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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第三章 博愛主義者は死の宴の夢を見るか?
56/75

17.

 遼は、はやく瘴気が明けてくれることを祈りながら、常夜灯の淡いひかりのなかを歩いた。


 寮室の扉が、変わり映えもせず、整然と並ぶさまは、パラノイアじみている。


 この扉のむこうの寮生たちは、このおぞましい夜のことはなにも知らず、眠っているのだろうか。


 あるいは扉や窓のそとに聞き耳を立てながら、昨夜の花のようにベッドの隅で小さくなり、震えているのだろうか。



 全身が、ひどい疲労感に覆われていた。



 ふと、スニーカーの靴底が滑った気がして、足許に目をおとした。


 赤い靄が垂れこめて、よく見えない。


 膝をつき、靄にもぐりこむようにしてよく見ると、それは血だった。


 足跡のかたちをしていて、それが点々と続いている。


 ふと、夜風の涼気を首に感じた。


 その流れをたどって、初めて、ドアのひとつが開きっぱなしになっていることに気づいた。



 これだけのことが続いた夜だ。


 おそらく、ロクなことになってはいないだろう。


 遼は覚悟してなかを覗いたつもりだったが、喉がひとりでに掠れた悲鳴を零すのを止めることができなかった。


 血だまりのなかに、パジャマの女子が横たわっている。


 身体の損傷がひどい。


 おそらくこと切れているだろう。


 血しぶきが壁いちめんに模様を描いていた。


 つきあたりのカーテンと窓は開けはなたれ、鉄柵がなかった。


 夜の闇にむかって、悠然とそびえる高い外灯が見える。


 足跡は、血だまりから始まっていた。



 魔物に侵入されたことは間違いないようだ。



 遼は震えてなかなかいうことを聞いてくれない指先に戸惑いながらようやくスマホをとりだし、そうして初めて気が付いた。


 クロサキの連絡先がわからない。


 星宮のも、武蔵野のも。


 扇谷にかけてみるが、繋がらない。


 もしかしたら、学食の近辺で戦闘でもしているのかもしれない。



 どうすればいいのか、分からない。


 魔物と遭遇すれば、勝ち負け関係なしに戦うまでだが、いまは寮生の被害を最小限に食い止めることも考慮する必要があるだろう。


 原因もわからず、ひとつの部屋で鉄柵が外されたということは、ほかの部屋もそうなっている可能性がある。


 アナウンスなり学校のアプリなりを利用して寮生たちに注意を促したほうがいいのかもしれないが、あいにく、遼はその方法を知らない。


 生徒会と協調することの必要性を痛感せざるを得なかった。


 星宮アヤメに意地を張ったことが悔やまれる。


 とにかく、いまは侵入した魔物を一刻もはやく見つけて討ち取らなければならない。


 遼は廊下へと出た。


 それからすぐ、無数の悲鳴が耳に飛び込んできた。


 上の階からだ。



 廊下を走り、階段を駆け上がる。



 幾人かの鎧武者が、刀をふりあげて寮生たちに斬りかかっている。


 遼の目のまえで、男子の寮生が、後ろから斬りつけられ、はぁう、と声を発した。


 刃が肺にまで届いて、空気が漏れ、声帯をうまく震わせることができなかったのかもしれない。


 寮生は、常夜灯のしたで、すさまじい形相をしていた。


 膝をつき、どさりと倒れる。


 遼は焦燥とおぞましさに胸を焼かれた。


 鉤箭剣を握る手が震え、脚がすくんだ。


 更にもうひとり、目のまえで斬り殺された。



 その血しぶきが、頬にかかる。



「う、うわあああああああ!」



 遼は訳が分からなくなりそうだった。


 アドレナリンの過剰分泌。


 剣を振りあげて鎧武者に躍りかかるが、刃は黒漆の鎧に浅い瑕をつけたのみで、弾かれた。


 ならば鎧の継ぎ目を狙おうと突きを繰り出す。


 これはなんとか鎧武者の首を捉えた。


 すぐに引き抜いて飛びのく。


 太刀がそこに振り下ろされて、リノリウムの床をガキっと叩く。



 鎧武者の数をたしかめようとするが、濃い靄のせいでよく見えない。


 いま首に致命傷を与えたのを別にすれば、少なくともあと三体はいる。


 魔物どもは、突然の敵の出現で、やや浮足立っていた。


 その隙を見逃さず、寮生のひとりが階段へとかけていく。


 すぐに生存者たちが続いた。


 まだひとり、足をおさえて壁に背をあずけている寮生が残っている。


 遼は駆け寄ろうとして思いとどまった。


 背後に鎧武者を置くのは危険すぎる。


 かれを助けるにしても、順に倒していくしかない。


 そうして先頭の鎧武者と切り結んでいるうち、怪我人の首がだしぬけにごろりと落ちた。


 赤い靄のなかからぬっと現れた鎧武者に断ち斬られたのである。



 この世の有様とは、とても思えない。



 まるで地獄だ。



 遼は頭を振ってなんとか自分をとりもどし、最後の寮生が階段を駆け上がっていくのを見届けると、その裾に立ち、剣を大げさに振って鎧武者の群れをけん制しながら、一歩、一歩、階段を後ろむきにあがった。


 足をとられて転倒でもしたら、即、殺されるだろう。


 しかし、後ろを見ている余裕はなかった。


 白刃が鈍い光沢をきらめかせてヒュッ、ヒュッと空を切る。


 バナナの皮でも踏んづけたら終わりだな、などと場にそぐわないことを考える。


 まわりこもうとする鎧武者がいる。


 鉤つきの房を投げつけ、これをけん制。


 それがうまく籠手にひっかかる。


 引き寄せて肘の継ぎ目を断つ。


 それを蹴倒して、鎧武者の群れにぶつける。



 踊り場までなんとかあがった。



 三階、四階、五階と、敵と距離をとりながら後退してゆく。


 剣を死に物狂いで振り回しているうちに、気づけば、屋上の塔屋まであがってきていた。


 扉は開け放たれている。


 屋上の隅に、寮生たちが固まって、こちらを伺っているのを、横目にとらえる。



 できれば、ここで食い止めたい。



 鎧武者の群れを屋上へ雪崩れ込ませれば、恐らく、寮生はひとりも助からないだろう。


 彼らを餌にして、逃げる気なら逃げられるかもしれない。


 しかし、そんなことをするくらいなら、ここで殺されたほうがマシだ、と遼は思った。


 こいつらは魔物だ。


 クミを蝕んだ蟲のたぐいだ。


 一体でも多く、道連れにして死んでやる。


 そんなふうに考えると、涙が浮かんできた。


 遼は自分で思うほど勇気のある人間ではなかったと、つくづく思い知らされた。



 遼は、鎧武者がくりだす刀を剣で払う。


 その切っ先が、壁を打つ。


 破片が遼の頬をかすめた。


 やむなく扉の敷居を後ろむきにまたぎ、屋上へ出る。



 これ以上は、もう引けない。


 それは分かっている。


 しかし飛び交う白刃を身体で受け止めるわけにもいかない。


 それでは無駄死にになる。


 まだできることがあるはずだ。



 鎧武者は、遼が考えていたよりずっと多くいた。


 ぞろぞろと薄暗い階段をあがってきて、屋上に出てくる。


 すでに半包囲されていた。


 後ろにまで回りこまれれば、もう終わりだ。


 成すすべがない。


 引けば、背後に回られるのを避けることができる。


 しかし、これ以上退くと、もはや寮生たちはただでは済まないだろう。



 どうやら、これまでだ。



 覚悟を決めて、斬り込む。



 白刃をかいくぐって、鎧武者の首を裂く。


 すぐに、背中に衝撃を受けた。


 刃は甲冑が阻んでくれたようだが、ずしりとくる重い痛みはいかんともしがたい。


 息がつまるのを感じながら、よろけ、倒れ込む。


 転げ、懸命にはって、気づけば、金網の際まで追い込まれていた。



 身体に力がはいらない。



 気持ちの針が諦めへと傾くのを、どうしようもなかった。



 茫然として金網に背を預けたとき、遼は信じられないものを見た。



 胴を真っ二つに裂かれた鎧武者が、斜めにずれ、一拍おいて、どさりと崩れた。


 続いて、なにかが高速で一閃する。


 兜首が四つくらい、まとめて跳ねあがった。



 袴を穿き、胸当てをつけた、美しい女武者が、立っていた。


 うっすらと光をおびた刀を手にしている。



 星宮アヤメだ。



 その刀が躍動するたびに、新体操のリボンを連想させる、美しい光の帯が、虚空を流れた。



 鎧武者はまるで木偶のごとくだった。


 その身体を次々に分断されていく。



 アヤメが刀をはらってゆっくりと鞘に納めたとき、あたりは鎧や兜の断片で埋め尽くされていた。



 静かだった。



 夜風が、ひゅうと鳴っている。



 月のひかりを浴びて輪郭を浮かびあがらせた、美しい女武者が、ゆっくりと近づいてくる。


 そうして、遼のすぐそばに膝をついた。



 ぞっとするほど綺麗な眼が、すぐそこにあった。



「怪我はない?」



 遼は、うまく声を出せなかった。



「よく頑張ったよ。


 安心して、もう大丈夫だから」



 不覚にも、涙が落ちた。



 それを見せまいと、顔をそむける。



 その気持ちを察してくれたのか、アヤメは立ち上がった。



「ごめんね――」


 と、彼女は遠くを見つめながら、言う。


「わたしたちがもっとしっかりしていれば、能力に目覚めたばっかりの新入生に、こんな苦労をさせずに済んだのに」



「いえ……助けてくれて、ありがとうございました」



 アヤメは驚いたように遼を見て、それから、



「どういたしまして」


 と言って、すこしだけ微笑んだ。



 辺りに漂う、赤い靄は、いつのまにか、薄れていた。



 東の空が、白みを帯び始めている。



「ひとに無理強いするのって、あまり好きじゃないの。


 だからこれっきりにするけど……」


 と、アヤメは言った。


「よかったら、生徒会の仕事、手伝ってくれない?


 そしたら、すごく助かるんだけど」



 遼は横をむいて、俺でよければ、と言った。



「ありがとね」


 というアヤメの声は、初対面のときには想像もつかなかったほど、柔らかいものだった。



 そうして、遼のそばにぺたりと座り込む。



「これから学校だなんて信じられない。


 昼まで寝ていたいわ……」



 女武者は、制服すがたの可憐な女子高生に、その姿を変えていた。

 第三章・完


 おつかれさまでした!

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