五十一、不安と覚悟
「そうだ。ウィリデ、もう一つ報告があった」
言い忘れていたことがあった。ついでに伝えておこうと思ったロジュは口を開く。ウィリデがロジュに視線を送る。
「なに?」
「リーサと付き合うことになった」
「へえ……。え?」
ロジュは勿体ぶることなく淡々と話す。ウィリデは軽く流しかけたが、目をこぼれ落ちそうなほど見開いた。
「ちょっと、え? もう一度言って」
「……? リーサと付き合いはじめた」
「ええ?」
ウィリデの動揺に、ロジュが首を傾げる。そんなに驚くことだろうか。あれ、ここは妹君を俺にくださいと挨拶するところだっただろうか。そんなことをロジュが考えているなんてことは知らず、ウィリデは真剣な表情でロジュの両肩を掴んだ。
「ロジュ。もし、リーサに脅されていたり、弱みを握られていたりするなら、こっそり私に教えて」
「なんでそうなった?」
ロジュはパチリと藍色の瞳を瞬かせた。ウィリデの思考が理解できない。どうして、ロジュの意志が伴っていないように言うのだろう。
「だって……。あ、いや何でもない」
何かを言おうとしたウィリデであったが、言葉を飲み込んで軽く首を振った。それをロジュは見なかったことにはしなかった。
「なんだ? 教えてくれ」
ウィリデは、口を開きかけたが、一度閉じた。しかし、ロジュが藍色でじっとウィリデを見つめていると、ウィリデは考え込みながら口を開く。
「だって、ロジュ、不安そうだから」
「不安……。不安か」
ロジュが表情を陰らせた。ウィリデは、失敗した、という表情を浮かべる。わざわざ指摘する必要はなかったと思っているのだろう。そんな焦りを浮かべるウィリデに、ロジュはぎこちない笑みをみせた。
「そうだ。俺は、不安だ。自分の感情すら上手く制御する自信はないのに、何を信じればいいか、分からない。それでも、俺は覚悟した。自分が傷つく覚悟と、リーサを傷つける可能性を持ち続ける覚悟を」
ロジュを見つめていたウィリデは息を呑んだ。そしてウィリデはロジュに向かって柔らかく微笑んだ。
「ロジュ。今は迷いがないんだね。あんなに人間や感情に怯えていたのに。そんな風になれたのは、ロジュにできた友人達におかげ?」
「そうかもしれない。それに、ウィリデのおかげでもある」
ウィリデが絶対的な味方でいてくれたから。愛してくれたから。そんなロジュの気持ちが伝わったのだろうか。ロジュの返事をきいて、ウィリデはさらに笑みを深めた。
「ロジュ、リーサのことをよろしくね」
「ああ」
返事をしたロジュが、藍色の大きな瞳でウィリデのことを見つめる。ウィリデは首を傾げた。
「どうしたの、ロジュ」
「なあ、ウィリデ。ウィリデは、時が戻る前のことをどこまで知っている?」
「えっと……。断片的にしか知らないよ。なんか、自分が死んだ後は劇でも見るかのように、一シーンずつ流れているような……。勝手に見せられるものを見つめるだけだったから」
ウィリデの返事に、ロジュは少し考え込んだ。そして、少し面白そうに口を開いた。
「じゃあ、俺が求婚したことも知らないのか?」
「は? え? キュウコン? それって、結婚の申しこみの求婚?」
「ああ」
それを聞いたウィリデは、深緑色の瞳を何度も瞬かせた後で、ロジュに恨めしげな表情を向けた。
「聞いてないんだけど」
「言ってないからな」
あっさりと答えるロジュを見つめたあとで、ウィリデは不思議そうに声を出す。
「え、それなのに愛や恋を探してるの?」
「ああ。だって、愛も恋もなかったから。利害の一致だ」
利害の一致。その言葉だけで、ウィリデは相手が誰だか容易に導けるだろう。そんなロジュの推測通り、ウィリデはある人物の名を挙げる。
「相手はもしかして、リーサ?」
「ウィリデ、妹のことをぞんざいに扱った俺のこと殴ってもいいぞ」
ロジュは、申し訳なくて表情歪めた。ウィリデのたった一人の妹に自分の利益を求めて結婚を申し込むだなんて、自分は考えなしだった。そう考えるロジュにウィリデは、面白そうに笑った。
「いや、殴んないよ。一番大事なのは当人同士の合意だしね」
「俺の求婚に対し、リーサはなんて言ったと思う?」
ロジュからの問いかけに、ウィリデは分からない、という意味を込めて首を振った。ロジュは、優しげな瞳をする。それは、まるで愛おしいものを見るかのようで、ウィリデは息をのんだ。
「誠意を見せろ、ウィリデを殺した人物を見つけろ。リーサは俺にそう言ったよ」
ウィリデが深緑色の瞳を見開くのを見て、ロジュは思いっきり顔をほころばせた。そのようにロジュがはっきりと感情を見せるのは珍しく、ウィリデはまた息をのんだ。
「ウィリデ。愛されているんだな」
心底嬉しそうなロジュを見て、ウィリデはくすぐったそうに笑った。
「そうだね」
「ウィリデが愛されていると、俺も嬉しい」
「そうなの?」
「そうみたいだ」
二人は顔を見合わせて、笑い合った。
あることを思いついたウィリデが少しだけ申し訳なさそうな顔をして、ロジュを見る。
「ねえ、ロジュ。お願いがあるんだけど」
「心配しなくていい。リーサとまだ婚約はしないから。シルバ国に後継者ができるまでは」
ロジュの言葉をきいたウィリデが、安堵を浮かべる。ウィリデの懸念を、ロジュも察していた。シルバ国には王太子が不在だ。それはウィリデの子どもがいないから。そして王位継承権一位はウィリデの妹であるリーサだ。リーサが正式にソリス国の王太子であるロジュと婚約してしまえば、シルバ国の王位継承権を持ったままというのはどちらの国にとってもよくない。だから、ロジュは婚約の申し込みはしていないし、ウィリデも待ってほしいと頼もうとしたのだろう。
「さすが、ロジュ。ありがとう」
ウィリデは安堵したように笑みを浮かべる。
「むしろ、現在シルバ国の王位継承権第一位の人間を将来的にとはいえソリス国に行かせていいのか?」
「リーサ本人の望みだからね。それに、国家の機密は漏らさないでしょう。まあ、ロジュが本気で調べたらバレそうだけど」
「買い被りすぎだ」
二人は楽しげに笑い合ったが、ロジュが時計を見て、残念そうな表情を浮かべる。
「もう、夕方だな。そろそろ帰らないと。リーサは泊まっていくらしいから、先に帰るな」
「あ、待って、ロジュ」
ロジュを引き留めたウィリデは、仕事部屋の鍵付きの引き出しを開ける。そこにあったルクスを取り出して、ロジュに渡した。
「はい、ロジュ。念のため持っておいて」
「いいのか?」
「うん」
ロジュは渡されたペンダント型のルクスを手のひらで転がしながら、じっくりと眺める。ふと気がついたことがあったロジュは、ウィリデをジトリとした目で見た。
「これを作れるなら、前に頼んだのも作れるんじゃないか?」
「どれ?」
「フェリチタへの祈りが届かなくなるルクス」
ロジュの言葉をきいたウィリデが、心底嫌そうな表情を浮かべる。それでも、ロジュの説明を促す視線を受けて、口を開いた。
「あれは試作品っていっただろう? 上手く作れないんだよ」
「そうか……。まあ、作らせているのはこっちだから、あんまり文句は言えないけど……」
それ以上、追求するのをやめたロジュはウィリデからもらったルクスを首からかけ、立ち上がった。
「これ、ありがとう。有効に使わせてもらう」
「使うことがないことを祈っているけどね」
ロジュは、軽く手を振って部屋から出て行こうとした。
「そうだ、ロジュ。リーサに一言声かけてから帰るんでしょう? ここに来るように伝えてもらってもいい?」
「分かった。じゃあ、また」
「うん、またね」
扉の向こう側に深紅が消えていくのを見てから、ウィリデはしばらくの間一人考え込んでいた。彼の若草の瞳は何も映していない。彼の思考は恐ろしいほど速くあらゆる可能性を探っている。
「なんか、嫌な予感するな」
そのウィリデの懸念は、他には誰もいない部屋の中に落ちていった。




