8.
……遼はそこで頬を叩いて強くこすり、強制的に回想をやめた。
その先はトラウマ以外のなにものでもなかった。
なにが悲しくてあの忌々しい記憶を辿らなきゃならない。
教科書を詰め終えて鞄の留め金を引っかけ、カーテンを引いて、制服のスラックスをおろしてハンガーにさしこみ、ワイシャツとトランクスを脱いで洗濯かごに放り込み、それから熱いシャワーを浴びた。
長めの髪に無造作にドライヤーをかけ、厚手のロング・ティーシャツと灰色のハーフ・パンツを身につける。
テーブルのハンド・グリップを拾い上げて、左手でゆっくりと握る。
肘から先がダルくて動かなくなるまでくりかえし、右手に持ちかえておなじようにする。
それから腹筋とスクワットをていねいに一〇〇回ずつ行った。
ベッドに浅く腰かけて、乱れた息を整える。
身体を動かすことで紛れていた記憶が、弾む息に巻きとられるようにして戻ってくる。
そこには有無を言わせないなにかがあった。
遼はするどく舌打ちをした。……
気がづくと、クミがソファの隣に座っていた。
なにひとつ身にまとっていない。
脚を組んで、遼ごしにミネラル・ウォーターに手をのばし、白い喉を動かしながら、ごくごくと飲み干す。
それから遼にスタジャンを脱がせ、腕をとって自分の肩にまわるようにした。
ラブホの安っぽいライトの下でも、微笑むクミはきれいだった。
身を乗り出して、薄目になり、唇を重ねようとする。……
「待ってくれ」
と、遼は言った。
「俺たちのペースはすこし速すぎる気がする」
クミは自分が可愛いということをよく知っている女子に特有の、不思議そうな表情を浮かべて、首をすこし傾けた。
「それに、クミちゃんはさっき、ゴムをごみ箱に放った」
それがどうしたというように、クミはうなづく。
「そのことが……あとでクミちゃんを傷つけることにならないかって、さ」
「まどろっこしいこと言ってないで、食べちゃいなよ、あたしを」
「そうしたいのはやまやまだけど、……」
クミは、白けたと言わんばかりの表情を浮かべて、それでもゆっくりと寮の首に腕をまわし、
「どのみちホテル代かかっちゃうよ」
「俺がもつから」
「……アンタさあ、あたしに恥をかかせるつもり?」
少女は眉のあいだに醜い皺をつくり、それから指先で股間に触れた。
「やせ我慢は身体によくないよ? ね?」
「そのときが来たら、な」
と、遼は努めておだやかに言った。
「こういうのって、やっぱり違う気がするんだ。
……クミちゃんのことは、もっと大切にしたい」
「そういう話は、終わったらたっぷり聞いてあげるから」
ジーンズのボタンに指がかかる。
遼はたちあがって、テーブルの向こうがわにまわった。
「こら、まてぇ」
クミが恍惚の笑みを浮かべて、テーブルに素足を載せた。
遼はよろけるクミに腕をのばして支え、
「やっと気づいた。
……俺、クミちゃんのことが好きだったんだと思う。
クミちゃんはとても素敵だと思うけど、そういう姿を見ているのは、正直つらい」
「………」
「違ってたらゴメン。
ただ、俺にこんなことをするくらいだから、きっと他の奴にもしてるんだろうなって、どうしても想像しちゃうんだよ。
独占したいっていうんじゃないんだ。
そのことでクミちゃんがひどい目に遇ったりしていないか、心配なんだ」
ピントがズレてるかもしれないけど、もし力になれることがあったら、言ってくれないか。
遼はクミの瞳をまっすぐに見つめてそう伝えた。
するとクミの表情から恍惚の気配がすっと消えて、遼のよく知っている女の子の双眸があらわれた。
涙がこぼれて、白い頬をつたう。
「お願いがあるの……」
遼はその涙を見つめながら、はじめて言葉が通じた気がした。
「なんでも言って。
できるかぎりのことをしてあげたい」




