表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂った博愛主義者を生んだある悲劇についての記録  作者: 栗山大膳
第二章 亡霊と踊る博愛主義者は血の匂いを厭わない
24/75

1.

 眠れない。



 ベッドの隅で丸くなって頭から布団をかぶっても、耳をふさいでも、眠れない。



 相変わらず、カーテンのむこうから、大勢の、ひとのものとも魔物のものともつかない呻き声が、低周波のうねりをつくって押し寄せ、部屋の空気をゆさぶっていた。


 それが、いまにも、壁に亀裂を走らせ、窓ガラスを砕いてしまいそうな気がする。


 それどころか、寮ぜんたいが大きく揺れ出しそうな予感さえする。



 幻聴とは分かっていたが、緊急地震速報のいやなアラームが、耳元で狂ったように鳴っていた。



 たぶんカーテンを開ければ、外の景色はなにもかも赤い靄に埋もれ、月さえ赤く染まっているかもしれない。



 けれども、どういう訳か、あの忌々しい靄は、寮の部屋のなかにまでは入ってこなかった。


 オート・ロックの扉と、転落防止の鉄柵が、靄を食い止める役割をしているのかもしれない。



 突然、ガシャンと音がたった。


 カーテンのすぐむこうだ。


 遼はぞっとしながら、ベッドから降り、ゆっくりと窓辺へ歩いていって、勉強机ごしにカーテンを寄せてみた。



 身体が凍りついた。



 生首が、鉄柵にかみついている。



 瞳孔のひらいた双眸は眼球のうえのほうに張り付き、歯肉から垂れた血がよだれと一緒になってあごに滴っていた。


 鼻はくさって削げ落ち、頬は不潔そうなひげで覆われている。


 青い月代に、頭髪の薄汚くはりついている様が見苦しい。



 それが、ンウ、ングウ、と訳の分からないことをわめきながら、がちがち、ぎりぎりと音をたてて、鉄柵にかじりついているのだった。



 あごが動くたびに首が揺れ、断面があらわになる。


 まぐろの血合いのような色をしていた。



 コイツもクミの身体を浸食していたあの蟲の類なのだろうか。


 寮は、そのことに思いを馳せた途端、恐怖が熱い血にかわり、脳めがけて逆流していくのを感じた。


 古代中国の将軍――豹とひとつになって大草原を駆けた、あの夢の高揚感が身体に満ちてくる。


 衝動のおもむくまま、机に転がっている鉛筆をつかみ、窓をひらき、生首の眼球めがけて突き立てる。



 もうひとつの眼球が、恨めしく天を睨んでいる。


 むらさきの厚いくちびるがうごめき、おごご、と痰がからんだような音を発した。


 そうして鉄柵からずりさがりはじめ、すぐに赤い霧のなかへ沈んでいった。


 赤みをおびた月が、黒い稜線のうえで、超然と輝いている。


 遼は窓をしめきって鍵をかけた。


 呼吸がひどく乱れていた。



 カーテンをなおし、なにか飲もうと冷蔵庫をふりかえったとき、遼は入り口のところにまったく予期しなかったものを見た。



 おんなのこの幽霊……いや、ちがう。



 パジャマ姿の四井花が、うさぎの人形を抱えて、立っていた。



 遼はよろけて壁に背をぶつけた。


 それから唾を飲み込む。



 どうやって入ってきた?



 花は、暗がりのなかから、じっと遼をみつめていた。


 怯えたような眼だけが、ほんのりと光沢を放っている。



 闇に慣れて、花の輪郭がはっきりしてくるにつれ、遼は気持ちが落ち着いてきた。



 脳裏に、クミのことが去来する。


 そうして、花を見ているうちに、胸がしめつけられるような感覚をおぼえた。



 椅子にぐったりと腰をおろして、



「……やあ、いらっしゃい」


 と言い、微笑した。



「あのっ」


 と、花は言った。


「ここに居させてもらってもいい?」



 怖くて、自分の部屋から逃げてきたのかもしれない。


 無理もなかった。



 遼は髪をかきあげて、



「俺はかまわないけれど……女子のところへ行ったほうがいいんじゃないかな」



 花は悲しげにうつむいて、



「わたし、誰ともしゃべったことないから。


 話しかけてくれたの、槙島だけ」



「そっか。


 そりゃ、頼みづらいよな……」



 遼は寮則にすべて目を通しているわけではなかったけれど、消灯時間をすぎて異性を部屋に招き入れることが、学校や寮に歓迎されないのは分かりきっていた。


 よし学校にバレなくとも、くだらない噂を立てられる恐れがある。


 自分は男だからいいが、花にはつらいことになるかもしれない。



 しかし、窓のそとがあの状況では仕方ないだろう。



「オッケー、わかった。


 なにもないけど、好きに寛いでよ」



「あ、ありがと」



 登校拒否の女の子はベッドにあがると、壁に背をつけ、体育すわりの恰好になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ