16.
遼の記憶が正しければ、生徒会室は教室棟の二階からくの字に折れた先、職員室、生徒指導室に続いてのところにあったはずだったが、そこには学校行事実行委員会室のプレートがかかっていた。
「今年度から、生徒会と行事の実行委員会が分かれることになったんだ」
と、白髪の混じった公民の先生がとおりがかりに教えてくれた。
「生徒会室は実習棟三階の第三自習室に移転になったよ」
渡り廊下を歩きながら、扇谷は、
「生徒会から行事の仕切りを省いたらなんの仕事が残るんだって話だな」
と、言った。
「要するに『別の活動』に特化するということだろうが」
「ま、行ってみりゃわかるだろ」
と、蔵人。
実習棟の西側の階段から三階にあがり、図書室、図書準備室、メディア視聴室を過ぎたつきあたりに、「生徒会室」の表札がかかっていた。
引き戸をひらくと、黒板のまえに机がコの字型に並べられ、理事長の松田やクロサキ、それから生徒会長の星宮アヤメや武蔵野らが着席していた。
総勢、20人ほどだろうか。
遼たちは空いている席に座るよう促されて、端のほうの席についたが、正面に近いところに座っていた武蔵野が立ち上がって、
「扇谷くんはこっちの席に座ってくれるかい」
と、隣の空席を示した。
「わかりました」
と、扇谷がそちらに移る。
「悪いね、急のことで」
それからすぐに、担任の広瀬が支倉ありさを伴って、生徒会室に入ってきた。
「これで全員揃ったかな」
と、松田が言った。
「すいません、あと一名……」
と、武蔵野。
「ああ、そうだったわね。
すっかり忘れてた」
と、広瀬がクロサキの隣の席に座りながら言った。
「今日は欠席?」
「いえ、早退です……病院で検査があって……」
「その話なら聞いている」
松田は手もとの紙の束に眼をおとしながら言った。
「仕方ない。
彼女には武蔵野くんのほうから話をしてもらえるかい」
「わかりました」
「無理強いはしなくていいからね」
「ええ、ありがとうございます」
「それじゃあ、始めましょうか。
……星宮さん」
黒板にいちばん近いところに座っていたアヤメが、教壇にあがって、ざっと隣席者を眺める。
「なんでここに呼ばれたか、みんなもう分かってるよね」
と、新生徒会長は言った。
「クロサキさん、もう一週間も寝てないの。
≪討魔衆≫の本部に人を寄越すよう要請しているけど、人手不足でとうめんは難しいって。
それでね、よければみんなの手を借りたいの。
もちろん強制じゃない。
新入生には、まだ完全に力が覚醒してない子もいるし、実戦経験のない子もいる。
ほんとうはもう少し経験を積んでもらって、よく意思を確かめてから来てもらったほうが良かったんだろうけど、そんなことも言ってられない状況みたい。
どうしても嫌ならこのまま帰ってもらっても構わないんけど、とりあえず話だけでも聞いていってくれる?」
場が静まり返った。
アヤメはいらだたしげに遼をまっすぐに見て、
「槙島くんと竜崎くんに言ってるんだけど?」
「ハ、ハイ!」
と、蔵人が言った。
「続けてください」
遼は脚を組み、窓のそとを眺めた。
壇上から舌打ちの音が聞こえた気がしたが、知ったことではなかった。
「それから、四井花さんね」
と、アヤメは言った。
「あんたの事情は広瀬先生から聞いてる。
こっちも無理をさせたいとか思ってないんだけど、でもよく考えてみて。
あんたにはもう、≪瘴気≫が見える。
このさき一生、≪魔≫と無縁の生活は送れないの。
でも、ずっと彼氏に守ってもらう訳にもいかないでしょ。
怖い目にあうたびに部屋に泊めてもらっていたら、そのうち絶対に鬱陶しがられる。
彼氏と対等でいたいのなら、あんたも歯を食いしばって戦うしかないよ。
その力はもうあるんだし」
花が顔をこおりつかせて、俯いている。
遼はアヤメを睨みつけた。
傍で支倉が眼を逸らしている。
それで事情がわかった。
ひきこもりの少女はたちあがって生徒会室から逃げるように出て行った。
「人前でするような話じゃないでしょう」
遼は立ち上がって、言った。
「星宮さんてデリカシーないの?」
「まわりくどい言い方をしたって仕方ないと思うけど。
ことの深刻さを理解してる?」
「悪いけど、あなたの生徒会に協力したいとはこれっぽっちも思わない。
失礼します」
遼は席を蹴って退出した。
花のすがたが見つからない。
ながい渡り廊下をつっきったか、昇降口で靴にはきかえたかして、寮に戻ってしまったのかもしれない。
遼はエーデルワイスの漏れ聞こえる音楽室のまえを歩きながら、スマホをとって、
『あんなの気にしないで。
怖かったらまたいつでも来てよ』
と、メールを打った。
返事はすぐに来た。
『ありがと。
槙島はほんとうに優しいね』
とりあえず胸をなでおろす。
教室に戻って授業を受ける気分にもなれず、そのまま屋上へ出て、午後の陽射しと山あいの清々しい風にあたりながら、眺望を見晴らした。
幾重にもつらなる深緑の稜線のうえに、刷毛でぼかしたような雲が浮かんでいる。
アヤメの言っていることは、おそらく正しい。
寮と学校が置かれている状況はかなり深刻なものであることに違いないし、花だっていつかは自分の脚で立ちたいと思っているはずだった。
頭では正しいと思う分、心はかえって反発した。
正しい言葉というのは容赦がない。
ひとに逃げ道を許さない。
逃げる人間を背後から残酷なまでにずたずたにするのが、正論というやつだ。
だから遼は、正しい言葉というものが、どうしても好きになれなかった。
だれもが正しいことというのは頭では分かっているのだ。
そのとおりに生きられないから皆くるしんでいる。
そのとおりに生きられないひとに正論を突き付けるのは、薄情な人間のすることだ。
アヤメにはそういう酷薄さ、容赦のなさがある。
「くそっ」
遼は屋上の手すりにもたれながら、うなるように言った。
「ムカつく女だな」
戦いたい、と思う。
悲しみと弱さを引きずって生きる人間の血潮の熱さが、反逆の想いが、どれほどのものか、見せてやりたい。
寮に襲いかかってくる魔物どもを皆殺しにして、アヤメを黙らせてやりたい。
いちめんを魔物の死骸で埋め尽くし、アヤメにこう言ってやるのだ。
ことの深刻さを理解してる、だって?
いったいなにが深刻なんだ?
クミを奪っていった魔物どもを片っ端から血祭りにあげ、狂ったように笑い転げてやるのだ。
拳がふるえ、爪がてのひらに食い込んでいる。
悔しくて涙が出そうだった。
いつか夢でみた、大草原のうえにどこまでも広がるあの空を思い出す。
あの戦場で、ボロボロになって息絶えるまで、剣を振るいたい。
矢でも槍でもいい、とにかく前にのめって華々しく死んでいきたい。
それですべて片がつく。
シンプルでいい。
もはや悩みもなにもない。
胸のうちで、古代中国の将軍が、豹が、雄たけびをあげるのを感じる。
いま、遼は、豹が自分とひとつであることを、強く感じていた。
第二章・完




