十七、何も変わっていない
ロジュは過去を思い出しながら話す。それはロジュが十六歳のときであった。もう四年も前である。彼の表情に傷ついた様子は見えない。
「婚約者候補だったのは、クリムゾン公爵令嬢だ。クリムゾン公爵家は、俺を王に、と推す派閥の筆頭だ。つまり、リーダーみたいなものだから、婚約をして関係を強めるという案もあるにはあった。だが……」
ロジュは言葉を句切る。話すか悩んだ後に口を開いた。
「顔合わせが終わった後、クリムゾン公爵令嬢は……。泣いていたんだ、ソリス城の中で。絶対にロジュ殿下とは婚約したくない、と言いながら。そして、次の日にはクリムゾン公爵家からこの話は無かったことに、と連絡がきた」
クリムゾン公爵令嬢に、何かロジュがした記憶はない。しかし、彼女には拒みたくなるような何か悪い点がロジュにあったのだろう。そうでなければ、断る理由なんてないはずだ。クリムゾン公爵令嬢の両親も、婚約をいきなり嫌だと言い出した令嬢を必死になだめていたが、次の日に断りを連絡してきたということは、その事情を知ったのだろう。何が悪かったか、ロジュには検討もついていない。
ロジュの話を聞いて、ウィリデは不可解そうに首を傾げた。
「それはおかしくないか? だって……。いや、これは言っていい話なのか……?」
ウィリデは悩むような表情を浮かべる。ロジュがその事実を認識しているかどうか、それが分からない。それに、クリムゾン公爵令嬢の想いを勝手に言ってもいいものなのだろうか、と迷いが生じていた。
「兄上、それは、クリムゾン公爵令嬢がロジュ様に想いを寄せているというお話ですか?」
ロジュに伝えるか躊躇したウィリデとは違い、リーサははっきりと言う。それは貴族の間では有名な噂話であった。
「ああ。そのことか。ただの噂だろう。もしそれが本当なら、嫌がらないはずだ。シルバ国の情報でも間違えることがあるんだな」
特に気にした様子もなく言い退けるロジュだったが、ウィリデとリーサはチラリ、とお互いの視線を合わせた。
「そうですわね。シルバ国の調査員が間違っていたのかもしれませんね、兄上」
「ああ。今から対策を考えるか?」
示し合わせたように話を逸らした二人だったが、ロジュは疑問を唱えることはなかった。
「わかった。俺はそろそろ授業の準備があるから行くが、リーサは明日から授業に参加するんだよな? 今日は参加しないだろう?」
「ええ。その予定ですわ」
「了解。じゃあまたな、ウィリデ陛下。ここの部屋はまだ使っていていいから」
そう言ってロジュは部屋を出て行った。彼が出て行ったのを確認してから、リーサが口を開く。
「それで兄上、調査員を見直します?」
冗談めかしてそう言うリーサにウィリデは首を振る。
「その必要はないだろう。調査は間違いではないのだから」
それにリーサも頷く。
「私もあの情報は間違っていないと思いますわ。ロジュ様の認識は異なるようですが」
「ああ。でも、クリムゾン公爵令嬢がロジュに恋心を抱いているっていうのは有名な話だと調査員は言っていたが……」
「ロジュ様は誤解だと思っているようですね」
「そうだな。ロジュの耳に入っていないはずがないだろう。でも、その情報が嘘だと思っている」
「そうですね。しかし、どうしてクリムゾン公爵令嬢は絶対に婚約したくないなどと言ったのでしょう?」
リーサが首を傾げながらウィリデに尋ねると、ウィリデは顔を顰めた。
「その話、どこかで聞いたことないか? 好きなのに本人には伝えたくない……。まるで、テキューと同じじゃないか」
「僕がどうかしましたか?」
突如二人の会話に割って入る声。部屋の入り口からだ。ウィリデは嫌そうな顔をしながらそちらを見る。
「お久しぶりですね、テキュー殿下。殿下はまだ学院生のはずですが、なぜ大学に?」
テキューはロジュより二歳下だ。ここには通っていない。だからこそ、ちょうど彼の話が出たときにここに表れたことへの不信を隠そうとしていない。
「嫌ですね、ウィリデ陛下。そんなに不審がらないでください。偶々大学の見学に来ただけですよ。そしてここの教室を偶々通りかかっただけですよ」
「偶々大学に来た日が、私がこの大学に来ている日で、偶々ここを通りかかったら私がいた、と? ……笑わせないでください」
そう吐き捨てるように言うウィリデに笑みなどどこにもない。冷え冷えとした空気を纏っている。
「初めまして、テキュー第二王子殿下。私はリーサ・シルバニアと申します」
一方的にウィリデが敵意を隠さない中、リーサが二人の間に割って入るように声をかける。
「ああ、あなたが……」
リーサを見るテキューの真っ赤な瞳に仄暗さが宿る。しかし、それは一瞬のことですぐに赤く輝く瞳へと変わる。その豹変にウィリデは忌々しそうな表情だ。
「初めまして。テキュー・ソリストと申します。よろしくお願いします。リーサ殿下とお呼びしてもよろしいですか?」
「構いません。テキュー殿下とお呼びしても構いませんか?」
「はい」
そう言って挨拶をしたテキューだが、リーサを見定めるような視線を隠しきれていない。ロジュの婚約者になるのではないかと急に噂に上がったリーサがどんな人かを探るような視線。
「その目つき。あなたは何も変わっていないみたいですね」
ウィリデの言葉はいつになく刺々しい。
「ウィリデ陛下、敬語は使わなくて結構ですよ。敬称も要りません」
「それもロジュがそうしているからだろう」
「ええ、勿論。ロジュお兄様のことを呼び捨てになさっている方が敬語でお話するなんて、まるでロジュお兄様よりも僕の方が偉いみたいに見えるじゃないですか」
「ロジュとの仲が親しいだけだ」
ウィリデの言葉に気に障る所があったのだろう。テキューは不満そうな表情をする。
「喧嘩売ってるんですか? ロジュお兄様と親しいと自慢するなんて。嫌な人ですね」
「喧嘩もなにも、土俵が違うだろう。お前はロジュに親しくなりたいという様子を一片も見せたことがないだろう」
そう言ってため息を吐くウィリデの目は暗い。
「テキュー、お前に私が十年前に忠告したことのほんの少しでも響いていれば、変わっていたかもしれないのに」
「ウィリデ陛下、貴方の思い通りに物事が進むと思わないでください。僕には僕の信念が、プライドがあるんです」
テキューはウィリデの方を睨みつける勢いで見る。テキューはウィリデの言葉を真剣に受け止める気はないのだろう。ウィリデはまたため息を吐いた。
「予言するけど、テキューはもう少しでロジュに自分の気持ちを伝えることになるだろう」
ウィリデの表情は諦めを含んでいる。ウィリデは自分の言葉がテキューを動かさないなんてことは、百も承知。それでも、どうにかしたかった。
ウィリデは、テキューの気持ちがロジュにうまく伝わらず、拗れることを憂いている。きっと、テキューの言葉をロジュは簡単には信じないだろう。あまりにも時間が経ち過ぎてしまった。
正直、テキューの気持ちが伝わらないこと自体は問題視していない。それは自業自得だ。それよりも、ロジュが困惑することや、ロジュがテキューの気持ちを信じられず、それにショックを受けたテキューが暴走することの方を心配している。
「不吉なこと言わないでください」
テキューが顔を顰める。テキューはウィリデの懸念を全く気がついていない。彼はロジュに自分の重い気持ちを伝える気なんて全くない。伝えるとしたら何か事情ができた時だ。




