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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第三章 博愛主義者は死の宴の夢を見るか?
54/75

15.

「ほら、いと」


 と、武蔵野は穏やかな声でうながす。


「ご挨拶しなさい。


 このひとは――扇谷くんは、僕の大切な仲間のひとりだ」



「こ、こんばんは……」


 いとは床を見つめながら言った。



 武蔵野はどことなく気まずそうに扇谷から顔をそらす。


 それから、いとにむかって、



「さあ、さっそく始めてくれ。


 あっちに重傷者がいるだろう」



「うん……」



 いとはスカートを揺らして走っていき、怪我人の傍にぺたりと座った。


 その姿が、古い時代の女官のような格好に変じる。


 歴史の資料集で似たようなものを見た覚えがあった。


 たしか、奈良時代の命婦礼服。



 遼は、いとの様子を見守った。



 若き高級女官は、怪我人にむかってうすく瞼を閉じ、両手をかざす。


 その手が、蛍のように緑色のひかりを帯びる。


 遼はわが目を疑った。


 傷口がみるみる塞がり、瀕死の様相だった表情に、生気がみなぎってくる。



 いっぽう、いとのほうは少なからず疲弊するようで、苦しみがはっきりと顔色にあらわれていた。


 いとは怪我人の回復を見届けると、ぎこちなく微笑みかけて、立ち上がり、つぎの怪我人のそばに座った。



 そうして、また緑のひかりを起こす。



「武蔵野さん」


 扇谷が、抑制的ながら、けわしいものを孕んだ声をあげた。


「話がある。


 ちょっと来てもらえますか」



「ああ……ちゃんと説明する」



 扇谷は武蔵野をうながして、学食の隅のほうへ行き、なにやら話し始めた。


 武蔵野は腕を組み、窓のそとに視線を投げかける。



 カウンターのほうでは、腕章をつけた生徒を詰め寄る連中の声が、だいぶ大きくなっていた。



「ふざけるな、いいかげんにしろ!」


 と、男子生徒がキレている。



「さっきからのらりくらりと、なんなの」


 女子生徒が怒鳴った。


「明日一番の電車でうちに帰るから。


 もういいでしょ、部屋に戻っても」



 十数人の集団が、ぞろぞろと出口へむかう。


 それに気づいた武蔵野と扇谷は、会話をやめて、駆けつける。



「いま、ここを出るのは危険です」


 と、武蔵野は言った。


「もう少しで赤い靄が晴れると思う。


 それまでここで待機していてください。


 皆さんのことは僕たちが責任をもって守ります」



「どうしてもここを出るというなら、命の保証はできません」


 と、扇谷は言った。


「皆さんも見ていたでしょう。


 襲われますよ、魔物どもに」



「ここにいたって、らちがあかないでしょ」


 と、女子生徒がヒステリーじみた声で言った。



「よせ、こいつら生徒会だろ」


 と、男子生徒。


「学校のイヌになにを言っても無駄だよ」



「ろくに説明もしてくれず、警察も救急車も呼んでくれない」


 と、べつの女子生徒が涙声で言った。


「あなたたちのこと、信用できるわけないでしょう」



「二次被害を避けるためには仕方ないんです」


 と、武蔵野が説明する。


「山で遭難したときだって、天候がおちつくまでは救助には来てもらえない。


 それとおなじことです」



「全校集会で理事長が話したはずです」


 と、扇谷。


「然るべきタイミングで生徒の皆さんには事情を説明をする。


 いまはともかく、ここにいてください。


 寮に戻るのは危険だ」



 男子生徒は、もはや問答は必要ないとばかりに、ドアを押しひらく。



「わかりました……なら僕がみなさんの護衛につきます。


 最善は尽くしますが、命の覚悟はしておいてください」


 武蔵野は、苦々しくそう言うと、扇谷を振り返り、


「悪いけど、ここは頼めるかい」



 扇谷はうなづき、


「気をつけて」



「それから……ひとり借りたいんだけど」


 と、武蔵野は言った。


 ふと遼に視線をとめ、


「槙島くんを連れていっても、いいかな」



 遼は呼ばれていることに気付いて、歩いていった。



「怪我してるのに、すまないね」


 武蔵野は遼の左腕を見やり、顔をしかめた。


「いま、いとに治療をさせる。


 ……おーい、ちょっと来てくれるかい」


 と、妹を呼ぶ。



 いとは、疲労でふらふらだった。



「なーに、お兄さま」


 と、目をこすりながら言った。



「槙島くんの腕を治療してあげてくれないか」



「うん、いいよ……」



「いとさん、大丈夫?」


 と、遼は言った。


「ひどく疲れているみたいだけど。


 無理はしないで」



 いとは無言で遼の腕に手をかざす。


 蛍のようなきれいな光が包帯へと注がれる。


 クミとうりふたつの横顔が、その光に染まっている。


 痛みが瞬時にひいていくのがわかった。



「すごいね……」


 遼は、疲れがすべて飛んでいくような思いだった。



 二つ結びの少女は、遼を見上げて少しだけ微笑んだ。



 生徒たちはすでに赤い靄のなかを歩き始めている。



「いこう」


 と、武蔵野は言った。

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