12.
赤い雲海のうえに、現代的なガラス張りの建物が浮かんでいる。
人工の明かりが煌々と充満し、溢れ出したひかりが靄を白っぽく染めていた。
不夜城のような趣がある。
遠目には幻想的にさえ見えるその光景も、近づくにつれ、目を覆いたくなるような惨状があらわになった。
芝生のうえに、ひとと魔物の死骸が入り乱れ、折り重なっていた。
喉を食い破られて宙をにらんでいる男の亡骸は、寮の職員のものだった。
遼はかれと言葉を交わしたことがあった。
入寮のときに案内を務めてくれたのがこの人だった。
ほかにリボンを結んだ制服の遺骸がある。
憐れなことに脚が一本しかない。
頭蓋骨が露出し、はらわたが流れ出ているジャージの死骸もある。
奥歯が、ぎりっと鳴った。
頭にどっと血が上るのを感じる。
しかしそれより先に、花のことが案じられた。
女の子が目の当たりにするには、あまりに過激なシーンだ。
死体は靄と薄闇に埋もれてはいるけれど、そのせいでかえっておぞましさが強調されていた。
「四井さんは近づかないほうが……」
花の視界を覆うつもりで、前に立ったが、すでに遅かった。
花は身体を震わせて、座り込んでしまった。
目が虚ろだった。
「あ……あ……」
遼はしゃがんで花の肩を抱きながら、学食の状況を視認しようとした。
無数の魔物の影が、瘴気のむこうに揺らいでいる。
入口には、弓を背負い、短剣を構えた少女がたちはだかっていた。
恐らく≪能力者≫としての支倉ありさだろう。
表情には余裕がない。
得物を鋭く振って魔物をけん制するが、異形どもは用心深く、じりじりと半包囲の輪を狭めている。
芝生の先にいる蔵人は、異様な場の雰囲気に飲まれて棒立ちになっている。
扇谷はさすがに修羅場に慣れているようで、いち早く駆けだして陰陽師のすがたに変じ、焔の鳥を召喚。
しかしありさを巻き込む訳にもいかず、踏み込みが甘くなっていた。
味方の位置関係があまりよくない。
ありさはありさで、恐らく、そこを動けば魔物を学食のなかへ入れてしまうことになるために、身動きが取れないのだ。
学食のなかには数十人の生徒がまだ残っていた。
みな、カウンターのほうへ寄っている。
床に寝かされているのは、おそらく怪我人だろう。
入口付近のテーブルと床が、血でひどく汚れていた。
「おい、蔵人」
と、遼は呼びかけた。
「四井さんを頼む」
「ど、どうする気だよ」
「あのクソ魔物ども……血祭りにあげてやる」
鉤箭剣を、入口付近のビニール屋根の軸に引っかける気になって、鋭く投げつけるが、見当はずれのほうへ飛んでいき、なにも捉えることなく戻ってきた。
どういうことだ?
腕に満ちていた力がいまは抜けている。
おかしい。
もういちど投げてみるが、威力も精度もどうしようもないほど低下していた。
切っ先をまっすぐにして投げることすらできない。
かぼちゃを連想させる魔物の一体が、こちらに気づき、猛然と加速して襲い掛かってくる。
遼は恐怖に駆られた。
身体が思うように動かない。
魔物がぱっくりと口をあける。
赤黒い液体で汚れた長い牙が露わになった。
闇雲に剣を振るうが、なかなか敵を捉えることができない。
右に跳ね、左に飛ぶ。
なにかを踏んづけてよろけた拍子に、腕にかみつかれた。
ゾッとなる。
鋭い痛み。
頭が真っ白になり、どうしていいかわからなくなる。
脈絡もなく、魔物の背に、ビインと矢が突き立った。
たてつづけに二本目、三本目。
顔をあげる。
支倉ありさが和弓を手にこちらを見ていた。
どうやら矢は彼女が放ったものらしい。
腕に食らいついている魔物の顎から力を抜け、どさりと落ちる。
大量のアドレナリンが体内をかけめぐっている。
脊髄が焼かれそうだった。
怒りだか恐怖だか分からないけれど、大きな感情が暴風となって胸を覆う。
息が苦しい。
もう、なにがなんだか、分からない。
「おい、遼、よく聞け」
扇谷が叫んでいる。
「魔物との闘いでは精神力が鍵になる。
恐れたり動揺したりすれば、それだけ君の戦闘力は減じてしまう。
戦いの高揚感を思い出せ。
自らを奮い立たせるんだ」
高揚感?
だったら簡単だ。
恐怖を飲み込むほどの怒りに身を委ねればいい。
遼は狂ったつもりになって、魔物の群れに切り込む。
しかし、剣はむなしく宙を裂くばかりだった。
「落ち着け、ばかもの」
扇谷が怒鳴っている。
「怒りは高揚ではない。
ヤケクソになるのではなく、一陣の風となれ」
「なに言ってるかわかんねえよ」
と、遼は叫び返す。
そのやりとりが心に余裕を生んだのかもしれない。
鉤箭剣が魔物を捉え始めた。
立ち直ると早かった。
いままでは薄闇のなかを蠢くようにしか見えなかった魔物が、まるで時の流れにブレーキがかかったみたいだった。
たてつづけに二匹を斬り伏せる。
しかしまだ本調子ではない。
痛む腕を庇いながら、死に物狂いで剣を振るう。
鉤箭剣を投げる気にはなれなかった。
うまく鉤を引っかけるイメージが持てない。
旧武道室ではあれほど容易くできたのに。
いまはサーカスの曲芸のようにしか思えなかった。
それでも、少しずつではあるが、魔物を討ち取れてはいる。
遼が多くの魔物をひきつけたために、学食の正面の包囲網が薄くなっていた。
ありさは巧みに短剣をふるい、突き立てて、魔物を仕留めていく。
彼女は室町・戦国期の女狩人のような姿をしていた。
額に鉢金を巻き、赤い漆の具足を身につけている。
矢筒と弓を背負い、脇差とも短剣ともつかぬものを逆手に持っていた。
機敏に魔物をかわしては斬りつけ、矢をつがえては的確に射貫く。
あざやかなものだった。
とても、資料集を指さしてキレていた女の子とは思えない。
落ち着いてよく見てみると、学食を取り囲む魔物には様々な種類があった。
腐った犬のほかに、腹が膨れて手足が細い化け物がいる。
大きな顎にトカゲのような手足をはやしたものがいる。
絡新婦をそのまま巨大にしたようなのもいる。
鬼もいる。
大蛇とゾンビを合体させたようなものもいる。
それらが統一感なく動いて寄せてくるので、遼はいきあたりばったりに動き、手当たり次第に斬りつけなければならず、思わぬところから攻撃を食らって、浅手をいくつも負った。
しかし、要領がわかってくるにつれ、捌くのが少しずつ楽になってきた。
退きながら戦うのだ。
踏み込んで四方に敵を置くと手ひどくやられる。
退いて敵をまえに集めるようにすればいい。
そうすれば対応は必ずしも難しくない。
それでも、死に物狂いであることには変わりなかった。
棒立ちになれば数十秒のうちに殺されてしまうだろう。
ときどき扇谷の放つ銃弾や、ありさの射かける矢が、遼の眼のまえにいる魔物を捉える。
心底心強く感じる。
しかし依然として気持ちに余裕はまったくなかった。
ただ、鉤箭剣を振るっては退き、時折するどく斬り込み、をくりかえした。
そのうち、蔵人や花も戦いに加わり始めたようで、幻想的に踊る青白い光や、針に貫かれて身もだえする魔物の影が、視野の隅でちらつくようになった。
どれくらい、戦っていただろう。
やがて魔物の攻勢が途切れた。
気づくと、息がひどくあがっていた。
立っているのさえつらいほどの疲労感が、どっとこみあげてくる。
「とりあえず、学食に避難するぞ」
と、扇谷が号令をかける。
だれかが、遼の腕をとって、支えてくれた。
顔をあげると、支倉ありさが心配そうに覗き込んでいた。
白く可憐な横顔に、学食の光が射している。
「槙島くん、大丈夫?」
気遣われてようやく、ジャージの左腕のところが派手にやぶれ、血がしたたり落ちていることを思い出した。
必死に戦っているあいだは忘れていた痛みが、脈をうつごとに段々とぶりかえしてくる。
「大変、手当しないと。
とにかく、中へ入って」
ありさは、遼のわきに肩をさしいれる。
「ああ、ありがとう……」
すぐにでも倒れ込みたいほど疲れていたので、彼女の支えはありがたかった。
女狩人の長い黒髪は、とてもいい匂いがした。
ありさの髪に頬を当てて泣いてしまいたくなる。
その誘惑に耐えるのは、楽ではなかった。




