三十七、交渉カード
「というか、テキューって俺のこと結構好きなんだな」
ロジュがボソリと呟いた言葉にラファエルがビクッとした。ウィリデに目でどうしてロジュがテキューの思いを知っているのかと訴えてくる。ウィリデは予想通りであったため、さほど驚いていなかった。
「ラファエル、お前の影響だと思う。お前がロジュに自分の感情をぶつけたから、ロジュは強烈な好意の感情の形を知ったんだ」
ウィリデはロジュへの感情をできる限り羽のように柔らかくて軽い感情、それでいてウィリデの思いが正しく伝わるように心掛けていた。リーサは冗談を装うことでロジュの逃げ道を作っていた。しかし、ラファエルはそうではない。自分の感じたことをそのままロジュに向けていた。
ラファエルは思い当たることがあったから、頭を抱える。自分のせいでロジュにテキューの思いを気づかせてしまったとしたら、それが今後良い方、悪い方どちらに転ぶかわからない。しかし、ウィリデが焦っていない様子がラファエルの気持ちを落ち着かせた。ウィリデが問題視していないのなら、大丈夫だろう。
「ロジュ。テキューのことは放っておいていい。あれは勝手に動くだろう。テキューが暴走しすぎないように見張っていないといけないかもしれないけど、そこはなんとかする。だから、ロジュは何も考えず、体を休ませることだけを考えて」
ウィリデの言葉はどこまでも甘美であり、ロジュに寄り添っている。その沈んだら抜け出せなさそうな布団のようなものから、ロジュは戻れるのだろうか。
「ウィリデ陛下は俺をダメ人間にする気か?」
ロジュの質問にウィリデは明るく声を上げて笑う。ロジュは楽しそうなウィリデを見て、それでもいいかという気持ちになってくる。
ウィリデは再び事件の話の続きを始めた。ファローン国の人間が関わっている可能性があることを伝えると、ロジュは一つのことに気がついた。ゆっくりと窓の外を見る。そこに広がるのは雲一つない青空と、この地を照らす太陽。
「昨日はあんなに降っていた雨が、降っていない。ウィリデ陛下、ベイントス国に交渉で使ったんじゃないか? あの事件の貸しを」
あの雨が人為的だとするならば。それに対抗できるのもフェリチタを使うしかない。雲、といえばベイントス国のフェリチタだ。ベイントス国の人間は密輸事件に関わっていたという。しかし、ベイントス国の人間は僅かであった。だからこそ、その始末として交渉の場で思いつくほどの適切な対価はなく、シルバ国もしくはウィリデへの貸しにしている可能性が高いとロジュは考えていた。
その、大事な交渉カードをロジュのために使った。ロジュはその事実に一瞬で辿り着いていた。
「国としての貸しを使ったわけじゃない。私個人への貸しだったから、問題ないよ」
ウィリデは全く否定しなかった。それが、答えだった。
「ウィリデ陛下。本当に申し訳ない」
ロジュはウィリデに向かって頭を下げる。
ロジュはウィリデに申し訳なかった。今回の件でロジュのために、使える手札を何枚手放したのだろうか。ウィリデの弟のヴェールまで呼びつけてしまったことも申し訳ない。
「ロジュ、謝らないで。ロジュのせいではないし。それに、ロジュを失うことに比べたら、些細なことだよ」
ロジュはウィリデの方を見つめる。ウィリデの表情に後悔は一切含まれておらず、むしろ晴れやかに微笑んでいる。
ああ。やっぱり、この人は。ロジュのことを誰よりも大切にしてくれる人であり、ロジュが一番信頼できる人物だ。
ロジュは自分がウィリデにとって役に立てているかはわからない。ロジュが、ウィリデにできることは、なんだろうか。
「……。ありがとう。ウィリデ陛下」
「うん。気にしないで」
気にしないでと言われても、気になるものは気になる。しかし、事の顛末を聞くために、ロジュはそれ以上この場で謝罪を重ねることはしなかった。
ウィリデは再び話を続ける。ヴェールが到着し、ソリス国王の元へ合流。砂糖とミルクに混入されていた薬剤と、紅茶に入れられていた毒の成分をヴェールとソリス国の研究者が解析したところ、やはり砂糖とミルクには毒の中和剤が含まれていた。その成分と似た効果を持つ薬草を、ヴェールの持ってきた薬草から見つけ出し、それをロジュに投薬したのだ。それによってロジュの体にあった毒を解毒した。
実行犯はすでに見つかった。ソリス国の料理人の一人だった。紅茶を運んできた使用人とは、違う人物。黒幕を吐かせられるかどうかは、今からだ。
「なんか、全てウィリデ陛下の掌の上、という感じだな」
結果的にではあるが、ウィリデの予想はほぼ当たっていた。ウィリデは見えている景色が違うのかも、とロジュは思った。
「気持ち悪いくらい当たっていますねー」
ラファエルも苦笑いを浮かべながら頷く。ここまで当たるともはや怖い。
「まあ、結果論だ」
ウィリデは大したことがないと捉えてそうだ。ウィリデにとっては自分だけ盤面が全て見えているという状況は特別なことではないのだろう。
それにウィリデは事後に盤面が見えても意味がないのだ。ロジュが、毒を飲む前に気づけなかったのだから。
毒を飲む前に気がつくというのも、また難しい話だが。普通の人間なら事件が起こる前に対処へ動くということはできないだろう。
それでも。ウィリデ・シルバニアはできなかった自分に納得していない。
「でも、ウィリデ陛下。今回の件でソリス国に介入しすぎた、と問題になることはないのか? 下手したらウィリデ陛下が企てたことと疑われるかもしれないぞ」
他国の事件にここまで首を突っ込み過ぎると、問題となる可能性はある。多方面に連絡を取ったこともあり、ウィリデがこの件の解決に大きく関わったことは、否定できないだろう。
また、ウィリデが首謀して事件を起こし、それを自分で解決することでソリス国に恩を売ったのではないかというマッチポンプが疑われかねない。
「心配ないと思うけど、もしそれが気になるんだったら、解決方法は複数思いついているけど、いい考えは少なくて、できれば取りたくない方法ばかりなんだよね」
ウィリデは苦い表情を浮かべてる。ウィリデの思いついている方法。それはロジュの意向を無視したものになる。
「まあ、考えた中で最善なのは、以前ロジュが閉ざしていたシルバ国に来たときに私がロジュへ借りを作っており、それを返したという筋書きが丸く収まるかな」
ウィリデは自分で思いついている他の方法を取る気はない。一番穏便に済ませるためには、この話を流すのが最適、と考えた。
ただ一つの借りでこの事件のためにここまで奔走する、というのも疑われそうというのがこの考えの欠点ではある。しかし疑う人間は何をしても疑うため、放っておいてもいいだろう。
「参考までに、ウィリデ陛下が他に思いついていた方法を教えていただけませんか?」
ラファエルからの頼みに対し、ウィリデは暫し沈黙する。しかし、ロジュとラファエルの知りたいという眼差しに耐えきれず、ゆっくり口を開く。
「たとえば、ロジュがリーサと婚約直前という噂を流す。それなら、大事な妹の婚約者を守るため、という名目が生まれる。もう一つは、ロジュが王太子に立候補し、シルバ国としてはロジュを支持する。そうすると、その大切な王太子候補を守るためと捉えられるだろう」
どちらも、ロジュが何かを犠牲にしなくてはならない。ウィリデはロジュが王太子になりたいかは知らない。なってほしいとは思っているが、押し付けたくはない。
そもそも。テキューが王太子になるという意思を表明するかどうかも関わってくる。テキューが王太子にはロジュがいいと思う、と発表さえすれば、ロジュしか選択肢はなくなるのだ。
それが伝統を変えることになったとしても。
「婚約者か王太子、なるほど。確かに」
ロジュは納得して頷く。個人的にはどちらかを実行してもいい気はする。しかし、ロジュのその思いに気がついたウィリデは首を振った。
「ダメだよ、ロジュ。噂を流すだけだとしても、誤解を生みかねない。だから、さっき言った借りという名目でいこう」
ただでさえ、ロジュの周囲にはただの誤解と明確な悪意が渦巻いている。その二つは形を変え、いつ牙を向いてくるかわからない。その中で新たな火種を叩き込むのは得策ではない。
「……。ウィリデ陛下がそういうのなら」
ロジュは別にいいと思っていたのだが、ウィリデが反対するなら実行はしない。ゆっくりと頷いた。
「まあ、多分テキュー第二王子殿下がそろそろ発表の準備を始めるのではないですか?」
二人のやり取りを見ていたラファエルはそう発言する。ウィリデもそれに頷くが、ロジュのみ首を傾げた。
テキューは、自分よりもロジュを王太子に、と公の場で発言するだろう。ロジュの関心、感情を引きたいからと王位について曖昧にぼかす時期はもう、終わりだ。そうすると、ウィリデがここまでソリス国に介入したことを問題視している場合ではなくなるだろう。だからこそ、ウィリデはこの件に関与しすぎたことを問題視していない。どうせ、テキューの狂気的な行動にかき消される。
二人の考えは間違いではなかった。
一週間後。ロジュの元に一つの知らせが届いた。
来週の朝から国の会議を開く。それにロジュも参加してほしい、と書かれていた。




