一、森に囲まれた国
この森には秘密がある。
森に許された者でなければ迷わずにでることはできないだろう。そんな噂が流れ始めたのは五年程前だっただろうか。その森に囲まれるような国が一つ。シルバ国という国だ。
その森の前に立つ人物がいる。彼の名前はロジュという。彼は黒いフード付きの服を着ており、暗殺者のようないでたちをしている。ロジュは自国から命を受けたのだ。この五年間、周りの国との交流を絶っている閉鎖的な国、シルバ国がどうなっているのかを調べてくるように。
ロジュは森の前で一つ深呼吸をすると、空を見上げて太陽をじっと見つめる。覚悟を決めて、森へと足を踏みいれた。
さあ、何があるのだろうか、どんな体験ができるのだろうか。ロジュの心を覆っていたのは緊張と期待。ロジュはどちらも感じながらも前を見据える。
肩くらいの長さの髪がフードからふわりとのぞく。その髪は深紅以外の言葉が当てはまらないほど深い紅。その髪をふわりと揺らしながらロジュは足を進める。
森の中は森の外とは全く違う雰囲気だ。神聖なようにも、禍々しいようにも見える。このまま進んでシルバ国にたどり着けるのだろうか。
ロジュが森に入ってから三時間ほど経った。一度も休憩を入れていないがロジュに疲れた様子は一切見えない。長時間森を抜けることはできていないが、自分の国であるソリス国に託された目的を果たすまでは、ロジュは諦めるつもりはなかった。
ロジュはちらりと上を見上げた。太陽はまだ高い位置にある。
森は入り組んでいるように見えるが、同じところを繰り返し歩いている気もする。
ロジュは目を閉じた。見ているものが「本物」である確信をロジュは持っていない。幻影を見ているだけかもしれない。目を閉じるとロジュの感覚は鮮明に研ぎ澄まされた。葉っぱの擦れる音は聞こえる。しかし、異様に静かだということにロジュは気がついた。
動物の気配が近くには一切しない。虫一匹すらも。まるでロジュを避けるかのように。
ロジュは、目を閉じたまま、心の中でとある祈りを唱える。
静かに目を開けた。太陽の日差しが目に入る。
自分がどちらに行けばよいのかはっきりと分かった。
ロジュは進む。太陽の光に導かれるようにして。迷わずに進んでいくと、人影が一人と大きな湖が見えた。
その人物はキラキラと輝く太陽の日差しをスポットライトのようにそこに立っていた。特に目を引くのはその髪である。まっすぐに伸びた髪は腰くらいまであり、色は緑色と金色の中から一番綺麗な部分を抽出して混ぜたかのように幻想的な色をしていた。
金色の瞳がロジュを見つめる。
ロジュと目が合って、見つめ合うこと五秒間。
「あんた、名前は?」
先に我慢できなくなって声を発したのはロジュだった。ここまで長い時間歩いてやっと人に会えたのだ。逃すわけにはいかなかった。
「私は、ヴェールと言います。あなたは?」
顔はにこやかだけど、目は笑っていない。女神のような見た目をしているのに中身は相手の隙を窺う蛇のようだとロジュは感じた。
「俺は、ロジュ。この森が気になって入ってみたら、出られなくなってしまって」
「そうだったんですね」
ヴェールが疑うように目を細めたのが分かった。それを知りながらもロジュは無知を演じて、ニカッと笑う。本名を名乗ってみたがはたしてそれが吉とでるか凶とでるか。
お互い作り笑いを浮かべていたが、その場に先に耐えられなくなったのはロジュだった。はあ、とため息を一つ。
次の瞬間には彼から全ての表情が抜け落ちた。何も読み取れない表情のまま、彼は少しだけ目を細めた。ふわりと風が舞って彼がかぶっていたフードが外れる。フードに隠れて目立っていなかった目が鋭い雰囲気を帯びる。
「ああ、もう。まどろっこしいことは嫌いだ。そこで疑うような目をしながら作り笑いをするということは、どうせ俺が誰か気がついているんだろう? シルバ国の王弟さまは」
金と緑に光る髪。この世界で緑を表す名前。この世界の基準として古代の言葉で色を意味する名前を持つことができるのは王族だけと決まっている。そして王族は髪の毛の色が特徴的である。
ロジュはシルバ国の王とは会ったことがある。この鎖国中に変化があったなら分からないが、ロジュが知っている限りは彼はまだ結婚はしておらず、子どもがいなかった。もし、結婚して、子どもが生まれていたとしても、この年齢まで成長はしていないだろう。そして弟がいるという話をシルバ国の王から聞いたことがあった。
ヴェールは驚いたように目を見開きながら答える。
「そこまでよく分かりましたね。国外に出たことがない私の情報はほとんど流れていないはずなのに、さすがです。改めまして、私はヴェール・シルバニアと申します。よろしくお願いします、ソリス国の第一王子殿下。ソリス国の王太子でしたっけ?」
「おまえだって分かってるじゃないか。そうだ。俺はソリス国の第一王子、ロジュ・ソリスト。だが、一つはずれだ。俺は王太子じゃない」
そう言ってロジュが苦笑すると、ヴェールは首をかしげた。
「そう思っているのはあなただけじゃないですか?」
「そんなはずはないだろう」
ロジュは緩く首を振った。
「ソリス国で俺は王にはなれない。だって、俺は」
続く言葉をロジュは飲み込んだ。
彼が首を振ったことで彼の目の存在感を薄くしていた深紅の髪が顔の横へと移動する。そして彼の瞳がはっきりと見えるようになった。
その色は彼の深紅の髪の色とは異なり深海のような藍色だった。
ロジュの国、ソリス国では目の色が赤色の人しか王になることができない。これは五百年以上続く慣例だった。
「そんな慣例、時代遅れでしょう」
ロジュが飲み込んだ言葉を察し、呆れたようにヴェールが言うが,ロジュは少し口角を上げるだけにとどめた。
ロジュは昔から多くの人に言われ続けてきたのだ、目の色が赤でさえあったら、王に相応しかっただろうと。自分にはどうすることもできないことをずっと言われ続けてきたのだ。