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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第三章 博愛主義者は死の宴の夢を見るか?
47/75

8.

「あっ、お兄さま」


 と、その小柄な少女は顔いっぱいに無邪気な笑みを浮かべて、猫を武蔵野にむかってもちあげた。


「かわいいでしょう?


 いとが見つけたの」



「ああ、とてもかわいいね」


 と、武蔵野は優しい笑みを浮かべて言った。


「けれどいと、そのひとは君の同級生だ。


 長く付き合わせてあまり迷惑をかけちゃいけないよ」



「え?」


 少女は目をまるくする。



 黒猫はひらりとコンクリートのうえに降り立つと、四井花の姿に戻った。



「ごめんな……」


 と、いとにむかって言う。


「ユーがあまりにも楽しそうにしてくれるものだから、人間に戻るタイミングを見失っちゃった」



「……すごい!」


 いとは、ただただ驚いたというように言った。


「あなたは猫さんになれるの?」



「ま、まあね」


 と、花が照れたように言う。



「わたしも猫になりたい!


 どうすればなれるの!?」



「前世の因果があってのことだよ」


 と、武蔵野が諭すように言う。


「いとが彼女のように変化するのはちょっと難しいかもしれない。


 幻術を使えば、猫に変化したように見せかけることはできるけど」



「教えて!」


 と、いとが武蔵野の腕に飛びつく。


「お兄さま、教えて!」



 遼は、胸のおくに温かいものを感じながら、けれどもやっぱり、この子はクミとはすこし違うかもしれない、と思った。


 言い方は悪いかもしれないけれど、クミはこの年頃のかわいらしい女の子がほとんどそうであるように、あざとかった。


 上目遣いや小首をかしげる仕草、アヒル口を自在に使い分ける。


 微笑みかたも、鏡のまえでたくさん練習してきたと分かる、こなれたものだった。


 しかし、いとは違う。


 純朴な彼女のこころがまっすぐ表情になって表れているように見えた。



 顔だちも、髪質も、身体つきも、クミとうり二つではあったけれど、別人だと認めるほかなかった。



「……どうしたの?」



 武蔵野は、遼の尋常でない様子に気づいたのか、そう尋ねた。



 花も、のぞき込むようにして、



「顔色が悪いぞ」



「……ああ、知っている人によく似ていたものだから」


 と、遼は言った。


 声が震えているのが自分でもわかった。



 いとは初めて遼に気づいたというように、かわいらしく微笑みかける。



「はじめまして!


 お兄さまのおともだち?」



 遼は、武蔵野と顔をみあわせた。


 学校の後輩という以外に接点がない。


 それも、部活が一緒だったり付き合いがあるならまだしも、今日話したばかりの下級生を後輩呼ばわりするのは、遠慮があるかもしれない。


 唯一、顔を合わせたのは生徒会だったが、それも遼は席を蹴ってしまっている。


 いとの問いに答えるのは、意外と難しいことだった。



 遼は、武蔵野が口ごもっているのを見て、



「後輩だよ」


 と、言った。


「1-Bの槙島遼です。よろしくね」


 そうして武蔵野にむかって、


「こんなに可愛い妹さんがいるなんて羨ましい」



 いとは、恥ずかしそうに眼を伏せた。



「はは……ありがとう」


 と、武蔵野は言った。


 しかし眼だけは笑っていない。



 いとと花が言葉をかわしながら、寮の廊下へと戻っていく。



 武蔵野はふいに顔を寄せて声を低くし、



「支倉さんからいろいろ聞いてる。


 槙島くんは女の子にはとても優しいみたいだけど……うちのいとに手を出したら許さないよ」



 いとはメンタル的にちょっと弱いところがある、と、この上級生は言った。


 かれが遼の言葉をそのように解釈して心配するのは理解できる。


 遼はすこし軽率だったかもしれないと反省した。



 武蔵野はかるくため息をつき、



「どうせなら、アヤメにも優しくしてくれると助かるんだけどな。


 生徒会のメンバーとしては、ね」



 それを聞いて、遼は初めて気づくものがあった。


 武蔵野はたまたま自分に声をかけたのではなく、星宮と自分のあいだを取り持とうとしたのではないか。


 それにしても、武蔵野の言うことはもっともだった。


 どうして自分はアヤメにいつもの調子で優しくできないのだろう。


 相手にされなかったり、嫌な顔をされたりするのが怖いからか。


 いや、そうではない。


 そんなことには慣れているし、嫌がられたのなら素直に謝ってつぎからは控えるだけのことだ。


 それとはべつの恐怖がある。


 口先だけでなく、わが身を削ってあの人にしてやるべきことをしてやれるのか。


 あの人の背負っている重荷を分かち合う覚悟があるのか。


 覚悟があるのなら、アヤメに嫌な顔をされようが怖気づいたりはしないはずだ。


 しかし生半可な気持ちでうわべだけの優しさを示し、いざとなったときにアヤメを失望させるのは恐ろしかった。


 いや、失望させるだけならまだいい。


 クミのときのように、とりかえしのつかないことになるかもしれない。


 ようは自信がないのだ。


 腹が括れていないのだ。


 それで子供じみた反発をする。


 自分は、もしかしたらアヤメに甘えているのかもしれない、と思った。



「気を遣わせてるなら、すみません」


 と、遼は言った。



「ねえ、アヤメって綺麗だと思わない?


 あんな美人に優しくしなかったら、君の名がすたるんじゃないのかな」



「どんな名ですか、それ」



 すこし先を、花といとが談笑しながら歩いていた。


 遼は小柄な女の子たちを眺めながら、花に友達ができそうでよかった、と考えた。

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