六、月と太陽の奇跡
アーテルはロジュの近くにしゃがみ込みながら、一方的に話を続ける。
「ロジュ、私もね。ウィリデの死を受け入れられなかったの」
アーテルは自嘲するような表情で囁く。一人の死で、ここまで自分が生きる希望を失うだなんて、思ってもみなかった。
「ノクティス城にある本を漁って見つけた一節があってね、『同程度の太陽と月が手を組んだとき、時すらも干渉することができる』って書いてあったの。私、この可能性にかけてみたい」
ロジュに聞こえているかどうか分からない。それでもアーテルは必死に話し続ける。
「ねえ、ロジュ。試してみない? 本来であれば、私の加護とロジュの加護には大きな差がある。でも、太陽を堕とすほどの力を使った今なら? 同程度かもしれない。やってみない?」
そう言ってアーテルは微笑んだ。
本来であれば一節の『同程度』をロジュと実現するのは無理だ。ロジュへの加護は強すぎる。ノクティス国の中で月の加護が最も強いアーテルだが、足下にも及ばない。しかし。今なら調和がとれるかもしれない。
微笑むアーテルを見つるロジュの目に光はなかったが、やがてコクリと頷いた。
「ありがとう。ロジュ」
「……。アーテル姉さんは、本当にそれでいいんだな」
やっと声を発したロジュだが、その声は少し掠れていつもより声量はない。それでも、しっかり聞き取ったアーテルは頷く。
「ええ。でも、一つだけ教えて。犯人は、誰だったの?」
アーテルが金の瞳に強い感情を込めながら尋ねると、ロジュは苦しげな表情で顔を伏せた。
「テキュー・ソリスト」
ロジュから発せられた人名に、アーテルは息を呑んだ。ロジュの弟だ。それはロジュが絶望してもおかしくない。
「分かったわ。この世を終わらせましょう。心の準備はいい?」
アーテルの言葉にロジュは頷く。どうせ、終わらせようと思っていた世界だ。
アーテルがロジュに手を伸ばした。ロジュはその手をしっかりと掴む。
教わったことはなくても、自分が何をすれば良いか、ロジュとアーテルには分かった。
「我がフェリチタ、太陽よ。時間を巻き戻してください」
「我がフェリチタ、月よ。時間を巻き戻してください」
二人の声がそろう。時空が歪む感覚。
世界が白に染まり、ロジュを見失う直前。
「アーテル姉さん、ごめん」
ロジュは聞こえなくてもいい、と思って口にしたのだろう。こんなにギリギリに声を発したのだから。
謝罪の意味を問いかける前に、隣にいたロジュはいなくなっていた。
成功したのか、と思ったとき、アーテルは不思議な空間にいた。
見渡す限りの白。自分以外誰もいない。
そこは不思議と美しいとは思わなかった。踏み荒らされていない雪景色は美しいと感じるが、ここは感じない。
どちらかといえば、厳かで、得体の知れないものが潜んでいそうな空間。
「本当に酔狂な人間もいるものだ」
人在らざるものの声だと本能的に分かった。
威圧で声が発せない。
人智を超えた何かの力が働いている。
「お前はウィリデ・シルバニアを助けたいんだな」
低く響く声。アーテルは震えそうな身体を抑えながら口を開く。
「はい。だから時間を巻き戻したいのです」
この声の主が誰かわからない。神だろうか、とアーテルは予想した。
「本当に酔狂な人間たちだ」
呆れるような声。しかし、アーテルはこの声が拒絶はしていないことがわかった。
「奇跡には、代償がつきものだ。お前は受け入れられるか?」
アーテルは黙ったまま頷いた。覚悟はしていた。恩恵だけを受けることができるとは思っていない。しかし何を犠牲にしても、ウィリデを助けたい。
ただ、ロジュを巻き込んでしまったことだけは心苦しい。ロジュは何で謝罪をしたのだろう。謝るのは自分の方なのに。
アーテルの脳裏によぎるロジュの顔は自責の念に駆られていた。
(ねえ、ロジュ。あなたは何を知ってしまったの?)
アーテルは心の中で尋ねるが、答える人はいない。普通なら。しかし、この空間は『普通』ではない。
「教えてやろうか、ロジュ・ソリストが知った真実を」
自分の心の声を読まれたことで、アーテルは驚きにより固まる。しかし、これは情報を手に入れるチャンスだ。
「条件は何ですか?」
アーテルは確認をとっておく。まだ『代償』の内容もいわれていないのに、これ以上増やされると困る。
「こちらから教えると言っているのだから条件をつけるものか」
少し笑いながら答えているが、アーテルを馬鹿にする空気ではない。どちらかといえば、慈しむようで、愛しいものを見ているかのようだ。
「ロジュ・ソリストが知った真実。それは、ウィリデ・シルバニアが殺されたのは、ロジュ・ソリストのせいだということだ」
「え?」
アーテルは目を見開く。ロジュの、せい。そういわれてもうまく理解できない。
(ロジュはウィリデのことが大好きで、ウィリデのことを一番大切にしていて)
だからこそ、ロジュがウィリデを害するような要素、危険因子を残しておくはずがないのに。
「勿論、直接的ではない」
「テキュー殿下が、ウィリデを殺した理由が、ロジュがということですか?」
ロジュが言っていたこと、テキューが犯人ということを思い出したアーテルは声の主に尋ねてみる。
「そうだ」
「テキュー殿下はロジュのことを憎んでいた……?」
アーテルが辿り着いたのはその答えだった。憎んでいる人を傷つけたい、以外でその人の大事な人を傷つけることはないだろう。
「お前のその純粋なところが気に入っている」
その声は笑いながらそう言った。恐らくアーテルの予想は違うのだろう。
「テキュー・ソリストはロジュのことを好いていた、が解答だ」
「……? ええ?」
好き。それはそこまで悲惨な結末をもたらすものなのだろうか。もっと陽だまりのように暖かくて、宝石のように輝かしい。そんなものじゃなかったのか?
アーテルが考えたことを察したのか、その声は何度目かの笑い声をあげる。
「愛情なんて、綺麗なものだけじゃあない。お前は家族やウィリデ・シルバニア、ロジュ・ソリストに会って真っ当に愛してきたし、愛されてきた。だけど、お前が知らないだけで、いろんな形があるのだ」
箱入り娘で世間知らず。アーテルはそう言われた気がして押し黙った。アーテルは恵まれていた。幸せだった。羨ましい、くらいなら思ったことがあっても、憎悪、嫉妬ほどの強い感情を手にしたことはなかった。
アーテルは、自分の持つ物が一級品であっただけではなく、彼女はそれに満足していた。どれだけ良い物を手にしていても欲張って物足りなさを感じる人間もいるだろう。でも、彼女は自分の持つ物の素晴らしさに気づけていた。
手に入らない物に焦がれるよりは、手にある物を愛せる人だった。
だからこそ、彼女には理解ができない。
「テキュー・ソリストはロジュ・ソリストの大切な物を壊すことで、彼の気を引きたかったし、ロジュ・ソリストに好かれているウィリデ・シルバニアを憎んでいた。ウィリデ・シルバニアを殺すことで自分の欲求を満たせる」
大切な人の自分への怒りをかえるし、憎んでいる人を消すことができる。テキューにとって、一石二鳥である。
誤算があるとすれば、ロジュからテキューに向ける怒りは長時間続かなかったことだろう。ロジュはテキューを責めるよりも自分を責めてしまった。それ故の、今回の暴走。太陽を堕とすまでの経緯。
「お前が思っているほど、人間は綺麗なものではないし、人の感情は美しいものではない。それを知っても、お前は時を戻したいと思うか?」




