11.
半月の暈が赤くにじんでいる。
雲の輪郭が金色に輝いていた。
夜風が公孫樹の葉をゆする。
その、がさがさという音が、辺りに染み渡った。
「静かだな」と、遼は言った。
体育館と校舎をつなぐ渡り廊下のむこうに、赤い靄に埋もれたグラウンドが広がり、そのずっと先にある外灯が煌々とひかっている。
無造作にグラウンドに踏み入っていこうとする蔵人の腕を、扇谷がつかむ。
「見晴らしのいいところに行くのはやめたほうがいい」
「なんでよ」
「四方から襲われる危険がある。
外周に沿って進むべきだ」
「立ち回りってやつだな!」
と、花が言った。
「ハクスラや無双ゲームの基本だ」
「君はよくわかっている」
と、扇谷。
「ゲームのことはよく知らんが」
四人は体育館と花壇のあいだの道へと折れ、駐車場の付近まで来た。
そこで、遼が足をとめた。
靄でかすむ先から、異様なうなり声が聞こえてきた。
赤い光点が無数に浮かびあがる。
「出たな……」
と、蔵人。
普段、おどけたことを言っているときとはまったく異なる声色だった。
実はこの男、ずっとこうなることを望んでいたのではないか、と思わせる響きがあった。
「あわわ……」
花が槙島のうしろに回り込んで盾にする。
「準備はいいな?」
扇谷がジャージの腰のあたりに手を指し込む。そこには革のホルスターがあった。
手には大口径の拳銃が握られている。
片目を閉じて狙いをつける。
マズル・フラッシュともに銃声が響いた。
靄にうもれた赤い光点のひとつが、哀れな悲鳴をあげて弾け飛ぶ。
さらに連射。
銃口が閃光を放つたびに、蹴っ飛ばされた犬の鳴き声のようなものがあがり、砂袋を落とすがごとき物音が続いた。
靄から浮かび上がった魔物どもは、犬だか、狼だかの姿をしている。
数は多い。20から30といったところだった。
遼はその手に鉤箭剣を呼び出すと、鉤つきの房飾りを投げつける。
ひゅう、と鋼紐が鳴って伸びていく。
魔物の顎にひっかけ、力まかせに吊り上げる。
そうして自らも跳躍。
刃が中空に一閃する。
着地する遼のすぐうしろには、胴を真っ二つにされた犬の死骸のようなものが横たわっていた。
それを見下ろして、遼は思わず口元をおさえる。
腐敗がひどい。
目が飛び出て、顎の骨と牙がむきだしになっている。
内臓はどろどろ。
すさまじい異臭を放っていた。
「ひでえビジュアルだな、おい……」
と、蔵人は言いつつ、挑戦的な笑みを浮かべている。
蛮族はうなり声をひときわ大きくしたゾンビ犬の群れをまえに、青白く輝くツーハンデッド・ソードを呼び出した。
そうしてひと薙ぎ。
衝撃波がアスファルトを削り、四、五匹をまとめて粉砕。
体液と腐肉の雨を降らせる。
その雨のなかから、ゾンビ犬が鋭く駆けだして跳躍。
花に襲い掛かる。
「おい!」
遼は鉤箭剣を投げるモーションに入る。
が、投擲されることはなかった。
ネコマタの鋭い爪が純白のひかりを曳いてあざやかに流れる。
切り口からすべるように、ゾンビ犬が崩れ落ちた。
「うおおお舐めんな!」
と、猫耳バニーガールが月のひかりにむかっていきりたつ。
一方的な、殺戮ショーになった。
遼が最後の一匹の首を刎ねあげたとき、駐車場は腐肉と骨の散らばる地獄と化していた。
「上々なんじゃねえの?」
蔵人が、ツーハンデッド・ソートに付いた血糊をブンと払う。
「けが人は、いないよな」
と、遼。
扇谷は喉で笑い、リボルバーに弾を充填しながら、
「この程度で調子に乗ってもらっては困るな。
こんなのは下位中の下位の魔物に過ぎん」
「じゃ、もうちっと強いのを狩りにいこうよ」
と、花。
「まあそう慌てるな」
と、扇谷は言った。
「君たちの今夜の目的は、試し斬りであって腕試しではない。
目的は果たした。
もう引き上げよう」
「なんだよもう終わりか」
と、蔵人。
「俺ならまだまだいけるぜ。
あの程度の魔物なら何匹でもヤってやんよ?」
「俺たちにとっては雑魚でも、ただの人間にとっては大変な脅威だ。
寮からあまり離れたくない。
念のため、な」
「そうだな」
と、遼。
「今朝、寮で死者が出たばかりだし」
「オッケ、じゃ今日はもどろっか」
と、花。
「そういうことなら、見回りでもしておくか」
と、遼が提案する。
「もし鉄柵が落ちてる部屋でもあったら、様子を見に行ったほうがいいだろ?」
四人は寮の側面にまわり、トラックへ出て、遠巻きに各階を見上げる。
「ところで、何匹くらい仕留めたかな?」
と、扇谷が尋ねる。
「25前後ってところじゃねえか」
と、蔵人。
「やはり、どう考えても多いな……」
「気になるのか」
と、遼。
扇谷は、ああ、と頷いて、
「この学校の外周には、結界が施してある。
要するに、≪魔≫が這入って来れないような、呪術的な仕掛けがしてあるんだ。
ただ、完全ではない。
結界にはスケールがあってな、高位の魔物を寄せ付けないかわりに低位の魔物の侵入をまれに許してしまうものと、中位から低位の魔物を完全にシャットアウトするかわりに高位の魔物には効果を発揮しにくいタイプのものがある。
学校の敷地には高位の魔物を侵入させないタイプを巡らせ、寮の部屋には中位から低位の魔物を受け付けないタイプを施す。
こうして寮を防衛していたんだ」
「なら、低位の魔物が敷地のなかをうろつくのは仕方のないことなんだろ?」
と、遼。
「だが、数が多すぎるんだ」
と、扇谷は言った。
「低位の魔物を通してしまうタイプの結界でも、魔物はそれなりに苦痛を感じる。
だから稀にしか入ってこない。
それがぞろぞろ入ってくるということは、……結界になにか問題が生じている可能性がある」
「チェックして回るか?」
と、蔵人。
「おまえ、そっち方面に詳しいんだろ。
異常があったら直してまわったらどうよ」
扇谷はしばらく考え込むふうだったが、やがて、
「専門の道具を持ってきていないし、具体的な場所もまだ詳しくは聞かされていないんだが、そうだな、確認だけはしておいたほうがいいかもしれん。
では、ちょっと付き合ってもらえるか?」
遼たちが口々に同意を示したとき、誰かのスマホが鳴った。
扇谷だ。
かれは、
「すまん」
と、断って耳にあて、言葉を交わし始めた。
「花って意外と戦えんのな」
と、蔵人は言った。
「正直、おまえのことは見ておかなきゃと思ってたけど、全然大丈夫そうだよな」
「へへーん。
じつはわたしも少しおどろいてる」
「これだけ魔物をぼこぼこにできたら、もう学校も怖くないんじゃない?」
と、遼。
「そ、それとこれとは話がべつだ……」
「おい」
と、扇谷が鋭い声をあげ、スマホを仕舞う。
「悪いが予定が変わった。
ついてきてくれ、学食だ」
「なにかあったのか」
と、遼はすでに駆けだしている扇谷の背中を追いかけながら尋ねた。
花と蔵人も、走り出す。
「支倉さんからでな、学食に取り残されている寮生が大勢いるらしい。
なにしろ≪瘴気≫が出てから消灯の連絡までが急だったからな。
手を貸してほしい、とのことだ」
「どういうことよ、寮に帰れない状況なのか?」
と、蔵人。
「すでに怪我人も出ているそうだ」
と扇谷は言って、花壇を飛び越える。
「とにかく急ごう」




