20.
「槙島、聞いて欲しい」
と、扇谷は言った。
「有川クミさんに蟲を植え付けたのは、高架下で君が殴殺したあのヒロという男だ。
そして、その蟲は、この魔物が飼育して販売したものだ。
当然ながら、君はこの魔物が憎かろう?」
遼は、だまって頷いた。
「君が望むのであれば、俺はいまからコイツを虐殺しよう。
君の怒りはよく分かる。
俺も、監視カメラの映像を見てはらわたが煮えくり返った。
ここまで腹が立ったのは久しぶりかもしれん。
君をここまで付き合わせたのも、それを見せてやりたかったからだ。
これで君のトラウマが癒えるとは思わない。
しかし、それでも多少は気が晴れるはずだ。
……だが、我々としては、できるなら、この鬼を組織の施設に連行し、尋問にかけたい。
そうすることで、蟲の拡散を食い止められるかもしれない。
魔物どもの動きについて有力な情報が得られるかもしれない。
うまくすれば、今後、クミさんのような目にあう人々の数を、減らすことができるだろう」
遼は、怯えてすがるように見上げてくる鬼を、敢然と見下ろした。
奥歯がギリっと鳴った。
「……コイツをつれていってくれ、扇谷」
「いいのか」
「気持ちだけもらっておくよ。
ありがとう」
扇谷は血だまりに坐りこんだオニに拳銃をつきつけながら、何度か、頷いた。
それから携帯端末をとりだして、電話をかける。短くやりとりしたあと、
「……ああ、そうだ」
帰ろうとする遼を、扇谷が呼び止めた。
「警察のことなら心配いらない。
君は逮捕されないはずだ」
「悪いけど、信じられないな」
「現代日本の闇のなかで、魔物どもが蠢いていることは、ある人々にとっては、周知の事実なんだ」
「ある人々?」
「たとえば、一握りの政治家。
政府高官。
それに、財界や宗教界、法曹界、マスコミの上層部。
公益のために≪魔≫を取り締まらなければならぬと考える人たちもいれば、軍事・経済上の目的から≪魔≫を利用してやろうと考える人たちもいる。
ひどいのになると私欲を満たすために≪魔≫と結託しようとする者もいるし、カルト的な思想に魅入られて≪魔≫に力を貸そうとする愚か者もいる」
「そうなのか。
いや、よくわからないけど」
「彼らは様々な思想・信条をもっているけれども、ただ一点において、利害を共有している。
それは、≪魔界≫や≪魔≫の存在を、世間にむかって明らかにしたくない、ということだ。
……わかるだろう。
彼らにとって、それは不都合なんだ」
「………」
「俺たちの≪組織≫も、そういう存在のひとつと言えるかもしれないな」
「それで?」
「それらの人々が、誰に頼まれずとも、勝手に、事件の隠蔽に動く。
だから君は逮捕されない。
請け負ってもいい」
「あてにしないでおく」
「ところで、君はこれからどうする」
「帰るよ。
こんな時間まで家に帰らないんじゃ、親が心配しているだろうし。
もっとも、そんなことを気にしている場合じゃないけど」
「そうじゃなくてだな」
と、扇谷は言った。
「そろそろ受験だろう?」
「ああ……まあな」
遼はため息をつきながら言った。
受験の合否いぜんに、そもそも試験を受けられるところまでいけばいいけれど。
「全寮制のいい高校があるんだが、興味はないか。
学費もほとんどかからない。
じつは俺もそこに進学する予定でな。
いずれご両親にその話がいくかもしれない。
考えておいてくれ」
遼はてきとうに頷いて、扇谷に心身の疲れで丸くなった背をむけた。
「いろいろありがとうよ。
縁があったらまた会おうぜ」
「気をつけてな」
扇谷の言うとおり、二月も半ばを過ぎるころ、遼が不在のあいだに自宅に来客があったようだった。
その日、塾を終えて家に帰ると、両親はテーブルにパンフレットをひろげ、とある全寮制の高校への進学を提案してきた。
偏差値は悪くないし、なにしろ学費がかからないので、とても助かるのだという。
遼のまんなかの姉が、来年、大学受験を控えていた。
遼は、受験勉強に疲弊してもいたし、かまわないよ、と答えた。
それが、神明舎学院だった。
第一章・完




