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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第三章 博愛主義者は死の宴の夢を見るか?
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12.

 赤い雲海のうえに、現代的なガラス張りの建物が浮かんでいる。


 人工の明かりが煌々と充満し、溢れ出したひかりが靄を白っぽく染めていた。


 不夜城のような趣がある。


 遠目には幻想的にさえ見えるその光景も、近づくにつれ、目を覆いたくなるような惨状があらわになった。



 芝生のうえに、ひとと魔物の死骸が入り乱れ、折り重なっていた。



 喉を食い破られて宙をにらんでいる男の亡骸は、寮の職員のものだった。


 遼はかれと言葉を交わしたことがあった。


 入寮のときに案内を務めてくれたのがこの人だった。


 ほかにリボンを結んだ制服の遺骸がある。


 憐れなことに脚が一本しかない。


 頭蓋骨が露出し、はらわたが流れ出ているジャージの死骸もある。



 奥歯が、ぎりっと鳴った。


 頭にどっと血が上るのを感じる。


 しかしそれより先に、花のことが案じられた。


 女の子が目の当たりにするには、あまりに過激なシーンだ。


 死体は靄と薄闇に埋もれてはいるけれど、そのせいでかえっておぞましさが強調されていた。



「四井さんは近づかないほうが……」



 花の視界を覆うつもりで、前に立ったが、すでに遅かった。


 花は身体を震わせて、座り込んでしまった。


 目が虚ろだった。



「あ……あ……」



 遼はしゃがんで花の肩を抱きながら、学食の状況を視認しようとした。


 無数の魔物の影が、瘴気のむこうに揺らいでいる。


 入口には、弓を背負い、短剣を構えた少女がたちはだかっていた。


 恐らく≪能力者≫としての支倉ありさだろう。


 表情には余裕がない。


 得物を鋭く振って魔物をけん制するが、異形どもは用心深く、じりじりと半包囲の輪を狭めている。



 芝生の先にいる蔵人は、異様な場の雰囲気に飲まれて棒立ちになっている。


 扇谷はさすがに修羅場に慣れているようで、いち早く駆けだして陰陽師のすがたに変じ、焔の鳥を召喚。


 しかしありさを巻き込む訳にもいかず、踏み込みが甘くなっていた。


 味方の位置関係があまりよくない。


 ありさはありさで、恐らく、そこを動けば魔物を学食のなかへ入れてしまうことになるために、身動きが取れないのだ。


 学食のなかには数十人の生徒がまだ残っていた。


 みな、カウンターのほうへ寄っている。


 床に寝かされているのは、おそらく怪我人だろう。


 入口付近のテーブルと床が、血でひどく汚れていた。



「おい、蔵人」


 と、遼は呼びかけた。


「四井さんを頼む」



「ど、どうする気だよ」



「あのクソ魔物ども……血祭りにあげてやる」



 鉤箭剣を、入口付近のビニール屋根の軸に引っかける気になって、鋭く投げつけるが、見当はずれのほうへ飛んでいき、なにも捉えることなく戻ってきた。



 どういうことだ?



 腕に満ちていた力がいまは抜けている。


 おかしい。


 もういちど投げてみるが、威力も精度もどうしようもないほど低下していた。


 切っ先をまっすぐにして投げることすらできない。



 かぼちゃを連想させる魔物の一体が、こちらに気づき、猛然と加速して襲い掛かってくる。


 遼は恐怖に駆られた。


 身体が思うように動かない。


 魔物がぱっくりと口をあける。


 赤黒い液体で汚れた長い牙が露わになった。


 闇雲に剣を振るうが、なかなか敵を捉えることができない。


 右に跳ね、左に飛ぶ。


 なにかを踏んづけてよろけた拍子に、腕にかみつかれた。


 ゾッとなる。


 鋭い痛み。


 頭が真っ白になり、どうしていいかわからなくなる。


 脈絡もなく、魔物の背に、ビインと矢が突き立った。


 たてつづけに二本目、三本目。


 顔をあげる。


 支倉ありさが和弓を手にこちらを見ていた。


 どうやら矢は彼女が放ったものらしい。


 腕に食らいついている魔物の顎から力を抜け、どさりと落ちる。



 大量のアドレナリンが体内をかけめぐっている。


 脊髄が焼かれそうだった。


 怒りだか恐怖だか分からないけれど、大きな感情が暴風となって胸を覆う。


 息が苦しい。


 もう、なにがなんだか、分からない。



「おい、遼、よく聞け」


 扇谷が叫んでいる。


「魔物との闘いでは精神力が鍵になる。


 恐れたり動揺したりすれば、それだけ君の戦闘力は減じてしまう。


 戦いの高揚感を思い出せ。


 自らを奮い立たせるんだ」



 高揚感?


 だったら簡単だ。


 恐怖を飲み込むほどの怒りに身を委ねればいい。


 遼は狂ったつもりになって、魔物の群れに切り込む。


 しかし、剣はむなしく宙を裂くばかりだった。



「落ち着け、ばかもの」


 扇谷が怒鳴っている。


「怒りは高揚ではない。


 ヤケクソになるのではなく、一陣の風となれ」



「なに言ってるかわかんねえよ」


 と、遼は叫び返す。



 そのやりとりが心に余裕を生んだのかもしれない。


 鉤箭剣が魔物を捉え始めた。


 立ち直ると早かった。


 いままでは薄闇のなかを蠢くようにしか見えなかった魔物が、まるで時の流れにブレーキがかかったみたいだった。


 たてつづけに二匹を斬り伏せる。


 しかしまだ本調子ではない。


 痛む腕を庇いながら、死に物狂いで剣を振るう。


 鉤箭剣を投げる気にはなれなかった。


 うまく鉤を引っかけるイメージが持てない。


 旧武道室ではあれほど容易くできたのに。


 いまはサーカスの曲芸のようにしか思えなかった。



 それでも、少しずつではあるが、魔物を討ち取れてはいる。



 遼が多くの魔物をひきつけたために、学食の正面の包囲網が薄くなっていた。


 ありさは巧みに短剣をふるい、突き立てて、魔物を仕留めていく。


 彼女は室町・戦国期の女狩人のような姿をしていた。


 額に鉢金を巻き、赤い漆の具足を身につけている。


 矢筒と弓を背負い、脇差とも短剣ともつかぬものを逆手に持っていた。


 機敏に魔物をかわしては斬りつけ、矢をつがえては的確に射貫く。


 あざやかなものだった。


 とても、資料集を指さしてキレていた女の子とは思えない。



 落ち着いてよく見てみると、学食を取り囲む魔物には様々な種類があった。


 腐った犬のほかに、腹が膨れて手足が細い化け物がいる。


 大きな顎にトカゲのような手足をはやしたものがいる。


 絡新婦じょろうぐもをそのまま巨大にしたようなのもいる。


 鬼もいる。


 大蛇とゾンビを合体させたようなものもいる。


 それらが統一感なく動いて寄せてくるので、遼はいきあたりばったりに動き、手当たり次第に斬りつけなければならず、思わぬところから攻撃を食らって、浅手をいくつも負った。


 しかし、要領がわかってくるにつれ、捌くのが少しずつ楽になってきた。


 退きながら戦うのだ。


 踏み込んで四方に敵を置くと手ひどくやられる。


 退いて敵をまえに集めるようにすればいい。


 そうすれば対応は必ずしも難しくない。



 それでも、死に物狂いであることには変わりなかった。


 棒立ちになれば数十秒のうちに殺されてしまうだろう。


 ときどき扇谷の放つ銃弾や、ありさの射かける矢が、遼の眼のまえにいる魔物を捉える。


 心底心強く感じる。


 しかし依然として気持ちに余裕はまったくなかった。


 ただ、鉤箭剣を振るっては退き、時折するどく斬り込み、をくりかえした。



 そのうち、蔵人や花も戦いに加わり始めたようで、幻想的に踊る青白い光や、針に貫かれて身もだえする魔物の影が、視野の隅でちらつくようになった。



 どれくらい、戦っていただろう。



 やがて魔物の攻勢が途切れた。


 気づくと、息がひどくあがっていた。


 立っているのさえつらいほどの疲労感が、どっとこみあげてくる。



「とりあえず、学食に避難するぞ」


 と、扇谷が号令をかける。



 だれかが、遼の腕をとって、支えてくれた。


 顔をあげると、支倉ありさが心配そうに覗き込んでいた。


 白く可憐な横顔に、学食の光が射している。



「槙島くん、大丈夫?」



 気遣われてようやく、ジャージの左腕のところが派手にやぶれ、血がしたたり落ちていることを思い出した。


 必死に戦っているあいだは忘れていた痛みが、脈をうつごとに段々とぶりかえしてくる。



「大変、手当しないと。


 とにかく、中へ入って」



 ありさは、遼のわきに肩をさしいれる。



「ああ、ありがとう……」



 すぐにでも倒れ込みたいほど疲れていたので、彼女の支えはありがたかった。



 女狩人の長い黒髪は、とてもいい匂いがした。



 ありさの髪に頬を当てて泣いてしまいたくなる。



 その誘惑に耐えるのは、楽ではなかった。

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