四十、誠意と愛
「今回集まってもらったのは他でもない。王太子についてそろそろ決めなくてはいけない」
王の言葉で貴族たちの顔に緊張が走る。やっと、王が言及し出した、と思っている人が多そうだ。王は今まで沈黙を守っていたのだから。
ロジュの表情は変わっていないが、同じことを考えていた。正直なところ、慣例があるから王に慣れなくても仕方がない、と今までは思っていた。しかし、ロジュがラファエルを側近にした時点で彼の命運も握ってしまっている。
第一王子派に所属をしている人に、思い入れはあまりないし、それは向こうも同じであろう。ロジュである必要はなかったのだ。優秀な王子。それさえあればよく、ロジュ・ソリストという人間自体に興味を持つ人なんていなかった。
それでも、ロジュは心の中で感謝をした。ロジュが候補のままでいられたのは、彼らのおかげでもあるのだから。
ロジュは自身の国への貢献に気がついていない。自身の力で王太子候補から外れていないなんて、微塵も思っていない。だからこそ、そのように考えていた。
「発言、よろしいでしょうか」
テキューが手を挙げた。彼の瞳には強い覚悟が宿っていることに気がついた人はどれほどいるのだろうか。
「ああ」
「ありがとうございます」
王の承諾を得たテキューは、お礼を言ってから立ち上がる。彼の立ち上がる動きに合わせて、明るい橙色の髪が揺れた。
「私、テキュー・ソリストはロジュ・ソリスト第一王子殿下が王太子になられることを希望します」
場にざわめきが一気に広がる。テキューの発言は貴族たちを混乱に落とした。みんな、テキューの言葉を理解ができない。なぜなら、テキューは今まで王太子に立候補する、と言っていたのだから。
事前にラファエルから聞き出したロジュは、表情を変えずにいた。聞いていたなかったら驚愕を隠せなかったかもしれない。
「どういうことですか、テキュー殿下」
「この前王太子に名乗りをあげると言っておられたではないですか」
王の許可を得ずに話し出す貴族たち。第二王子派の人だ。
その様子を見ながら、ロジュは違和感を覚えた。
第二王子派筆頭、スカーレット公爵が何も言葉を発していない。テキューに追及していない。
スカーレット公爵。現在の王妃の兄である。ロジュとテキューにとっては叔父にあたる。
彼の動揺がない様子は、もしかしたらテキューが話を通したのかもしれない。なぜ止めなかったのだろう、と疑問に思う。
第一王子派だろうが第二王子派だろうが、どちらについていたとしても、基本的に貴族に大きな不利益は生まれない。例えば、第二王子派についており、ロジュが王となったとして、第二王子派が貴族ではなくなることはない。ただ、印象の問題だ。味方になってくれた人の方が、好印象。基本的にはそれだけ。
しかし、貴族で不利益を被る人も一応いる。それが側近と派閥の筆頭。
王位継承争いが起こっている中で側近になるのは、大体はその人物が王になることを見越しているからだ。つまり、王にならなかったときは目的を達していない、と言える。王子の側近に一度なると、別の王子の側近に変更することはできない。だから、ロジュはラファエルの命運を握っていると言えるのだ。
派閥の筆頭。それは、莫大な力を持つ。自分たちが支持をしている王子が王となれば、発言力が今まで以上になるのは間違いない。王に要求をできる人物にもなり得る。逆に自分の派閥が推薦する王子が王となれなかった場合、発言力は一気に損なわれる。派閥で不祥事が起きた場合は責任を取らされる可能性すらある。だからこそ、この場でテキューを推していたスカーレット公爵が沈黙をたもっているのには些か疑問が生じる。
なぜ、テキューを止めないのだろう、と。
「……ロジュ第一王子殿下は、赤い瞳をお持ちではないではありませんか。慣習はどうなさるつもりなんですか?」
ロジュがスカーレット公爵を観察しながら考え込んでいると、貴族の声が耳に入った。恐らく第二王子派の貴族だろう。今までの話を聞いていなかったが、矛先はロジュへと向いていた。
ロジュは藍色の瞳をその貴族へと向ける。ロジュの表情には動揺の色は少しも見えなかったが、その貴族は彼の表情、そしてその瞳に怯んだ。
「偉大な赤ではなく、濁ったような藍色なんて……」
ばん、と机を叩く音でその貴族の言葉は遮られた。ロジュは黙ったまま、机を叩いたその人物に視線を向ける。
彼の瞳は炎のように感情を含んでいた。怒り、という表現で正しいのかわからないほどの凄まじい感情が彼から漏れ出ている。
なぜ、テキューがここまでの怒りを露わにするのだろう?
ロジュは疑問を持った。しかし、その答えはすでに出ているのだ。気がつかない振りをしているだけで。
「その汚い口を閉じろ」
暴言以外の何ものでもない。いつも丁寧な話し方をするテキューにしては珍しいことだ。しかし、テキューに注意をしようとする者はいなかった。
なぜならテキューの怒りは尋常じゃなかったからだ。普段のコロコロ変わるテキューの表情を見ている人間なら、余計にそう思うだろう。
「しかし、慣習を曲げるというのですか」
それでもその貴族は引き下がらなかった。一体、何が彼をそこまで駆り立てるのだろう。ロジュは不思議でならなかった。ここまでの怒りを隠さないテキューに対して、ここまで言うなんて。まるでもう後がないかのようだ。
「慣習、ですか。なるほどね」
テキューは薄らと笑みを浮かべる。その笑みを見て、ロジュの心臓が嫌な音を立て始めた。とてつもなく、嫌な予感がする。
「ロジュお兄様」
テキューは最初から、ロジュ以外の人間のことなんて気にしていなかったのかもしれない。テキューがロジュを見つめる瞳は息を呑むほど穏やかに細められた。彼の笑みは透き通るようで。
ロジュは言葉を発せない。自分の心臓だけが危険を知らせる。危険だ、このままだと、テキューは。
「ロジュお兄様。……大好きです。心の底から。だから……。あなたの先を邪魔する物は排除しましょう。これが僕なりの誠意であり、お兄様への愛情です」
テキューは剣を取り出した。ロジュの短剣よりは長いが、隠し持っていても気づかれないくらいの長さ。彼は躊躇もせず、短剣を鞘から抜き去った。
会議にざわめきが広がる。会議の場で、剣を抜いたのだ。武力を無闇に行使せず、対話によって相互理解を成し遂げようとしているこの場で。普通はしないし、できない。
ロジュにはざわめきなんて耳に入っていなかった。ただ、吸い寄せられるようにテキューを見つめる。テキューは、怒りに任せてその貴族を刺そうとしているのではない。恐らく、テキューは。
「おいっ、テキューっ」
ポタリ、と赤い血が流れ落ちた。耳が痛くなるほどの静寂が広がる。




