15.
奇妙なことに、この高校――神明舎学院の学生寮では、消灯の時刻が一定ではなかった。
早ければ八時まえに門が締め切られ消灯になることもあったし、かと思うと、数日にわたって消灯の連絡がないこともあった。
消灯の時刻になると部屋の扉にロックがかかって、外に出ることができなくなり、カード・キーも無効になる。
刻限までに部屋に戻れないと、すこし厄介なことになる。
寮長と学校の用務員を兼ねるクロサキという大男がいるのだが、この男に見つかり次第、有無をいわさず事務室まで連れていかれ、閉じ込められる。
しかもクロサキはターン・テーブルにクラシックのレコードを載せ、大きめの音量で回しながら、寮生の傍でドストエフスキーだのブルーストだのの小説をくりはじめる。
寮生がうとうとすると低く抑揚を欠いた特徴的な声で小説についての話を始め、絶対に寝かせてくれないのだった。
明らかに嫌がらせだった。
こんな目に遇いたくないのなら次からは時刻どおりに部屋に戻るんだな、という意味に違いなかった。
遼と扇谷はまだその罰ゲームを食らったことはなかったが、行儀のよくない男子はたいていそれを経験しており、蔵人などは二度もクロサキと夜をともにしていた。
蔵人に限らず、寮の男子たちがクロサキを恐れる様は尋常ではなかった。
生活指導や威圧的な体育教師のようにガミガミ言うことはなかったが、迫力と不気味さは別次元で、地元でそこそこ修羅場をくぐってきたヤンキーの蔵人にして
「あいつはガチでやべえ……」
と評するほどの人物だった。
「すまんがスマホはなるべく持ち歩かないようにしている」
と、扇谷は言った。
「おまえ現代人じゃねえだろ……」
と蔵人は呆れたように言った。
それから廊下を見通すように目を細めて、
「けれどよ、この赤い靄となんか関係あんのかね。
こないだ急に消灯の連絡が来たときも赤い靄が出てたろ」
「……おまえも見えるのか?」
と扇谷が左目を細める。
蔵人は曖昧にうなづいて、
「なんなんだろうな、これ」
それから白っぽくひかるスマホの画面に目をおとして、
「やっべもう時間がねえ。
おまえらも早く部屋に戻ったほうがいいぜ」
金髪のヤンキーは、じゃあな、と言い残してエントランスのほうへ駆けていった。
「さて、俺たちも部屋にひきとるとするか……」
扇谷は籠を肩にかけて歩き始めた。
遼は部屋にもどって壁のひっかかりに洗濯ひもを渡し、新鮮な洗剤の香りのする衣服を干し始めた。
すぐに、扉がガチャリと音を立てて施錠された。
もう、しばらくは部屋から出られない。
テーブルの充電器からスマホをとりあげて操作する。
蔵人の言ったとおり、神明舎学院の連絡用アプリに、消灯と施錠の通知が来ていた。
消灯時間がまちまちならば、扉の錠が解除される時間もまた、まちまちだった。
たいていは朝練の始まる七時すこしまえには部屋から出られるようになるが、日によっては夜明け前の三時、四時からロックが外れることもある。
ごくまれにだが、学校の都合で始業が遅れ、それに伴い、昼近くまで解除されないこともあった。
そしてそういうときには大抵、程度の差こそあれ、グラウンドのうえに赤い靄が漂っていた。
グラウンドといえば、奇妙なことに、神明舎学院にはどこの学校にもある野球部とサッカー部がなかった。
陸上部もない。
一節によると、この地方は夏場になると雷がとても多く発生し、とくに、まえの学校法人がこの学校を経営していた頃――その頃は鹿鳴学園という名前だった――に落雷事故が相次ぎ、その反省を踏まえて屋外の運動部はすべて廃部になったという。
そうは言っても、私立の高校はたいてい、スポーツの大会で好成績を残して評判を高めたがるもので、話題性の高い野球やサッカーの部活を置かないというのは謎という他になかった。




