 いずれ話そう」


 君がひとの心を解することがあれば、だけど。


 冷泉は心のなかでそう付け加えた。



 すぐにとりかかります、と言って踵をかえす鞠野のうしろ姿が、ほんの一瞬だけ、いにしえのゾロアスター教の悪魔、ジャヒーに変じる。


 妖艶な身体の曲線に、あでやかな長い黒髪、蝙蝠の翼と、黒いエナメルの尻尾。


 娼婦の支配者とされているらしいが、近親婚を美徳とするその信仰体系において悪魔と位置づけられるのは、むしろ名誉なことではないかとさえ、冷泉は思う。


 近親交配を重ねれば、その一族は奇形を多く生じて廃れゆくだけのことだ。



 政治屋として、この処置のことをつらつら考えるなかで、冷泉は、我ながら矛盾しているな、と苦笑いを浮かべずにはいられなかった。


 世を滅ぼす段取りはすでにつけてある。


 このまま行けば、通常の人間のだれもがそうであるように、あの警察幹部も滅びを免れることはできないだろう。


 それを、あえて生き永らえさせようとしている。


 自分はややもすると、黒崎による、かれの言うところの『おイタの後始末』が成功することを、心のどこかで期待しているのかもしれない。


 少なくとも、かれの戦いとその顛末を見届けたいという思いは自覚していた。


 ただの道楽ではあったが。



 回想から冷泉を引き戻したのは、鞠野の、



「なにか面白いことでも書いてあるの、先生」


 という問いかけだった。


「ずいぶん熱心に読み込んでいらっしゃるけど」



 秘書は手首にかけたヘアゴムで手際よく黒髪を束ねようとしてる。


 冷泉は我にかえって、眼が液晶画面の文字のうえを滑っていたことに気づいた。


 けれども概要くらいは頭に残っている。



黄幡おうばん市でまた『ヒグマ』が暴れたそうだ」


 冷泉は喉を鳴らして笑う。


「こんどは神明舎学院で多数の死者が出たらしい」



「まあ、大変」


 秘書はたいして興味もなさそうに言う。


 結わえた髪の仕上がりのチェックに余念がない。



「公安の連中が隠ぺいに動いたのだろうが、相変わらず芸がないな。


 自治体が責任をもって山狩りをすべきという議論になるのは避けられないぞ。


 その声も圧力をかけて潰すつもりかな。


 だとしたらご苦労なことだ。


 もっとも、死体の損壊の程度によっては、到底、食中毒というストーリーにはできなかっただろうが」



「≪鬼道衆≫というんでしたっけ、新世紀霊性普及協会の実働部門は」



「ああ……」



「よほどお気に召さないようね、神明幽賛会が」



「連中、≪討魔衆≫には散々煮え湯を飲まされてきたからな」



 鞠野はウィスキー棚のガラスのなかで淡く微笑した。



「黒崎や星宮の令嬢がいるのに、よくあそこまでやれたものだ、と言いたいが……」


 と、冷泉は言った。


「半端にちょっかいをかければ、竜の卵の孵化をうながしてしまうだけだ。


 連中は、成長したドラゴンのブレスに焼かれてはじめて自分がいかに危険なものに手を出していたかに気付くだろう。


 あそこには扇谷や武蔵野の令息もいる。


 ほかに、大きな素養を秘めた生徒も、幾人かいるようだ」



「……私たちも、なにか手を打ったほうがよろしいのでは」



「黒崎がいる以上、迂闊には手を出せんよ」


 と、冷泉は言った。


「まあ、いまは様子を見よう。


 ところで、今日の予定はどうなっている?」



「これからすぐに、防衛省のかたがお見えになる予定です」


 と、鞠野がスケジュール帳を開きながら言った。


「カオス・ウェーブ研究所が開発した、れいの新技術について、説明がしたい、とのことです」



 カオス・ウェーブ研究所は、経産省が100%出資している研究機関で、表向きは、半導体やAIなどの技術開発をおこない特許を取得して、国内と国外の企業にロイヤリティの差をつけることで、国内の産業の振興をはかる、という名目になっている。


 が、その裏で≪魔界≫や≪魔物≫に関連する技術の研究開発を大規模に行っていた。


 この件には防衛省がとくに関心を寄せていた。


 むろん軍事転用を視野にいれてのことである。



「その新技術を実地に試してデータを取りたいから、根回しと後始末を頼む……そういう話だろうか?


 まったく、こき使ってくれるな」



 鞠野はうふふ……と笑って、



「先生がお望みなら、血祭りにあげてご覧にいれますわ。


 この国のお役人さんたちは、先生が≪魔界≫でどのような立場におられるか、ときどき失念してしまうようですから」



「おいおい、よしてくれ。


 仕事が増えるだけだ」


 と、冷泉は言った。



 タブレット端末をテーブルに置いて、秘書のすがたをした女悪魔にコーヒーを頼む。


 海の底に沈んだような都心の眺望を見晴らしながら、やらせるなら急がねばなるまい、と思った。


 神明幽賛会の政治力はばかにはならない。


 横やりが入るまえに動く必要があった。


 そのデータは、≪魔界≫の組織に属する冷泉にとっても必要なものだった。



 科学技術と≪魔界≫関連の術の融合は、日々進捗している。


 これからは、個人の戦闘力より、むしろ技術力が、闇の世界の力関係を左右してゆくことになるだろう。


 かつて幕末の新選組は京都の市内では無敵を誇ったが、新式の銃で武装した新政府軍には歯が立たなかった。


≪魔≫の分野においても、いずれそうなるだろうと、冷泉は読んでいる。


 この章は、風呂敷を畳みにかからなければならないこともあって、わりと頻繁に視点が移行します。もし、冒頭から読んで状況を把握しにくいと感じたら、視点の移行を疑ってみてください。

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