九、居心地がいい
「ウィリデ陛下」
もう兄と呼んでいないウィリデへとロジュは声をかける。
「どうした?」
先程まで黙り込んでいたロジュが急に話しかけて来たことで、ウィリデは不思議そうに首を傾けた。
「……。何でもない」
輝きに満ち溢れた若草色の瞳が自分の方を見たことに満足したロジュは言おうとした言葉を飲み込んだ。
この世で一番信頼している、だなんて。
事実であったとしても、そんな身勝手で、鉛のような重さにしかならない言葉を伝えることは、ロジュにはできない。
ロジュはシルバ国について知っていることはそれほど多くない。
五年前に他国の人間が入ることをできないようにしたシルバ国には今回を合わせて二回しか来たことがなく、知識を持っているだけである。そして十年前にウィリデから教えてもらった話のみ。
つまり、ロジュはシルバ国特有のものが新鮮に感じている。
「シルバ国の食事って、農作物だけで質素な物かと思っていたけど、案外そうではないんだな」
机の上に並べられている食事に目を奪われているロジュに対して、ウィリデはそんなロジュを微笑ましそうに見ている。
「そうだな。他国の食用の動物を輸入することもあるが、それよりも農作物の素材を活かそうとする人の方が多いかもな」
シルバ国はフェリチタが陸上動物であり、シルバ国内にいる動物を食べることはできない。
また、森もフェリチタであるため、森から食材を取ってくることができない。
方法として取れるのは、他国から食材を輸入。これなら、動物の肉を食べることができる。もしくは、農作物を育て、それを収穫して食べるという方法。
シルバ国の鎖国中に、輸入も停止していた。シルバ国民は肉を食べることができなくなってしまう。そこで、同じタンパク質を使った料理の研究が盛んに行われていた。
「大豆の使い方が上手いな。大豆を肉の代わりにしているのか。区別がつかない」
「目の付け所がいいな。そこは力を入れている部分なんだ」
興味津々な様子のロジュにウィリデが返答をする。リーサとヴェールは嬉しそうに眺めていた。自国に興味を持ってもらえるのは嬉しいことだ。
「いいな」
食事の終盤になって、ロジュがボソリ、と呟いた。視線は目の前を見ているようで、どこか遠い。
「ロジュ?」
こぼれ出た声を聞き逃さなかったウィリデが、少し首を傾けながら問う。
ロジュは自分が言葉を発していたことに、ウィリデに名前を呼ばれたことと三人からの視線で気がついた。
「ああ、いや、何でもない」
慌てて誤魔化そうとしたが、三人からの視線の促されるようにして口を開いた。
「何というか……。シルバ国の雰囲気が心地いいなと思った」
その言葉にリーサとヴェールは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「それなら良かったです」
笑顔で答えるリーサに対し、ウィリデはソリス国でのロジュを思い出し、複雑な気持ちになっていた。
「ロジュ様」
リーサの声で、ロジュは顔を上げる。
「何だ?」
「私と結婚しませんか?」
静かになった食堂にガシャン、という音が響き渡った。動揺したウィリデがフォークを落とした音だ。周囲に控えていた使用人もリーサが発した言葉の衝撃で動けない。
「リーサ! 何を言ってるんだ!」
自分が落としたフォークの行方を気にすることなく、ウィリデは思わず大声を出す。
「姉上、段階を飛ばしすぎです。もう少し順序だてて説明してください。」
ヴェールは呆れたような表情でリーサを見る。
「ロジュ様がシルバ国だと居心地が良さそうでしたので」
ニコニコと話すリーサにウィリデは疑いの眼差しを向ける。
「それで、本音は?」
「ロジュ様と結婚したいです」
リーサの言葉が本気だと分かったウィリデは頭をおさえる。
「……。ロジュに結婚はまだ早い。」
「そうでしょうか。兄上が遅いのではなくて?」
頭を痛そうに押さえるウィリデと嬉々として語るリーサ。二人の会話はテンポ良く進む。
「そこは普通逆じゃないですか。妹は嫁に出さないとかいうところですよね?」
兄と姉のやり取りに思わずヴェールが尋ねる。
ロジュは無言でやり取りを見ている。正直なところリーサからの求婚は冗談ではないか、と思って聞いているロジュはどこか他人事だ。
「まあ、リーサは結婚してもおかしくない歳だし」
「ちょっと、兄上には言われたくありません」
「ウィリデ陛下、結婚していなかったのか?」
弾かれたようにロジュが顔を上げる。なぜか、ロジュはウィリデが結婚したものだと勝手に思っていた。
「結婚してないよ。結婚式の招待していないだろう」
「鎖国中に結婚したかと思っていた。……正直、式にすら呼んでもらえなかったと思ってた」
「流石にそんな不義理な真似はしないよ」
ロジュの表情が少し寂しそうなを見て、ウィリデは焦ったような顔をする。
「私の話はいいから。リーサ、ロジュと結婚することが、どういうことだか分かっての発言か?」
ウィリデの表情がガラリと変わった。「優しい兄」としての顔から「冷酷な為政者」へ。
「もちろん、承知しております」
対するリーサも怯えは一切ない。
「まず、間違いなくソリス国の王位継承争いに巻き込まれますね」
「そうだな。他には?」
「シルバ国がロジュ様の陣営についたと思われるでしょうね」
「ちゃんと分かっているじゃないか」
「他にもございますけど……」
リーサはそう言いながら、チラリとロジュの方を見る。その表情はこの場で言っても良いのか、という迷いが浮かんでいた。
「まあ、今重要なのはその通りだ」
「それなら、問題ないじゃないですか」
「ほう。なぜそう思う?」
問題ないと言い切るリーサにウィリデは興味深そうな顔を向ける。
「だって、兄上は……。シルバ国王陛下はロジュ第一王子を支持するつもりだったでしょう?」
リーサのその発言に沈黙が訪れる。ウィリデは口を開こうとしたが、結局言葉は発しなかった。彼は否定する言葉を持っていなかった。
「そうなのか? ウィリデ陛下」
ロジュがやっと口を開いた。ウィリデはロジュの方を見ようとはしない。目を伏せたまま、口を開く。
「ああ。シルバ国としては、ロジュを支持するつもりだ。……例え、ロジュが……、王になりたくないと言ったとしても」
そう言うウィリデの表情はどこか苦しそうだ。ウィリデは、ロジュの王位への気持ちをよく知らない。親しく会っていたころから十年経ってしまった。今のロジュの気持ちをウィリデは聞いていない。
それでも、次のソリス国王には、ロジュが相応しいと思う。
ロジュの個人的な仲としての「意思を尊重したい」という思いと、為政者としての「王に相応しい者に王となってほしい」という思い。ウィリデの中の葛藤が滲み出ている。
「そうか……」
ロジュが困ったような表情で顔を伏せる。気まずい空気が二人から流れ出た時、リーサがぱん、と手を叩いた。
「ロジュ様、私が今から、私と結婚するメリットについて、お話ししますわ。……こちらの方がお好きでしょう?」
リーサはロジュに感情的に訴えるよりも、理性的に話す方が良いと判断した。
その判断は間違いではない、と言えるだろう。実際、ロジュは興味をそそられたようだ。藍色の目をおもしろそうに細めながらまっすぐ向けた。
「へえ、それは興味深い。ぜひお願いする」
「かしこまりました」
ニコリと微笑んだリーサが話を進める。
「まず、先程話にあった通り、ソリス国の王位継承について。ロジュ様が王座を欲しいと思った時に、何のしがらみもなくお味方できます」
リーサの言葉に、ロジュは先を促すように頷く。
「シルバ国に用事がなく来れます」
「今でも用事がなくても来れるが」
「周囲にあらぬ誤解を与えない、という意味もあります。婚約者のもとへ遊びに来ているという建前が生まれますので」
「なるほど」
「後は他に……」
リーサは座っていた席から立ち上がると、ロジュの近くまで歩いて行く。そしてロジュの耳元に顔を近づけた。リーサはロジュに向かって小声で何かを言った。
少し離れた場所にいるウィリデとヴェールには聞こえないほどの声だった。
リーサの言葉を聞いたロジュがハッと顔を上げる。その表情は驚愕を秘めている。藍色に見つめられたリーサは怯むことなくニコリと微笑んだ。
「はは、分かった。俺の負けだ。……了承はできないが、検討はしよう」
リーサはロジュの動揺を引き出すことはできたが、婚約の了承までは引き出せなかった。
しかし、検討をするとまで言わせたのだから、失敗ではないだろう。
「まあ、ありがとうございます」
リーサとはほぼ初対面であり、結婚にも興味がなさそうなロジュから検討という言葉を引き出したリーサをウィリデは訝しげな様子で見る。
「リーサ、ロジュに何を吹きこんだ?」
「兄上、吹きこむなんて、人聞きが悪いですわ」
ニコニコとした表情を浮かべるリーサは答える気がない。
「ロジュ様、もう一つメリットがありました」
「何だ?」
「私のような可愛いだけでなく、交渉できる人間を妻にできますよ」
最後に述べたのは、リーサなりの冗談だったのだろう。だが、パチリ、とウインクをしてみせたリーサにロジュは否定の言葉をあげなかった。




