3.
勉強机に頬杖をつき、うつらうつらすると、すぐ窓の外から響いてくる不気味な声に叩き起こされる。
花のほうも眠れないようで、あいかわらずベッドの隅で膝とうさぎの人形を抱え、瞼をひらいたまま、じっとしていた。
「朝練の連中が起き出してくる七時になるまえに、戻ったほうがいいかもね」
「うん……わかってる」
「でも、そのまえに、戻れるかどうかが問題だけど」
遼はカーテンを見やる。
外をのぞく気にまではなれなかった。
「もしかして、へんな噂がたつのを気にしてる?」
「俺はかまわないけど、四井さんは女の子だから……」
花は子供っぽく笑って、
「わたしと槙島が噂になる訳ないって。
それに、猫の姿になれるし。
安心して」
「うさぎの人形を咥えて、寮の廊下を走っていくの?」
「そうだよ」
その絵を、思い浮かべてみる。
「かわいらしくていいと思うけど、クロサキさんに捕まらないよう気をつけてね」
目が冴えてきてしまった。
遼はスタンドを寄せて眼鏡をかけ、本を読みはじめた。
「うさぎの人形がないと、おちつかないんだ」
と、花はぽつりと言った。
「年季が入ってるよね。長い付き合いなの?」
「三歳のときのお誕生日のプレゼント」
「びっくりするほど物持ちがいいな」
花は人形を顔のまえにもってきて、それから抱きしめた。
「あのころは、お父さんとお母さん、仲が良かったんだ。
でも、わたしが小学校にあがる頃には、喧嘩ばかりするようになっちゃった。
ふたりとも、花がいるから離婚しないんだ、そうじゃなかったらとっくに離婚してるって、いつもわたしに言ってた」
「そっか……」
両親はそう言うことで娘に愛情を伝えられると思ったのかもしれない。
遼は、想像力の欠如とは悲しいものだと思った。
「怒鳴り合いがすごくってさ。
わたし、居間にいるのが嫌でしょうがなくて、ずっと部屋に閉じこもってた。
それでこのぬいぐるみを相手に空想のおしゃべりをしてたの」
その人形をいまでも大事にしているということは、おしゃべりもまだ続いているのかもしれない。
すこし知り合っただけの遼に花はここまで心をひらいて話をしてくれた。
ずっと話し相手が欲しかったのだろう。
人形は、両親の仲がよかった頃の名残だ。
花の心の一部は幼いころに歩みを止めてしまい、いつまでも両親に話しかけている。
「学校に来ない日は、部屋でなにをしているの」
花はしばらく黙ったあと、
「おはなしを……かいている」
と言った。
「小説的なもの?」
ネコマタの生まれ変わりの少女は、こくりと頷いた。
「書いて、≪小説家にしよう≫っていうサイトにアップしている」
「へえ。どんな話を書いているの?」
「まあ、その……なんていうか、黒いものにゆっくりと蝕まれていく世界のおはなしだ」
「パニック小説的な?」
「よくわからない」
「良かったらタイトル教えてよ」
「い、いやだ! 絶対にいやだ!」
「なんで」
「そっそんなの恥ずかしすぎるに決まってるだろ!」
花はベッドのうえでいきなり中腰になり、人形をラグビーボールみたいに脇に抱え、いつでも逃げ出せるような態勢をとって言った。
「槙島にだけは死んでも教えない!」
「もしかして、俺をモデルにした登場人物でも出てくるの?」
花は、しまったという顔をして、遼に背をむけてしまった。
正座したまま、微動だにしない。
まるで叱られている子供みたいだった。
座禅をするお坊さんさながらに、じっと壁にむきあっている。
そこには求道者のような厳しささえ漂っていた。
「わ、わかった。
この話はもうやめよう」
それからしばらく、花はみじろぎひとつせず、内省の世界に没入していた。
ぜひ!
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