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狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第二章 亡霊と踊る博愛主義者は血の匂いを厭わない
31/75

8.

 体育館内のざわつきは異様なほどだった。



 教職員のあいだでもまだ話がまとまっていないようで、各クラスの担任が慌ただしく行き来をしている。


 それで全校集会の段取りがとれないでいるのか、生徒たちはクラスごとに整列するところまでいかず、入り乱れてあちこちで噂を囁き合っていた。



 共有されている事実は、三年生が明け方ちかくに寮で絶叫にちかい悲鳴を二度あげ、その後、救急車で搬送された、というまでだが、控えめに言っても、殺人未遂かそれに近い異常事態が起こったことは疑えない。


 おなじ寮に入っている生徒たちに動揺するなというほうが無理な話だった。



 遼はおおよそクラスの整列の位置と推測されるところへ立って、それから体育館内を埋めつくす男女の生徒たちをぼんやりと眺めた。


 二階の窓から淡い陽光が射し、古びた写真のようにすべてを白っぽく包んでいる。


 紺のブレザーの胸に縫いつけられた、榊と校名のイニシャルをモチーフにした校章が、ブラウン運動をする分子のようだった。



 そのほんの小さな隙間に、遼はそこにいるはずのないものを見た。



 クミの白く可憐な横顔が、一瞬だけ、人込みのなかから浮き上がり、すぐに埋もれた。


 遼は衝動的に、密集する生徒のあいだに肩を割り込ませるようにして、動き出した。


 なぜクミちゃんがここにいる。


 もしかして、生きていたのか。


 心臓は高鳴り、雑音は遠のく。


 急がなければと、気ばかりが焦る。


 ようやくクミを見かけたと思われる地点に到達した。


 そうして四顧するが、彼女の細身の小柄なすがたはどこにも見出すことができなかった。



 見間違い……だったのだろうか。



 すぐ傍の女子が、不思議そうな顔をして見つめている。


 青いストライプのリボンは二年生のしるしだ。


 遼はその女子のまえに割り込んでいたことに気付き、


「ごめんなさい」


 と言って、距離をとった。



 気付かないうちに、上級生の列にまで来てしまっていたらしい。



 戻ろうとして振り返ると、すぐ眼のまえに女子が立っていた。



 背丈は遼とほとんど変わらない。


 女子にしてはかなり高いほうだ。


 胸のふくらみのしたで腕を組み、かたちのいい顎をすこし上げ、冷然とした眼つきで遼を見ている。



 とても奇麗なひとだった。



 栗色の長い髪に、あでやかなデジタル・パーマをかけている。


 さすがに化粧はしていないだろうが、切れ長の眼をふちどる睫毛はながく、唇は赤々としていた。


 垢抜けている、とでも言えばいいのだろうか。


 しかしそれと対照的に、紫がかった瞳には女の子らしくない苛烈なものが秘められていた。



 怒っている、という訳ではなく、いつもなにかを思い詰めているせいで、そんな眼つきになった、という印象だった。



「……だれか探してるの?」



 その女子は、すこし掠れた、ひどく冷淡にも聞こえる声で、そう尋ねた。



「知っている人を見かけたような気がして……」



「名前は」



「有川……有川クミさん」



「そんな女子は二年にいないけど」



 分かっている。


 いたとしても一年のはずだ。



「その人は、キミの大事な人なの?」


 と、その奇麗な女子が尋ねる。


「そんな顔してる」



 それは大事な人という言葉の意味による。


 恋人を意味するのであれば、そうではなかった。


 最後に、心を通わせることができたと信じているけれども、恋人ではなかったと思う。


 遼はクミに、世の男性が恋人にしてあげるようなことを、なにひとつしてあげられなかった。


 しかし、文字通りの意味なら、そのとおり、クミは大事な人だった。



「ああ……」



 後悔のようなものに胸を塞がれて言葉に詰まっているうちに、上級生の双眸に軽蔑のいろが浮かんだ。



「ハッキリしない奴だね」



 遼は眉のあいだに力が入るのを感じた。


 あなたには関係のない話です――視線を外し、かるく辞儀をして、その女子の傍を過ぎ、クラスの列に戻った。



 反発の思いがおさまらない。


 遼はグッと二年生の列のほうを見やった。


 栗色の髪の美しい上級生は、まだこちらを目で追っていた。


 が、遼の視線に気づくと、正面にむきなおった。



 その赤いくちびるの端には、いくらか憐れむような気配が漂っていた。

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