6. 王命⑤
角の生えたネズミ騒動もすっかり落ち着いた頃、外にいる子どもたちが叫ぶのが聞こえてきた。
「ねえ、あの箒!」
「うん、ソフィー母さんだー!」
仮眠を取らせてもらっていたイーダは飛び起きた。
鍋の前から離れられないメンバーを除き、総出で出迎えた。
箒から下りたソフィーは疲れている様子だったものの、その表情はどこかすっきりしているようにも見えた。
大ばばがみんなを代表してソフィーに尋ねた。
「それで、国王陛下の用件は何だったの?」
「用があったのは私じゃなくて、正確には私の使い魔にだったわ。ここだけの話なんだけど、国王陛下は斑紋死病の特効薬を作ってくれるよう、魔王にお願いすることを決めたの」
(魔王に! いつまで続くかも分からなかった薬の調合が、ついに終わるのかもしれないってこと?)
けれども、その期待はすぐさま不安に取って代わられた。
「魔王は対価に何を要求してくるのかな……」
ひとりが呟いた。
(それ! それなんだよね……)
イーダを含め、全員が同じことを考えていた。
報酬として分かりやすい貴金属が一番いい。
けれど、首を傾げたくなるようなことを要求されることもある。というか、あるときを境にヘンテコな要求ばかりされるようになった。
不作に悩んでいた領主が豊作を願ったときには、『その年に収穫できた小麦を使って領内でパン作りコンテストを開催し、優勝者が作ったパンを捧げよ』といわれたとか何とか。
『魔王がパンを食べるのか?』と半信半疑ながら、使い魔にカゴいっぱいのパンを持たせたところ、カゴを空っぽにして戻ってきたという。
この話には、それ以降その領では毎年パン作りコンテストが開かれることになった、というオマケまで付いている。優勝者の作ったパンはもちろん魔王に捧げられる。
そうかと思えば、ひどく残酷な内容のときもある。
(魔王らしいといえば魔王らしいんだけど……)
まことしやかな噂によると、ある国は隣国との戦争に勝利することを望んだ際に、勝たせる代償として王族全員の首を要求されたそうだ。
それでは勝ったところで意味がない。
結局その国は魔王に願いを叶えてもらうことは諦め、隣国に併合されたと伝え聞いている。
(今回は何を要求されるのかな……)
「とんでもない対価を求められたら、断るだけのことでしょ。それに特効薬を作ってもらえるとしても、それがいつになるかは分からないんだし、心配してても仕方ないわ。私たちはとりあえず薬を作り続けるだけよ」
ソフィーの言う通りだった。
※
魔女たちはそれからの数日間、表面上はそれまでと何も変わらない毎日を過ごした。
薬の材料を集め、薬を作り、王宮へ届けたのだ。
けれど、こっそり期待していた。王命から解放されて気が済むまで熟睡することや、普通の恰好をして町へ遊びにいくことを。
イーダに限っては、さらに使い魔と契約することも楽しみにしていた。
その日も、名前の候補を考えながら鍋をかき混ぜていた。
(あの子、全身真っ黒だった。毛も、瞳も……『くろまめ』っていうのはどうかな?)
……ガチャンガチャンガチャン……
不意に聞こえてきた無数の金属音によって、名前の考案は中断させられた。
その音はあっという間に、小さな集落を取り囲んだ。
「何の音かしらね……きゃっ! 何あれ!? みんなもこっち来て!」
窓の外を覗いた魔女は取り乱して言った。
イーダは鍋の前から離れられなかったが、上体を反らして窓を見た。
イーダは息を飲んだ。
たくさんの兵士がいたのだ。金属音は兵士の着ている鎧が発していた。
でも、どうも領軍とは違うようだ。
掲げている旗は見慣れないものだったが、それでも王家の紋章だということくらいは認識できた。
「王宮軍だわ……」
ソフィーが呟いた。
領軍ですら、魔女の集落を目指してやってきたことはない。せいぜい前を通過するだけだ。
にも拘らず、今集落は王宮軍に囲まれている。
(これは、ただ事じゃない……)
しかも現在は斑紋死病の感染拡大を防ぐために、王都から出ることは厳しく制限されているはずだ。
(それなのに、どうしてこんな大人数で? 魔王との取引の目途が立ったっていうこと?)
そうに違いなかった。
そして、そのことと今魔女の集落が包囲されていることは、恐らく無関係ではないだろう。
ソフィーは真剣な表情で、じっと外の様子を見つめていた。
一方でソフィー以外の魔女たちは、動揺しオロオロしていた。
「魔女は全員建物から出てきて横一列に並べ!」
(ど、どうすれば……)
魔女たちはソフィーの判断を仰ぐために、ソフィーの様子を窺った。
ソフィーはこの緊迫感漂う状況に反して、優しく微笑んだ。
「言われた通りにしましょう。この場にグズグズ留まっていても、事態が好転しないのは明白だもの。それよりも魔王が対価として求めているものは何なのか確認して、できる対処を考えるべきよね」
大魔女のその言葉に、みんなもぎこちないながら『そうだ、そうだ』と頷いた。
(ソフィー母さんはすごいな)
「私たちは後ろめたいことなんてひとつもしてないんだから、堂々と出ていくわよ」
ソフィーはそれから魔法で鍋の火を消した。
「さっさと出てこい! ひとり残らずだ!」
(なぜ命令口調で怒鳴られないといけないの? 王宮軍のくせに、私たちが王命で斑紋死病の薬を作ってる最中だってことを知らないわけ?)
イーダはこれまで自分たちがどれだけ大変だったかを思い出すと、悔しくて堪らなくなった。
それでも奥歯をぐっと噛んで、ほかの魔女たちのあとに続いて外へ出た。
大ばばたちも小さな子どもたちの手を引いて、別の小屋から出てきた。
「遅いぞ。そこに並べ」
集落の入り口前で横一列に並ばされた。
さっきからがなり立てている騎士が馬から降り、魔女を蔑んだ目で見てきた。
(ソフィー母さんが言ってた、『この領を出てしまえば、魔女なんて胡散臭い存在だと思われてるし、実際そう扱われる』っていうのは、まさにこういうことなんだ……)
ノールブルク領を出たことのないイーダにとっては、耐えがたいほど差別的な態度に思えた。
「この中に17歳の者はいるか?」
唐突な質問に、魔女たちはお互いを見合った。
「誰か答えろ!」
答えたのはソフィーだった。
「おりません」
「なら、16でも18でもいい。17に近い年齢の者!」
魔女たちはつい眼球だけ動かしてイーダを見てしまった。
イーダは18、といってももうすぐ19になるのだが、この集落で最も17に近い。
「お前か!」
まるで窃盗犯でも見つけたかのような言い方だった。
その瞬間全員で『しまった!』と思ったけれど、もはや手遅れだった。
男はイーダの腕を掴んでいた。