八、デートの誘い
「おはようございます、ロジュ」
「おはよう、リーサ」
教室の空気が少し揺れた。ロジュとリーサが名前を呼び合ったのが聞こえたからだろうか。
ロジュは結婚相手としては優良物件かもしれないが、ロジュ本人に興味ある人はほとんどいない、というのがロジュの自己評価である。しかし、リーサは違うだろう。可愛いし、明るくて、誰とでも仲良くなれる。頭もよく、剣も扱える。本人の人柄も持つ力も上級だ。
「どうしました?」
ジッとロジュが見つめていると、リーサが不思議そうに首を傾げた。その動きで彼女の若緑の髪が肩から滑り落ちた。その髪に目を奪われる。
ロジュは、その髪に手を伸ばした。自分にできるだけ丁寧に髪に触れる。そのまま髪の端を手に取り、口づける。
「……!」
リーサが目を見開く。だんだん赤く染まる頬を見ながら、ロジュは口を開いた。
「今週の休みの1日を俺にくれないか?」
「……はい」
絞り出すようにリーサは答えた。それをみてロジュは頬を緩める。
ざわりと教室中に動揺が広がる。しかし、ロジュは気にすることなく、リーサへと笑みを浮かべた。リーサが周囲のざわめきに紛れるように小声で囁く。
「ロジュ、この前私がお願いした件でしょう?」
「ああ」
この前お願いした件、というのはシルバ国に向かう途中でリーサがロジュに頼んだことだ。ソリス国の町をあまり知らないリーサが、ロジュに案内を頼んだ。正直なところ、ロジュもほとんど町にはいかない。それでも、軽く案内することくらいならできる。
リーサがまた小声でロジュへ囁いた。
「こんなに派手にする必要はありました?」
派手、というのは何を指しているのだろうか。人前で誘ったことだろうか。それとも、リーサの髪に口付けたことだろうか。ロジュは少し首をかしげた。
「派手、だったか?」
「え?」
「俺がしたいからしただけだったが……。不快なら申し訳ない」
勝手に身体が動いただけだった。リーサの表情も緩やかに揺れた髪もあまりにも綺麗で。
この気持ちをなんて表すのが最適だろう。
「まるで、ロジュが……」
「ん?」
「いえ、なんでもありません」
確実に言いたいことを飲み込んで微笑むリーサを見て、ロジュはどうしたらいいか分からず黙り込む。リーサの笑みが作った物であることはわかっていたが、それを自分が指摘するのは駄目な気がして。ロジュは目を伏せた。
◆
「リーサ様、元気ないですねー」
「ラファエル様」
誰もいない空き教室。リーサが、窓の外を眺めてぼんやりしていると、背後から急に声をかけられた。その声は聞き馴染みのある友人のもので、リーサはそちらへ身体ごと向ける。
「私はラファエル様が気づいたことに驚きですが」
「これでも、僕は友達が多い方なので、人と関わる機会も多いのですが」
「それはあなたの本意はどれくらいで、ロジュのためはどれくらいなのでしょう」
リーサの言葉に、ラファエルは目を細めた。リーサの方を見据える。
「ロジュのためになればという動機で広げた友好関係であっても、それは結局自分のものですから。そのおかげでちゃんと友人もできましたし」
「……昔は友人がいなかったのですか?」
「知らないふりをしなくても構いませんよ、リーサ様。どうせ調べたのでしょう?」
ラファエルの言う通り。リーサはウィリデに頼み、ラファエルに関する資料を貰った。それはしっかり読み込んでいる。ラファエルが異質な子どもだったのも、それで妬まれていたのも。そしてロジュに救われたことも全部資料で知っている。リーサが目を逸らすと、ラファエルが口元に笑みをのせた。
「そんなに気まずそうな顔をなさらなくても。全部想定内です。それに、そんなシルバ国を僕は信頼しているのですから」
リーサはラファエルへ視線を戻した。
「それでは、ラファエル様は今、誰を信じていないのですか?」
「シルバ国を信頼している」とは他に信じていないものがあるのではないか。そう思ったリーサが指摘すると、ラファエルは苦い表情をした。
「……結構ソリス国内の情勢がよみにくいんですよね。ロジュ様が王太子になられて、少し経ちましたが、敵と味方の区別がついていない」
「いまだに敵はいるんですか?」
「敵、と断定はできませんね。ロジュ様に反感を抱いている、というか……」
「ソリス国の状況は正直あまり分かっていませんが、派閥で判断できるのでは?」
ロジュの派閥とテキューの派閥、そして中立派に分かれていたはずだ。そこでロジュへの反感があるかないかが判断できそうなものだ。
リーサの発言に、ラファエルは首を横に振った。
「確かにある程度は分かります。しかし、派閥はあくまで親世代の意向。それでは、同世代は?」
「……確かにそうですね」
ロジュと同世代。それが何を表すかというと、「ロジュという絶対的な存在に勝てなかった」世代だ。しかも、ロジュはラファエル・バイオレットを味方につけた。同世代で、ロジュに次ぐ優秀さを持つ男だ。
ロジュかラファエル、どちらかには妬みを持ったことがある人は多そうだ。ラファエルは、中立派の中で上手く立ち回っていたようだが、派閥が違う人々との関係はどうだろうか。
「下手したら、親が第一王子派だった場合の方がロジュ様への反感を募らせている可能性すらあります」
「第二王子派の方がロジュに従う可能性すら、あるということですね?」
テキューもあれでいて優秀だ。親がテキューを褒めるたびに彼への反感を持っていた人は、ロジュに反感はあまり持たないだろう。
極論を言えば、第一王子派だった人間がロジュの敵に回り、第二王子派だった人間が味方になる。もしそうだとしたら敵と味方を見極めなくてはいけなくなるだろう。
そう思っていたリーサに、ラファエルが首を振る。
「いいえ、一番ロジュ様への忠誠があるのは、中立派です」
「……自信がありそうですね」
仮にも中立であるはずなのに、はっきりとロジュへの支持を表明するのもいかがなものか。リーサは呆れるが、ラファエルに悪びれる様子はない。
「中立派の同世代は、『お話』をしてありますから」
「お話」
「はい。お話です」
お話というほど生ぬるいものだったのだろうか。もはや洗脳では……いや、止めておこう。リーサは何も考えないことにした。知らない方がいいこともある。ラファエルの浮かべる笑みは爽やかであるはずなのに、怖い。
「僕の話はいいです。今後の情勢に関してはまたロジュ様と相談するので。それより、リーサ様のお話をしていましたよね? 元気がありませんがどうしました?」
話を逸らせそうだったのに。リーサは悔しく思いながらも、ラファエルになら良いかと思い口を開く。
「ロジュからデートに誘われました」
「……自慢ですか? 見てましたよ。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
それでも、リーサの心は晴れない。ラファエルがリーサの顔をのぞきこんだ。
「それで、結局リーサ様は何を気にしているのですか?」
「ラファエル様は、こういうことに首を突っ込むのを嫌がると思いましたが」
ラファエル・バイオレットは、興味津々のような顔をしておいて、実際は全く人間に興味がない。取り繕うのが上手く、相手に寄り添うような雰囲気を出しておきながら、実際に内面を吐露されろうになると逃げる。相手に逃げたことを気づかせないほど自然に。
ラファエルが真剣に相談に乗るのはロジュだけだ。そのことをリーサはとっくに気がついていた。だからこそ、はぐらかそうとするリーサに、ここまで問うてくるのが不思議でしょうがない。
「ロジュ様に関係していそうなことなので。それに、僕はリーサ様も友人だと思っていますよ。心外ですねー」
ラファエルはそう言うが、リーサは知っている。ロジュとの関わりがなければ、ラファエルは自分に見向きもしなかったであろうことを。
それでも友人と断言されたなら、それ以上否定ができなくなる。リーサは息を吐いてから、口を開いた。
「……ロジュの気持ちが分からなくて。無理して私に合わせているのではないかと思いまして」
ラファエルが黙りこんだ。口を開いたと思うと、その声色は呆れたようだった。
「ロジュ様がパフォーマンスであんなことすると思います?」
「それは……」
「リーサ様はロジュ様のあの行動が嫌だったんですか?」
ラファエルにきかれて、リーサはロジュを思い出す。リーサの髪に口づけてから見つめてきたあの姿はかっこよく、美しかった。呼吸を忘れそうになった。自分が尊い者へとなった気分だった。だからこそ、駄目だ。
「だって。まるで、まるで。ロジュが私のことを好きみたいじゃないですか」
リーサは自身の顔を手で覆った。顔が熱い。
「……それの何が嫌なんですか?」
ラファエルの声はやはり呆れの色を含む。それでも話を切り上げて逃げる気はなさそうだ。リーサは顔から手をどかして、ラファエルへ向き直った。
「自分でも分からないのです」
「……リーサ様は手が届かない方が良かったんですか?」
「え……」
ラファエルの言葉が真っ直ぐに刺さる。なぜか、リーサはそれを否定できなかった。
「リーサ様。あなたにとっての愛とは何ですか?」
ロジュへの感情を愛だと断言していたはずだ。そのはずなのに。リーサは言葉が出てこなかった。




