3.
扇谷は南京錠に鍵をさしこみ、鉄の引き戸にからみついた鎖をひき取る。
取っ手に体重をかけてスライドさせ、玄関で靴をぬぎ、一礼して旧武道室の畳の間へあがっていった。
遼はつづいて、むっとする埃っぽい空気にいくらか辟易しながら、ひかりと影が長くのびる畳のうえを歩いた。
「この荒廃した雰囲気がちょっと世紀末っぽい」
と、花がわけのわからないことを口走っている。
「これぞ武道のリアル、ハードボイルドって感じがする」
「暑い『漢』たちがここで暑い戦いを繰り広げてきたんだな……」
蔵人がしみじみと呟く。
花の言葉になにか感じるものがあったようだ。
遼には理解できない世界を、かれらは共有しているらしい。
あるいは蔵人は「熱い」と言ったのかもしれない。
が、遼の耳には断固として「暑い」と響いた。
そういう感じの武道室だった。
中学の武道の授業で無理やり着せられた、柔道着や剣道の防具の、あの匂いが脳裏によみがえる。
遼はだまって、窓を全開にしてまわった。
四人は板の間に、円座になった。
窓から斜めに差しこむ午後の気だるいひかりのなかで、埃の粒子がきらめいている。
「まずは確認しておくが」
と、扇谷は言った。
「みな、≪霊化≫は自在にできるな?」
「レイ、カ?」
と、蔵人が首をかしげる。
「力を象徴する存在のすがたに変化することを言う」
「こ、ここでやっていいのか」
と、花が窓のそとを気にしながら言う。
「大丈夫、この辺りにはほとんど人は来ない」
と、扇谷が無造作に言う。
「通りがかってもせいぜい、平安貴族とゲルマン族と猫娘とキングダムのコスプレがなんかやってるな、くらいにしか思わんさ」
「カオスすぎる組み合わせだが、かえって興味を惹かないか?」
と、遼。
「そいつがコスプレおたくだったらどうすんだよ」
と蔵人。
「……つべこべ言わずに始めたまえ」
と、扇谷は言った。
遼はだまって、薄く目を閉じ、古代中国の将軍のことを想った。
瞼をひらいたとき、自分はキングダムのコスプレに変じ、まわりには、平安貴族とゲルマン族と猫娘がいた。
「この絵、地味におもろいな」
と、蛮族。
「ダンジョン探索してえ」
と、猫娘。
平安貴族は、君たちいいかげんにしたまえと眼つきで訴えながら、軽く咳払いをし、
「これから本格的に≪瘴気≫のなかで≪魔物≫と戦っていくことを考えるならば、金属バットや鉄パイプでは限界がある、と言わざるを得ない」
「言いたいことは分かるけどよ」
と、ゲルマン族が言った。
「現代日本でそれ以上の殺傷力をもった武器を調達しようとしたら、普通に捕まらね?」
「退魔・調伏というより、もはや凶器準備集合罪だな」
と、ネコマタが同調する。
「そういえば、扇谷は拳銃を持っていたよね」
と、遼は言った。
「鬼の脚を撃ち抜いてたじゃん。
ああいうのって≪討魔衆≫の装備部みたいなところが支給してくれるわけ?」
「……うっそ、おまえ、銃とか隠し持ってんの?」
と、花。
「ヤクザかよ……」
「あれは概念上のものだ。
リアルの拳銃じゃない。
というか、いまから話したかったのはまさにそのことなんだよ」
扇谷は遅々として進まない話に疲れきったように言った。
「ガイネンてどういうことよ」
と、蔵人は言った。
「所持したり撃ったりできるんならそりゃガイネンじゃねえだろ。
リアルだよどう考えても」
はあー、と陰陽師はこれみよがしにため息をついて、
「いいか、そもそも≪魔≫とはなんだ。
≪異能≫とはなんだ。
なぜ君たちは前世由来の力を象徴する≪形姿≫に変じることができる?
……いちどでも考えてみたことはあるか」
三人は、ないけどそれがなにか? と言わんばかりに、そろって首を振る。
「だろうな!」
「すまないけど、要点をかいつまんで話してくれる?」
と、遼。
「今日ほど君たちを扱いづらいと思ったことはないよ」
扇谷の声がガチギレの様相を呈してきた。
「……まあいい。
いま述べたことはすべて、≪概念≫が≪具象化≫することで起こっている。
聖書ふうに言うなら、『始めに言葉あり』が『言葉は肉となった』といったところだ」
「概念の話じゃねえのかよ」
と、蔵人。
「言葉こそ概念そのものだろうが」
と、扇谷はうなるように言った。
「念のため言っておくと、肉というのは具象のたとえだな。
考えやイメージが、具体的なかたちをとって現れた、ということだ。
それは聖書の天地創造と、意味するところを一にしている。
つまり概念が具象化するのは古今東西かわらぬ天地の理、プロセスなんだよ」
「なるほどな。
よくわかんねえけど」
「要はちっともわからんということだな!」
と、扇谷は、おまえにはハナから期待してなかったが、という顔をして言った。
「このままでは日が暮れる。
話を先にすすめるぞ」
「そうしてくれ」
と、遼は言った。
平安貴族は、古代中国の高級武官を悲しげに見やって、それから、
「……俺がどんなふうにしてあの拳銃を手に入れたかといえば、『概念を確立することによって』、つまり『念じることによって』だ。
思い描き、それを心眼で見つめつづける。
黒鉄の冷たい手触りをリアルに感じ、凶器の物騒な存在感を皮膚感覚に感じる。
そうして長い時間をかけて生んだものだ。
だから現実世界では出せない。
ま、今日はとくべつに、この空間に術をかけて、具現化しやすくするが。
基本的には≪瘴気≫の漂うなかで初めて具現化することができる。
しかし、≪魔物≫を撃ち殺すにはそれで十分だ」
「なんでも思い描けば出てくるのか?」
と、花は言った。
「なら話は簡単だ。
わたし、想像力には自信あるぞ」
「ただし、思い付きではだめだ」
と、扇谷は言った。
「実際にやってみればわかるが、なにもないところからモノを生み出すのはなかなか大変なことなんだ。
まあ、俺はこのとおり陰陽師で、もともと武器らしい武器など持ち合わせていなかったから、執念で銃を作り出さざるを得なかったが、おまえたちはもっと自然な流れのなかで武器を創ることができるはずだ」
「どういうこと?」
と遼。
「そこの蛮族はかならず前世で数多の武器を振るっていたはずだ。
もしかしたら愛用していた具体的な剣のイメージなどもあるかもしれない。
遼、君もおそらくそうだろう。
また、古い妖怪の便覧には、おそらく、ネコマタには鋭利な爪がある、等の記載があろう。
君たちはそれらの在り方にそって、比較的たやすく武器を生むことができるはずだ。
つまり、筋道はおおよそ出来上がっている。
あとはきっかけを与えてやるだけでいい」
遼はスマホをとって、『中国』『剣』のキーワードで画像を検索してみた。
大草原を駆け、騎馬戦をする夢のなかで、振るっていた剣のイメージは、たしかにある。
それに似たものを探そうと思ったのだ。
そうして幾つかの剣に惹きつけられた。
柄に房のついた両刃の優雅なつくりの剣。
似ているが、どこか違う。
眼を閉じ、瞼のうらにその姿を明瞭に再生しようとしたとき、とつぜん意識がとんで、幻視が始まった。……




