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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第三章 博愛主義者は死の宴の夢を見るか?
53/75

14.

「秘密主義にも限界がある」


 と、遼は言った。


「ちゃんと説明しないと、そのうち破滅的なことになりかねないぞ」



「そのあたりは本当に難しい問題なんだよ」


 と、扇谷。


「本当に……」



 遼は髪をかきあげながら考える。


 この際、いちばん大切なのは統制だった。


 寮生が集団的にパニックを起こし、この赤い靄のなかを歩き回るようになったら最悪だ。


 なんとか指示に従ってもらい、守りやすいように一か所に固まっていてもらうか、結界にまもられた寮の部屋に戻ってもらう必要がある。


 それでもこのあいだの三年生のように犠牲になる可能性はあるが、歩き回られた場合に比べて、被害は断然少なくて済むだろう。


 もろもろの情報を明かせば、寮生のあいだに、さまざまな反応があろう。


 学校側を信じて指示に従ってくれる者もあれば、余計に不安を高じさせるものもあるだろう。


 要は、どちらを取ったほうが被害が少なくて済むか、だ。


 扇谷の言うとおり、たしかに難しい問題だった。



 第二に、学校のそとに情報が流出した場合の余波が予測できない。


 事が事だけに、国民にこの事実が広く共有され、国や自治体のレベルで対策が取られると期待するのは難しいだろう。


 懐疑論はかならず起こる。


 その際にもとめられるのは確たる証拠、科学的な裏付けだ。


 遼は≪魔≫や≪能力≫のことがどの程度科学的に解明されているのかまったく分からない。


 もし、国民や政治・行政を公的なかたちで説得することができなければ、いずれもみ消されるだろう。


 その場合、情報を公開するというやり方は、学校の内と外に無駄な混乱を生じるだけで終わる。



 そもそも、いま生徒会の腕章をつけている人たちに掴みかからんばかりに抗議している連中に、なんの権限をもって言うことを聞いてもらうのか、という問題もある。


 クロサキがやっていたように、秘密主義と信頼関係とほんの少しの威圧をもって言うことを聞いてもらうのが、おそらく一番穏当であるのだろう。



 情報公開に踏み切った場合と秘密主義を取り続けた場合の、犠牲者の数を、いま、算盤をはじくみたいに計算して、比較できれば話は簡単だが、それは無理な話だった。


 おそらく学校の上層部も、神明幽賛会も、あるいはほかの≪魔≫にかかわっている勢力も、これらの問題について討論を積み重ねてきたに違いない。


 そうしてかれらは経験的に、こうやって情報をあくまで秘匿するのが正解である、という結論に達したのだろう。



 それにしても、救急車を呼べばまだ助かるかもしれない重傷者に救急車を呼んでやれないというのはつらいことだった。



 それ以前の疑問もあった。


 なぜこの時間に、生徒たちが学食に集まっていたのか。


 夕食はほとんどの生徒が午後八時までに済ませる。


 赤い靄がたちこめて消灯の連絡がまわったのは十時すぎだったはずだ。


 むろん、売店に買い物にくる生徒は常時いる。


 それにしても、生徒の数が多すぎはしないか。



 扇谷にそのことを尋ねてみると、かれは、



「ああ、俺も不審に思っていた。


 食券の割引券が配布されるという噂があったようだな。


 学食を運営している企業が市内にレストランを出店するらしくてな。


 宣伝のために、この学食を含めて系列店ならどこでも使える券が配布される、という話が流布していた」



「で、実際に配布はされたのか」



「いや、デマだ。


 レストランが近々オープンするという事実はあったようだが」



「タイミングが良過ぎるな」



 扇谷はうなづき、



「だれかが悪意を持って流したのかもしれん」



 となると、生徒会には対内諜報、公安のような機能も必要になってくる。


 どこからどう考えても、手が足りない。


 遼はいまになって、クロサキやアヤメ、松田たちの問題意識がしみじみと理解できた。



「なんだよこれ……完全に無理ゲーだろ」



「しかし、さすが前世は将軍だっただけのことはある」


 と、扇谷は感心したように言った。


「君は意外とそういう方面の思慮がまわるのだな」



 言われてみれば、その通りだった。


 遼はもともとこういう考えを巡らせるタイプではなかった。


 興味もなかった。


 このように変わったのは、豹の影響であるに違いない。



「将軍は、いわば戦闘集団のリーダーだ」


 と、扇谷は言った。


「君にはその素質があるのかもしれん。


 さっきも、背中で我々を引っ張っていたしな」



「おまえに言わせりゃ、蛮勇だったけど」



「だが、あれで俺たちに火がついたのも確かだ。


 結果、戦闘の潮目が変わった」



「そうなのか?


 戦うのに必死で気づかなかった」



「野球だって、サッカーだって、そうだろう。


 懸命のプレーはかならず見ている者に伝わる。


 そうでなかったらだれもスポーツ観戦など……」



 扇谷は言葉を切って、ガラス張りのむこうに目をやった。


 まばらに学食を伺っていた魔物どもが、血しぶきをあげて次々に崩れていく。


 それからすぐに、学食のドアがひらいた。



 黒装束をまとい、刀を背負った武蔵野が、制服姿のいとの手を引いて入ってくる。


 武蔵野の姿が、ジャージに変じる。


 扇谷が声をかけてそちらに向かっていく。


 武蔵野は気づくなり、かるく手をあげた。



「結界のほうはどうですか」


 と、扇谷。



「正直言って、かんばしくない」


 と、武蔵野は答えた。


「結界付近の魔物をなんとか一掃して、応急処置だけしてきた。


 こっちも相当に厳しかったんだろ?


 この惨状を見れば、いやでもわかる」



「こちらの子は?」


 と、扇谷はいとを見やる。



「ああ……妹のいとだ」



「そうか、回復したんですね、よかった」


 と、言う扇谷の声は、抑揚を欠いていた。


「初めまして、いとさん。扇谷です」



 いとは、警戒心をあらわにして、兄の背にかくれた。



 扇谷は苦笑いする。


「どうも、嫌われてしまったようだ」

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