孤独(ロジュ・ソリスト)
ロジュ・ソリストが十六歳の時の話。
ロジュは、婚約者候補から拒絶したとき、何を感じたか。
そして彼はこの世界の秘密に気がつく。
いつも暗い話ですが、いつも以上に暗いです。
ロジュは、手紙にその日あった出来事を書こうとしていた。
婚約者候補ができたが、断られてしまった。自分は、何がいけなかったのだろう。そんな愚痴にまみれた手紙が複数枚に渡っていることに気がついたロジュは、正気に戻った。
手紙を全て破る。そして、その切れ端さえも残らないように、炎にぶち込んだ。
ロジュは深紅の髪をぐしゃりとかき混ぜる。
こんなことをして、何になるというのか。
ウィリデにこれを送って、何を得ようとしているのか。
ロジュは机の上に紙やペンが散らかっているのを放置したままベッドに寝転んだ。
もう、何もしたくない。自分がすることに果たして意味はあるのか。ウィリデのように、人の役に立つ人間にはなれない。これを送ったら、さらにウィリデに嫌われてしまうかもしれない。もう一年前から手紙の返事は来なくなったし、受け取ってもらえるかも分からない。幻滅されるかもしれない。もしかしたら、前の手紙が酷いもので、返す価値はない、と見限られたのかもしれない。
ウィリデがそんな酷いことをするはないって、頭のどこかでは分かっている。それでも、ロジュはウィリデに見放されたかもしれない、という思いを捨て去ることはできなかった。
自分は、また独りか。
ああ。恩人を。世界一信頼しているはずのウィリデを疑っている自分に嫌気がさす。
そんなことをしているから、独りなのだ。誰のせいでもない。ロジュ自身が悪いから、ウィリデ以外の誰のことも信用できないのだ。
そうやって、ロジュは自分を責め続ける。そして、それを止める人間は、誰もいない。
「ウィリデ兄さん……」
ロジュには、ウィリデしかいない。しかし、ウィリデは守るものがいっぱいあるのだ。それは、家族であり、シルバ国だ。少なくとも、ロジュはその二つよりも優位に立てるとは思ったことはない。そんな、傲慢な勘違いをしない。ロジュ自身に、ウィリデの家族やシルバ国よりも価値がある、なんて思っていない。
ウィリデが何で鎖国をし始めたか。ロジュはしらない。でも、シルバ国に何か問題があった、ということは何となくロジュは察知していた。
分かっていたことだ。いつかはこうなるということに。ウィリデは、シルバ国を守るためなら、どこまでも冷酷になれる。何でも切り捨てられる。シルバ国は、ウィリデの全てだ。
弟のように可愛がってもらった。でも。「弟のように」だ。ウィリデの弟にはなれない。ロジュは、ウィリデが切り捨て可能な位置なんだろう。
この、胸の中に穴が空いたような感覚を、一体なんと言えばいい。全身を刃物で刺されたような痛みを、なんと表現したらいい。
呼吸が苦しい。苦しい。この、感情を抑えつける方法を知らない。荒くなる呼吸を必死にこらえた。
大丈夫。自分は、まだ耐えられる。耐えられる。
本当に?
ロジュは自分の髪をさらりと撫でた。深紅の髪は少しずつ長くなってきた。ウィリデを目指して。憧れている、ウィリデのように。
「もう、いいか」
どこかロジュの瞳は虚ろだった。もう、いい。もう、無理だ。自分は、ウィリデのようになれない。婚約候補者には、断られた。ウィリデのようになりたい、という動機自体が駄目だったのだろうか。
「俺に価値がないから」
ロジュに価値がないから、クリムゾン公爵令嬢には婚約を断られたのではないか。ウィリデも。ロジュに価値がないから連絡をしてこないのではないか。
「俺は、何のために」
何のために、頑張ろうとしたんだっけ。自分は何を得たいのだっけ。もう、どうでもよくなってきた。もう、どうでもいい。
「俺が生きる意味は、何だ」
何のために。何のためだ。ロジュはぼんやりと天井を見つめるだけだ。彼に光なんて差し込んでいない。
彼に以前差し込んだ光は、ロジュを余計に苦しめた。一度光を浴びてしまうと、もうそれなしでは生きていけなくなる。分かっていた。分かっていたはずなのに。
一度の快感に身を委ねてしまうと、こうなるのか。
ロジュは薄く笑った。ロジュはノロノロと体を起こす。
「もう、いいか」
自分が生きていると。ソリス国を混乱させるだけだ。ロジュの藍色の瞳は、王位継承の争いをうむ。しかし、王位継承はただの建前でしかない。
もう、いいかと思ったのだ。生にしがみつく理由がない。もう、何も望みはない。もう、希望なんて求めやしない。
ロジュはゆっくりと自身の短剣に手を伸ばした。よく研がれたそれは、クリムゾン公爵令嬢とのお見合い時に乱入してきた暗殺者を戦闘不能にする際に使ったものだ。それを丁寧に手入れしたため、綺麗な状態で机の上に置いてあった。
ロジュは両手でもった短剣を自身の首にあてた。彼には意志も覚悟もなかった。もう、なくなった。
ロジュの手は震えもしていない。ただ、淡々と。勢いをつけて自身の首に滑らせようとした。
ロジュは。ロジュ・ソリストは死ぬつもりだった。
しかし。
「は?」
パリン、という音がして、短剣は弾かれた。ロジュの首に傷一つ、つけなかった。カラン、という音とともに短剣は床へと落ちる。
「は? なんで……」
何が、起こった。何が、弾いた。
そして。その混乱はロジュを正気へと戻した。
「俺は……」
自分は、今。何をしようとした。何を、しようとした。
ロジュは床に落ちた短剣を拾う。そして、いつもは暗殺者がきた際に使いやすいように枕元に置いている短剣を、机の引き出しへと片付けた。
冷静になったロジュの脳裏では様々な推測がめぐる。何が起こったのか。そしてあることに気がついたとき、ゾクリ、とした。
自分で死んだ、という人間の話をきいたことがない。何かが。人智を超えた何かが。自死を、拒む。
「フェリチタ、か」
それが思いつくことだ。フェリチタの加護。それは、目に見えるものではない。だからこそ、不明確のことが多い。だから、これはロジュの仮説に過ぎない。
しかし、この仮説が当たっているなら。フェリチタからの加護が強い人間が長生きする、という仮説に信憑性が出てくる。
ロジュは、ギリ、と歯を食いしばった。
ロジュの命も、結局はフェリチタのものということか。自分に、選択権はないのか。生かされるしかないのか。
「はは」
ロジュは乾いた声で笑った。自分ではどうしようもない現実に直面したとき、どうすることが正解なのか。
ロジュは顔を覆う。この世界を牛耳っているのは、フェリチタということだ。人間は「生かされている」に過ぎない。
どこまで、フェリチタの影響下なのだろうか。この思考は? 自分の行動は? 自分の選択は? 自分とは何なのだろうか?
絶対に答えがでないであろうことを疑いだしたってきりがない。ロジュは顔から手を離し、ため息をついた。
「暴いてやる、その生態を」
ロジュの藍色の目はギラギラと光っていた。彼はフェリチタについて研究をすることを決めた。
そして皮肉なことに、それはロジュの生きる上での目標になっているということに、このときのロジュは気がついていなかった。
ロジュは、今度はハサミを手にした。自分の髪を左手で掴んだ。左手の動きは乱雑であるが、右手はハサミを丁寧に動かしていた。
ザクリ、という音が聞こえてくるほど、意図も簡単に髪は切れた。ロジュの髪は肩より上で揺れている。ロジュは薄らと笑みを浮かべる。これは、自分の意志でできるのか。湧き上がる感情は何もない。ただ、何も感じていなかった。
ロジュは自分の切った深紅の髪を握ったまま、ゴミ箱の方へと歩いていった。彼の手から力が抜けるように、スルリとゴミ箱の中に髪は落ちる。ロジュは振り返ることもせず、ゴミ箱から離れた。




