十六、突然の再会
ラファエルと別れたアーテルは、一人でパーティー会場へと入っていた。ウィリデと話す。ロジュと話す。この二つが、アーテルの目的だ。よし、と心の中で決意を固める。どちらから行こうか。そう考えていると、アーテルの元に一人の女性が近寄ってきた。
「あなたが、銀の女神であってる?」
不躾に声をかけられた。一国の王女にかける言葉ではないし、貴族の言葉遣いとは思えない。アーテルは金の瞳を瞬かせながらそちらを見た。
声をかけてきた人物は、アーテルの知らない人であった。アーテルは、首を傾げる。
「えっと、私は、アーテル・ノクティリアスと申します。失礼ですが、どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」
アーテルは一応丁寧に返答をした。ここはソリス国のパーティーである。他国の王女であるアーテルは下手な発言をできない。アーテルの失態は、ノクティス国へのイメージの失墜にもつながる。
勿論それはアーテルだけではない。目の前にいる貴族も同じはずなのに。どうして、ここで軽率な振る舞いができるのか、不思議でならない。アーテルは、それでも笑みを貼り付けた。
「私は、ファローン国のバンブー伯爵の娘。バンブー伯爵家の名に聞き覚えは?」
それをきいて、アーテルは思い出すことがあった。ファローン国の中で、アーテルはとある問題に首を突っ込んでいた。それは、民に高い税を課していた、ということ。このバンブー伯爵家はその中でも悪質であり、それをアーテルは白日の下に晒していた。民から高い税金をとっておきながら、自分たちは豪華な生活を送る。それは許されることではない、と思っていた。
「勿論、聞き覚えはございます。民から高い税金を搾取して、苦しい生活を強いておいて、自分たちは華美な生活を送っていた伯爵家ですよね?」
その場の空気が凍り付いた。アーテルは、思ったことを口にしてから、自分の言葉に首を傾げた。正直に言いすぎたかもしれない。
アーテルのやったことも、言っていることも間違っていない。正しい。
しかし。正しいということは、時に厄介な出来事を巻き起こす。恨みを買い、憎まれるリスクを孕んでいる。それが、今回だ。
アーテルに暴露された貴族の女性は顔を真っ赤にした。ふるふると拳を震わせる。その様子をみて、アーテルは自分が余計なことを言った、と悟った。
「うるさい。あんたのせいで」
その女性は激昂していた。ドン、とアーテルのことを突き飛ばす。アーテルは思いがけず蹌踉けて、尻餅をついた。彼女のドレスはフワリと揺れ動き、彼女の銀髪も大きく揺れた。
「あんたのせいで。あんたの余計な正義感のせいで」
周りが見えていない。その女性は机に置いてあったグラスを掴んだ。その中には並々と注がれた赤ワインが入っている。それをかけられると、間違いなく汚れ、服には染みができてしまうだろう。そんな冷静なことを考えながらも、アーテルは動くことができなかった。相手のすさまじい怒気にあてられて動くことができない。周囲の人も、驚きで反応することができていなかった。
ああ。自身が汚れることは避けられないだろうな、とアーテルは目を閉じた。
バシャリ、と水の音がした。アーテルは思っていたように濡れることはなく、不思議に思ってゆっくり目を開いた。アーテルを守るように間に割って入っていた人物は。アーテルは美しい藍色の瞳と目があった。
まるで、時間が止まったようだった。アーテルがその藍色を見つめた時間は一瞬のはずなのに、酷く長い時間その瞳に囚われていた気分だ。アーテルは全身が強張る感覚があった。
アーテルが時間をまき戻る前によく見た深紅は、赤ワインにより汚れてしまっていた。彼の白っぽい服装にも、その赤は染みこんでいく。
「ロジュ、王太子殿下」
バンブー伯爵令嬢は、思わぬ人物の登場に目を見開く。自分が、誰に赤ワインをかけたかを気がついた彼女は、表情がこわばり、真っ青になった。
ロジュは赤ワインで濡れた髪を左手でかき上げた。彼の真っ白な手袋が赤に染まっていく。
「俺のパーティーで何をしている?」
ロジュは藍色の冷たい瞳をバンブー伯爵令嬢に向ける。彼女は足から力が抜けたようで、座り込んだ。
一方、アーテルはロジュを見つめていた。ロジュだ。ロジュが目の前にいる。アーテルが知っているロジュではなかった。二十歳のロジュは背も高く、大人びて見える。ロジュの濡れた髪をかきあげる仕草に見惚れている人も周囲で見ていた貴族の中ではいたが、アーテルはそれよりも弟のように思っていた彼の成長に喜んでいた。
「アーテル第二王女殿下、でよろしいですか?」
ロジュの藍色がアーテルの方に向けられた。その他人行儀な話し方、呼び方に少しだけ寂しさを感じる。それでも、それはアーテルとロジュが選んだ結果だ。
「ええ。そうです」
「アーテル殿下、お手をどうぞ」
ロジュが赤ワインで汚れていない右手を差し出してきた。立ち上がっていないアーテルへの配慮だろう。先ほど、左手で髪をかき上げていたのは、アーテルに手を貸すために右手は汚さないようにしていたのかもしれない。
「ありがとうございます。ロジュ王太子殿下」
アーテルはロジュの好意を断らず、ロジュに向かって手を伸ばす。ロジュの真っ白な手袋をした手とアーテルの手が触れたとき。
「え……」
ロジュが小さく声を出した。そして、急に空いている左手で頭を押さえる。
「ロジュ王太子殿下、いかがなさいました?」
アーテルが驚いてロジュに声をかける。体調でも悪いのだろうか。そんなアーテルの心配とは裏腹に、ロジュは首を振った。
「いいえ。大丈夫です」
大丈夫、というわりに、ロジュの顔色は悪くなっていった。アーテルは不安が募るばかりだ。
「ロジュ王太子殿下、別室で休まれた方がよろしいのではないですか?」
ロジュがアーテルに顔を近づけた。小声でアーテルへと話しかける。
「話がある、アーテル姉さん」
アーテルは、顔を強張らせた。今のロジュの発言が、何を表しているか。考えるまでもない。
ロジュは、記憶を取り戻した。おそらく、アーテルがトリガーだったのだ。
アーテルは、表情を暗くした。思い出してほしくなかった。まさか、自分が引き金となるなんて、思っていなかった。
「勿論よ、ロジュ」
ロジュはその言葉をきき、頷いた。
「それではアーテル殿下。お召し物を変えた方がいいかもしれないので、ご案内しますね」
ロジュは通常の声の大きさに戻した。それは、周囲への建前だろう。実際、ロジュはグラス一杯分の赤ワインをかぶってしまったため、衣服を変える必要がある。
「お気遣い、ありがとうございます。ロジュ王太子殿下」
ロジュが周囲を見渡した。誰かを探しているようだ。
「ラファエル」
ロジュがそんなに大きくない声で呼びかけると、ロジュを見つけたラファエルがすぐにやってきた。ラファエルは、赤ワインで濡れているロジュと、その隣に立つアーテルを見て、薄紫色の瞳を大きく見開いた。
「ロジュ様、申し訳ありません。少々会場から外していました」
「別にお前の行動を制限する気はないから構わない。だが、今からはそう言ってられなくなる。悪いが仕事だ」
ロジュはちらり、とバンブー伯爵令嬢の方に視線を向ける。
「王族不敬罪でよろしいですか?」
ラファエルは、そのロジュの視線から誰が赤ワインをかけたのか、悟ったのだろう。
「俺への不敬は不問でいい。俺が勝手に割って入っただけだから」
一見甘いようにも聞こえる判断。それでも、ロジュは自身の影響力を知っていたのだ。ソリス国の王太子である自分が入ることで、相手の責任を重くしてしまうということを知っていながらも、介入した。だからこそ、その責任は自分にある、と分かっていたため不問、と言ったのだ。
「それでも、ソリス国のパーティーで問題を起こしたこと、ノクティス国の王女殿下への無礼は見逃せない。ラファエル」
分かっているな、という視線をロジュはラファエルに向けた。ラファエルは、ロジュの意図を正確に受け取り、頷く。
「かしこまりました、ロジュ様。僕の方で対処しておきますので、お任せください」
「ああ。頼んだ。あと、もう一つ頼みがある」
「何ですか?」
ロジュはラファエルにだけ聞こえるように、一言頼みを告げた。そのことに、ラファエルは一瞬動きを止めるが、すぐに頷いた。
「仰せのままに」
ラファエルはロジュに向かって、ニコリと微笑んだ。ロジュがアーテルを連れてその場からいなくなった瞬間、ラファエルの表情は尖ったものへと変わる。
「ラファエル・バイオレットの名において命じます。この女を捕らえてください」
ラファエルは城の警備にあたっていた兵士に向かって告げる。兵士たちは頷いた彼女を拘束した。
「では、ゆっくり、お話を聞かせていただきましょう」
氷のような雰囲気を纏うラファエルは、ゾッとするような美しさをも持つ。その逆らえない雰囲気に、周囲の人は頷くしかなかった。
「ロジュ様は、全てを思い出したのですね」
ロジュがラファエルに告げた一言。そのたった一言でラファエルは分かってしまった。
『三十分くらい経ったら、俺の部屋に一番近い応接室まで、ウィリデ陛下を連れてきてくれ』
ロジュは思い出したのだ。アーテルとウィリデが恋人どうしであった、ということを。それを分かったラファエルは、一度目を閉じた。
ラファエルは心の中で祈る。どうか、ロジュが自身を責めませんように。世界を滅ぼしかけた己を恨みませんように。




