18.
雑居ビルがごみごみと密集している地区の路地裏をしばらく歩くと、いかにも年季の入った倉庫の裏口に突き当たった。
扇谷はドアノブの鍵穴にキーピックを差し込み、すこしガチャガチャとやった。
すぐに錠前がはずれて、扉がひらいた。
「なんだよ、原始的だな」
と、遼は言った。
術やら魔法やらでさくっと開けてしまうのを密かに期待していた。
「もっと≪瘴気≫が降りていれば、壁抜けくらいはできるのだがな」
扇谷はペン・ライトで通路の暗がりを照らしながら、言った。
「この程度ではこうするほかない」
「瘴気って、赤い靄のことか?」
遼は豹の言葉を思い出していた。
「そうだ」
「なぜ、こんなものがいきなり……」
「以前から存在していたんだよ。
君が気づくようになっただけだ。
……≪魔界≫の魔物どもが血を求めて騒いでいる証だ」
「一生気づきたくなかったね」
「ああ、そのほうがいい。
瘴気が見えるということは、力に目覚め始めたのでなければ、魔に魅入られた、ということだ。
君の場合は、その両方だろうが」
ペン・ライトのひかりが、灰色の空調のパイプやら、太い電源コードの束などを丸くきりとって浮かびあがらせる。
リノリウムの床は黒っぽく汚れ、電子機器の耳障りな音が、闇に染みわたるように響いていた。
「瘴気が見えないものは、≪魔≫から隔てられている。
別の言い方をするならば、影響を受けにくい。
つまり、比較的、安全だということだ」
そうして扇谷は急に遼をふりかえって、
「……だが、見えるようになったからには、自衛しなければならない。
好むと、好まざると、に関わらず、だ」
「わかったから自分の顔を下から照らすのはよせ。
……おまえ楽しんでるだろ?」
「そして≪瘴気≫は俺たち≪能力者≫にとって力の源泉でもある。
石油みたいなものだ。
そのあたりにばら撒いて火災を起こすこともできれば、精製して有用な製品をつくることもできる」
扇谷は、鋼鉄製の、塗装が剥げていくらか錆びついた扉を、ぎぃ……と押しひらく。
闇にほとんど埋もれた広いスペースが現れた。
天井は高い。
ずっと奥のほうで、LEDの青や赤のひかりが明滅している。
辺りには、凄まじい異臭が立ち込めていた。
「死んだザリガニの匂いだ……」
遼は口元を覆いながら言った。
「フッ、君も小さいころに死なせたクチか」
扇谷は壁ぞいに歩き、レバーを掴んでひきおろした。
転瞬――
高い天井にいくつも据え付けられたライトがいっせいに点り、目がくらまんばかりに明るくなった。
「なんだこれは……」
遼は息を飲んだ。
壁いちめんに空のゲージのようなものが三段に積まれて並べられている。
そこから得体のしれない嫌な気配が漂ってきた。
なぜかは分からないがとにかく近づきたくない。
数メートルの距離をとっていても、肌がひどく粟立つのを感じた。
「そうか、君はまだ瘴気が濃く降りていないと≪魔≫が見えないのだな」
と、扇谷は言った。
「いま、見えるようにしてやる」
そうして刀印を結んでなにかを呟く。
すると、ゲージというゲージに、不気味な蟲が次々と現れ、わらわらとうごめき始めた。
「有川クミさんのなかに巣食っていたのとおなじものだ」
「クソッ」
遼はうなるように言った。
「片っ端からブッ殺してやる」
「落ち着け。
君にまだその力はない。
力に完全に目覚めてないものがあれを金属バットでぶっ叩いたところで、どうにもならん。
包丁を突き立てようにも、甲殻に阻まれて、刃先が入っていかんだろうよ。
蟹や海老をさばくのとはちがう」
「じゃあどうすれば……」
「君に宿っている力を召喚するのもひとつの手だが……まあ見ていろ」
扇谷は薄くまぶたを閉ざす。
すると白い靄のようなひかりを帯びはじめ、長めの黒髪がふわりと持ち上がり、コートの裾がはためきはじめた。
「南方を焦がす紅蓮の焔よ、契約に従いてかの者どもを灰燼に帰せ!
≪朱雀召喚≫!」
カッと目を見開く。
扇谷が狩衣に烏帽子を冠した古い貴族のように見えたかと思うと、淡い光がはげしく煌めき、視界が漂白される。
少年の輪郭が淡く浮かびあがる一方で、火の粉をあざやかにまき散らして舞ううつくしい大きな鳥があらわれた。
その鳥が羽ばたくと焔がはげしくうねり、まるで倉庫全体を焼き落さんばかりになる。
蟲どもが凄まじい悲鳴をあげ、ゲージのなかで激しく暴れ回っている。
焔の鳥が、獲物をねらって滑空する鷲のように倉庫のなかを一直線に翔ける。
順次、ゲージのなかの蟲たちがカッと赤熱しては砕け、白い灰をあたりにまき散らした。
やがて静寂の帷がおりてきた。
倉庫内に、まるで雪が降っているようだった。
やっと「異能」の登場までこぎつけました……。
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