二十二、一人じゃない
「それでも、お兄様が一人で生きないと決めたのは喜ばしいわね」
「え? あ、そうか……」
「お兄様?」
「俺は、一人じゃないんだな」
クムザの言葉で気がつく。
テキューには、無意識のうちに使っていたが、ロジュは一人じゃない。孤独に苦しんでいた自分は、どこにもいないのだ。
改めて認識したことで胸の奥から湧き上がる温かな感情に、ロジュは下を向いた。
「お兄様……」
「なんだ?」
「いえ。ロジュお兄様のそんな顔が見れるのなら、たまたま出くわして良かったと思って」
そう言って笑うクムザは本当に嬉しそうだ。その暗めの赤い瞳を見つめながら尋ねる。
「……お前は大丈夫なのか?」
「なにが?」
「神と等しい存在に喧嘩を売っただろう? ……俺のために」
フェリチタに手を出す。それは禁忌とされている。フェリチタは守るべき存在であるのだから、それを減らすようなことは問題だから。
「今も私は生きている。それが大丈夫という証よ」
「本当に、か?」
平然としているクムザに、ロジュは問いを重ねる。彼女は、冗談めかして言った。
「あら、ロジュお兄様。心配してくれているの?」
「もちろん」
ロジュは、クムザのことを少し知った。彼女がロジュのことを考えて動いていたことも知ったし、彼女自身が無邪気で明るい人だと知った。
そんな妹に、不幸になってほしくない。知らない頃には、戻れない。
ロジュの目を見たクムザが虚をつかれたように固まる。
「クムザ、大丈夫なのか?」
畳み掛けるように尋ねたロジュに、クムザが口を開く。
「大丈夫なはずよ」
「なぜ、断言できる?」
彼女は、少し考えてから静かに口を開いた。
「私はあの記憶で、多分ロジュお兄様よりフェリチタのことを知っているの」
そういった彼女の目は、ロジュを見ていない。どこを見ているか分からない目で、クムザは話を続ける。
「あまり詳しいことは言えないけれど。フェリチタがもし反対なら、動物密輸事件は成功すらしていなかったはず」
「そうなのか?」
「ええ。そういうものなの」
クムザの表情に迷いは悩む様子もない。彼女は、淡々と自分のしたこと、その影響を判断している。
「フェリチタに関わることなら、フェリチタは失敗させることくらい容易にできる。捕らえに来た人間に捕まらなければいいのだから。それなのに、私が貧困者を唆せたのも。その人たちが動物を捕まえられたのも。全てはフェリチタの同意、というか黙認の上」
ロジュは胸の中に苦い感覚が広がった。クムザが言うことが正しければ、この世ではフェリチタが否、と判断したものは実行すらできないのか?
自分の意思が、全て嘘のような気がしてきた。
「ロジュお兄様、そんな顔をしなくても。大丈夫よ。あなたの内部にあるものは、あなたのものだわ」
「どういうことだ?」
「フェリチタが干渉できるのは、外部の出来事とフェリチタ自身。だから、あなたの心は、あなたのもの」
それをきいて、ロジュは息を吐いた。クムザは明確な根拠を示したわけではない。しかし、ロジュとは別の世界を知っている彼女を信じようと思った。
遠くを見つめる目で、クムザが呟いた。
「それにフェリチタは好きなはずよ。宿命に逆らおうと足掻く人間が。そういう存在よ」
あまりよくわからない。ロジュがクムザを見つめていると、それに気がついた彼女は罰が悪そうに目を伏せた。
「……ちょっと喋りすぎたわ」
「クムザ」
「なあに?」
ロジュはクムザに向かって頭を下げた。
「え、ちょっと、ロジュお兄様」
「俺のことを、俺自身よりも考えてくれて、ありがとう」
「やめて、お兄様。私は自分がやりたくてやったのよ」
「それでも」
顔を上げたロジュはクムザの暗めの赤の瞳を見つめた。
「お前から、自由を奪った」
ロジュの口から出る声は、少し掠れていた。
クムザをシルバ国に縛り付ける。それは、一番最善だと思った落とし所だ。しかし。クムザの意思は反映されていない。ロジュを救う名目だとしても、すでに事は起こってしまっている。もう、なかったことにはならない。
「いいのよ。ロジュお兄様がいなかったら、私は生きていたかも怪しい」
それは、以前もクムザが言っていたことだろう。クムザは顔に微笑を浮かべながら、話を始めた。
「赤い瞳なのに、王位継承権を放棄した王女。見るからに、異質でしょう。見えないところで牙を剥こうとしているのではないか、と疑う貴族もいたはず。あるいは、洗脳でもして、手駒にしようか、と考えている人もいたかもしれないわね」
「……そうだな」
ロジュは肯定しかできなかった。彼女に「利用価値」がありすぎる。瞳のことが最も利用できるだろう。彼女が無知であればあるほど、利用したい者にとってはよかった。第三の陣営、駒として扱いたい者もいたはずだ。
「それでも、ロジュお兄様が派閥内ではっきりと手を出すな、と明言したおかげで。少なくとも第一王子派の貴族は手を出せなくなった」
ロジュを支持する「第一王子派」の中でも、過激な連中がいたのは事実だ。暗殺を企てているのを偶々見つけ、叱責したこともある。それをクムザは指しているのだろう。しかし、ロジュは「クムザのため」などという美しい理由はなかった。ただの憐れみ。気まぐれ。自己満足だ。
黙り込んだロジュを気にすることなく、クムザは続ける。
「中立派は元から何もしないだろうけれど。第一王子派が手を出さない、と明言したおかげで、第二王子派も出しにくくなった。私を殺すにも、どちらの派閥がやったことか、バレてしまうから」
王位継承権を持つ人間に暗殺者を仕向ける、という行動にも問題があるが、それが現状としてあり得たのは事実。
しかしそれ以上に、敵対をしていない、王位継承権の放棄をした王女に暗殺者を送ったとしたら、心証が悪くなる。戦意のかけらもない人間を一方的に攻撃するようなものだから。その心証の悪さが、いつ足を引っ張り出すか分からない。
「ロジュお兄様のおかげで、私は安全地帯へと入れた」
「別に俺のおかげでもないだろう。当然の権利だ」
「それがどれほど尊いことか、分かっているつもりよ」




