五、開国
十年前、孤独だった十歳のロジュに寄り添うことができたのは当時二十歳のウィリデだけだった。シルバ国の先王がちょうどその頃に亡くなり、そこからは王として忙しく過ごしていた。そのためソリス国には行くことができていなかった。
やっと王としての生活に慣れてきたと思った五年前に起こったのは密輸事件だ。そして国を閉じてしまったから、ロジュと十年間会えていなかったのだ。
泣きそうな顔をしながら、一回も泣くことができていなかったロジュの顔がよくウィリデの脳内によぎっていた。ずっと心残りだった。
それでも、ウィリデは王だった。シルバ国を守らなくてはならなかった。私情を挟む余裕なんてなかった。だから、ロジュの元へと行くことができなかった。
言葉を紡ぐことができなくなったウィリデを見ながら、ロジュは言葉を発する。
「ウィリデ陛下が忙しかったのは知ってる。鎖国も何か事情があるのだとは分かってた。それでも」
ロジュははっきりとは自分の感情を口に出していない。しかしロジュの表情から、そして彼の瞳からは寂しかったという気持ちが痛いほど伝わってくる。
「ごめん、ロジュ。ごめんね」
ウィリデはそっとロジュに近づくと、優しくロジュの深紅の髪をなでる。まるで壊れ物に触るように、ぎこちなくも丁寧に。
ウィリデはじっとロジュを見つめる。前はかがまないと目を見れなかったのに、今ではかがむ必要もなくなった。彼の藍の目をのぞき込む。やっぱり彼は泣いていない。
ロジュは頭をなでるウィリデの手を振り払うことはなかった。されるがままになっている。少し離れた場所に戻ったヴェールには俯くロジュの顔を見ることはできない。
「次黙って連絡を絶つようなことをしたら、私情を挟みまくって、この国の支配権を奪う」
ボソリと呟いたロジュの物騒な言葉に、ウィリデは声を出して笑う。
「それは怖いな」
言葉とは裏腹に怖がっている様子を一切見せず、破顔したウィリデに対して、ロジュはジトッとした目で見つめる。
この二人の関係性を不思議な気持ちでヴェールは見つめる。十歳ほど年が離れている二人だから、兄弟のような関係であると思っていたら、弟である自分やヴェールよりも六歳年上の姉リーサと話すときよりも気安い様子だ。友達、と言う名称の方が近いかもしれないし、名称をつけることができない関係かもしれない。
「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」
チラリと太陽の位置を確認しながら、ロジュが言う。ウィリデに文句を言いたい気持ちはまだあるが、あまり時間をかけると国から使者が様子を見に来るかもしれない。
「ああ、気をつけて。今度またソリス国に遊びに行くから」
「約束を破ったら分かってるな?」
少し目を細めながら言ったロジュに、ウィリデは苦笑しながら頷く。
軽く手を上げたロジュにウィリデが手を振ると、スタスタと道を迷う素振りも見せずにロジュは二人の前から姿を消す。出口の方向に的確に歩いて行くロジュにヴェールはさすが、と感心した。
ロジュがこちらに来るときは、ヴェールが森にお願いして木の場所を変えるなどして邪魔をしていた。
だからロジュはここに来るまでに時間がかかっていた。
帰りはヴェールが何もしていないため、ロジュは迷わずに帰ることができるだろう。ヴェールはこの森で起こっていることは全て認識できる。他の森では全て把握することはできないかもしれないが、この森は特別だ。ヴェールの第二の故郷。
「ヴェール、城に帰るか」
「はい、兄上」
二人で歩いて近くにある城へと向かう途中にウィリデは口を開いた。
「ヴェール、ロジュと会ってみてどう感じた?」
「どう感じたか、ですか」
ヴェールは少しの間思案する。斜め上を見て、悩むような素振りを見せた後、口を開いた。
「兄上は『ロジュが次の王で間違いないだろう』っておっしゃっていましたし、世論でもロジュ様を次期王にという声は多いです。私も今日会ってみて、王になりそうな人だと思いました。ただ、どんな人かと聞かれると、よく分からない人だな、と思いました」
「よく分からない?」
「はい。最初は圧倒的な強者かと思いました。今まで何不自由なくその強さで周囲をねじ伏せてきたのかと思いました。でも、それにしては兄上へ感情が強いような気がしました。孤独を嫌がってそうと言うか……。彼ほどの強さがあれば一人でも立っていられそうなのに」
彼ほど太陽や火から愛されているのなら、それだけで心の支えになりそうなのに。それでも、彼の藍色の瞳はどこか寂しげだった。
「違うよ、ヴェール。彼は強すぎたがために、彼を支えられるものがなかったんだ。彼の能力は、彼の支えの一つではあっただろうが、同時に彼を孤独にする要因であった。彼の瞳の色も同様にそうだ。誰も悪くないのに、周囲は勝手に落胆をした。ロジュの周りが悪意に満ちていた訳ではないのに、様々な思惑が重なり合って、彼を孤独にした」
彼の瞳が赤であったら、周囲の人は彼を次期王として認識し、そのように接しただろう。だが、彼の瞳は藍色だった。光の当たり具合によって赤に見えるなど全くない。
通常であれば、彼は王太子になれるはずがなかった。彼が優秀であり、フェリチタからの加護が強いが故に、彼はその可能性を残された。
彼が孤独になってしまった理由は何だったか。それは一言で表せるものではない。様々な人の思惑、事情が複雑に絡み合った結果だ。
彼の周囲は彼を疎んでなんかいなかった。彼を嫌ってなんていなかった。それなのにどこで歯車はずれてしまったのだろう。
ロジュの周囲は、ロジュの瞳が赤くないことを酷く残念がっていた。だからこそ困惑も迷いも一切なく、彼の藍を綺麗だと褒めたウィリデをロジュは気に入っているのだ。
しばらくの間、二人の足音しかきこえなかった。ヴェールはなんと答えたらいいのか分からなかった。
「そうだ。城に着いたら、リーサを呼んできてくれ」
思いついたように、ウィリデが声を出した。現在のシルバ国の王族は三人。ウィリデ、ヴェール、そしてウィリデの妹でありヴェールの姉であるリーサだ。
「ロジュ様が来たという情報を共有するのですか」
ヴェールの言葉にウィリデがしっかりと頷く。
「ああ。それから、鎖国はもう終わりだ」
「よろしいのですか」
「小動物の数は大分増えてきたし、情報をひた隠しにするのもきつくなってきた」
ロジュのシルバ国訪問は非公式。しかし、この国の周りを見張っている国があれば、気づいただろう。他の国で事情を知らない国も情報を求めるはずだ。それに、ロジュはあっさり帰ったが、他国はどうか分からない。
「もう潮時だ」
覚悟を決めたように言葉を発したウィリデの若草色の瞳は真っ直ぐ前を見ていた。
シルバ国が「閉鎖的な国」と呼ばれることは、もうない。